286話 支流の完成

 大井川 一色政孝


 1571年夏


 三好長逸の話を一応氏真様にはお伝えした。結果駿河へ帰国の途中で、再び織田領で信長との会談の場が設けられたのだ。

 しかし信長の返事は随分と曖昧であったという。

 義助と会ったことの無い信長であるからそれは当然仕方が無い反応であるが、曖昧な返事が今後どう転がるのか、それが非常に重要な話となる。

 その後帰国した俺達であるが、しばらくは内政に努めることが出来る。幕府による停戦令に従っているが故であるからなのだが、北条もまた関東を取り巻く状況を危惧し従っている。

 現状今川と敵対する可能性のある北条が大人しくしていれば、こちらも平和なものであった。

 そんな夏のある日。俺達は多くの家臣や民と共に、大井川のとある地点へとやって来ている。

 このあたりは島田と呼ばれている地域であり、今日この日より大井川領にとって非常に重要な地の1つとなるであろうことが予想された。


「ついに完成したのだな」

「はい。当初計算していたよりも、随分と早く完成いたしました」

「流民に加えて、終盤には大井川領の民達が多く作業に従事してくれましたからな」


 俺の背後に控えるのは、時真と親元。そう大井川の治水工事を任せていた者達だ。

 そしてその言葉からも分かるように、ようやく完成した。時に荒ぶり、民や旅人を困らせていた大井川の支流作りが。


「水門を壊せば、新たな川へと水が流れ込む。そうなればこれまで水が足りず、米を育てることが出来なかった土地にも人が住めるようになろう。これからは外から人を受け入れることも可能となったわけか」

「長うございました。ようやく完成であるかと思うと、こう・・・、気が昂ぶります」

「時真殿と協力し、民と励まし合って作り上げてきた新たな川が、この地を潤してくれると信じております」


 親元はじゃっかん感極まって声が震えていた。俺としても、眠れる親元の才を見抜けたことが誇らしく思える。


「それで水門の仕組みも俺が指示したとおり作ったのだな?」

「はい。水門によって、両川の水量を調整するための仕組みは作っております。また万が一の際に開閉するための専用の門も作っておりますので、豪雨等で水量が増えた際に洪水が起きる危険性も随分と減らせてはいるかと」

「それで良い。未だに新たな川の岸は低く、溢れることも考えられる。もしもの時は大井川へ全ての水を集めて浸水を防ぐようにな。そのための人員も今後は配置する予定だ」

「かしこまりました」


 そう、海まで一応川を掘ってはいる。だが未だ護岸工事は済んでおらず、岸の近くに家を建てることは危険なのだ。

 故に監視役を置き、水量の増減具合を見て水門を操作するようにしておく。

 これで安心して新たな川の流域に住むことも出来るだろう。


「新たな川は湯日川と名付ける。今後は湯日川の流域にも家屋を建て、人が住めるよう整備していく故、もう少し待たせよ」

「かしこまりました」


 俺の隣に控えていた昌友が頷く。

 さて、いよいよだ。時真も親元も緊張の瞬間が刻一刻と迫ってきており、2人とも顔がこわばり始めた。


「さて、親元頼むぞ」

「かしこまりました」


 親元は立ち上がると、水門の側に控えている者達の元へと近づいた。そして何やら言葉を交わしたかと思えば、側から離れる。

 改めて俺の前に来て、そして声を張り上げた。


「門を壊すのだ!」


 その言葉と共に、水門に控えていた者達が斧や木槌で仮設置の門を破壊し始めた。

 ドンドンと響き渡る音。だが微かに割れた場所より、徐々に水が流れ込む。その量はだんだんと増えていき、最後は水圧に負けた門が一気に押し流され湯日川へと水が流れ込み始めた。

 最初こそ勢いは凄まじいが、だんだんと川に水が満たされていけばその内落ち着くはずだ。


「2人とも、良くやってくれた。これでよりこの地が発展するであろう」

「勿体なきお言葉にございます。そうであるな、親元殿。親元殿?」


 時真が隣を見ると、ついに耐えきれなくなった親元が泣いていた。静かに、だが肩を震わせてのまさかの号泣だった。

 一色家総出で見に来ていただけあって、元奥山海賊の者達は親元のそんな姿を見て涙が移っていたが、娘の海里だけは笑っている。

 きっと娘ならではの別の感情があるのであろう。


「泣いておられるのか?顔に似合わず」

「か、顔に似合わずは余計にございましょう」


 どうにか顔を上げた親元、だが目の周りは赤くなっており、元通りになるのはまだもう少し先になりそうだ。

 民達も歓喜の声を上げ、元より大井川領に済んでいた者達と、一揆の混乱でこちらに流れてきた者達は一緒になって喜んでいた。

 当初俺が懸念していた事態も上手く解消出来たようで何より。今後はみなで力を合わせて、さらにこの地を発展させていくことが出来るはずだ。


「商人らに伝えるのだ。今日は武士も商人も農民も職人も関係ない。目出度い日であるからな。みなで祝いをするとしようか」


 こうして領民達と酒を飲めや歌えやの宴はいつぶりであろうか。・・・そうだ、久を迎えた日だ。

 あの日は祝いだと言って勝手に城に集まってきていたな。


「今日は俺のおごりである。みな、遠慮せず飲むが良い」


 各地でおぉ!と歓声が上がった。俺の届かなかった場所では人伝に聞いたのであろう。遅れて歓声が上がる。


「熊吉、盛大にやってくれ」

「かしこまりました」

「松五郎、宿泊している外の者を巻き込んでも構わぬ。ただし」

「もちろんお代は頂きます」


 松五郎はホクホクとした様子で、宿を任せている者達へ人をやっていた。今日はまさにお祭り騒ぎ。

 俺も久と菊を隣にして酒を飲んだ。

 鶴丸は何やら、この大騒ぎの様子を目に焼き付けている。


「旦那様、今日は随分と飲まれていますね」

「あぁ、最近は全く飲めていなかったからな」

「そうなのですか?では今度は私が注がせていただきます」


 菊が俺に酒を差出す。ありがたく盃を出して入れて貰う。

 周りでもみなが遠慮無く飲みまくっている。無礼講であるのだ、止める必要は無い。

 そんな中、ひとしきり飲んだ俺は宴の席から立ち上がる。当然隣にいる久が不思議がった。


「どちらに向かわれますか?」

「少しな。すぐ戻る故、俺のことは気にせず菊と宴を楽しんでくれれば良い」

「そうですか?かしこまりました。あ、足下がおぼつかなければ、必ず私どもを呼んでくださいませ」

「あぁ分かっている」


 そう言って離れる。おそらくその一連のやり取りを見ていた昌友もまた、周りの者に不審がられないように席を立つ。

 俺の背後を離れることなくついてくる昌友。


「殿、如何されました?」

「・・・落人が来ている。何やら神妙な顔つきであったから、あの場を離れたのだ」

「そういうことにございましたか。私はお邪魔でしょうか?」

「先に帰れば誰かが俺を追ってくるやもしれん。この場に残れ」

「かしこまりました」


 昌友が控えた頃合いを見計らってであろう。落人が姿を現した。


「土佐の長宗我部が、幕府の命に逆らい戦を起こしたようにございます。相手取ったのは三好家。阿波の白地城へ兵を進め、孤立無援の白地城は即刻落城いたしております。城主大西覚養は行方をくらましました」

「・・・もう動いたか」

「長宗我部・・・。三好家はその対処に動かねばなりませんでしょうが」

「言ったであろう。三好は割れている」

「畿内の三好長治様と阿波・讃岐の十河存保様でしたか?ですが十河様の方に長宗我部やら毛利がいると聞いておりましたが」

「おそらく白地城の城主は三好長治に与していたか、はたまた中立を保とうとしていたか」

「故に攻められた?」

「先日、公方の兄が瀬戸内で死んだと言ったであろう。あの時行動を起こした香川や香西は讃岐の領主であり、その背後に長宗我部がいるとされている」


 白地城は確か四国の中央に位置していたような印象を持っている。阿波とはいえ、彼の地を抑えれば讃岐にも、伊予にも、当然阿波にも向かうことが出来る。

 かなり重要な城であったはず・・・。


「長宗我部は讃岐を抑えるつもりだ。十河存保らの支援をするふりをして、三好の本領を奪うつもりであろうな」

「十河存保はそのことに気がついているようで、十河城にて兵を集めているようにございます。しかしこの情報自体がすでに古いものにございますので」

「今まさに戦が起きているやもしれんか」

「はい。讃岐で混乱が生じて、万が一にも毛利や河野が手を出してきた場合・・・」

「最悪の事態となりかねない。折角この地の新たな始まりであるというのに、いきなり出鼻を挫かれることとなるな」


 しかし京を離れた俺にできることはない。信長には話を付けてしまっているし、あとは信長次第。

 もはや神のみぞ知る。そんな状況だ。


「・・・あちらのことは成るようにしかならぬ。最低限の人を入れて後は戻せ」

「かしこまりました」

「それと上杉・・・、越後上杉を探らせよ」

「上杉にございますね。かしこまりました」


 それだけ言うと落人は闇の中へと消えていく。


「上杉との戦の備えにございますか?」

「あぁ。先んじて情報を仕入れておく。念には念を入れて、上杉の内情を丸裸にしておきたいところであるが・・・」

「殿?」

「いや、北条との戦では迂闊な真似をして、味方を危機に陥れた。同じ過ちを繰り返したくはないであろう?」

「なるほど、そうでございましたか」


 昌友は納得していたが、本当は違う。

 たしかに同じ過ちを繰り返すつもりはない。だがそうではない。いや、それだけではない。

 直に上杉は今川や他大名家の介入する隙を与えてくれる。それを逃さないために、どの大名家よりも先んじて情報を仕入れたかったのだ。

 あと7年。史実で政虎様が・・・、いや上杉政虎が死ぬまでのタイムリミットだ。実子が居ない政虎にとって、養子が跡継ぎとなることは現状変わりがなさそうだ。

 ただ問題は、早々に締結された越相同盟によって北条三郎が養子入りしたことで、上杉家中を順調に掌握しているということ。

 このままいけば、後の上杉景虎に家督を継承されかねない。そうなれば越後上杉家は北条の思うがままとなるだろう。

 どうにか別候補、素質で言えば早々に景勝に台頭してきて欲しいところであるが、今のところそこまでの存在感はない。俺が狙うはこの景勝だ。

 どうにか縁が持てれば良いのだが・・・。


「次の戦は北条と上杉が敵となるやもしれん」

「覚悟をしておきましょう」

「そうだな」


 そうならないために、再び俺は動こうと思う。まずは信濃に行ってみるか。

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