276話 揺れ動く将軍家

 相模国石垣山 一色政孝


 1570年冬


 ここ石垣山は、早川を挟んで小田原城を目前にしている。そんな場所に俺は呼び出された。

 隣には氏真様が座っておられ、俺は地面に片膝を突こうとしたのだが椅子を隣に並べるよう命じられた。


「お前達が奮闘している最中に和睦を結ぶなどすまぬことをしたと思っておる」

「いえ、むしろ今が和睦の最後の機会であったでしょう」

「本当にそう思っているのか?上手くいけば小田原城にまで手が届いたのであるぞ?しかしそれを目前に戦を終わらせた。麻呂に何か言うことは無いのか、政孝」


 今回の和睦に関しては、本隊に同行した多くの方々も賛同の上での締結であると聞いている。

 それに条件も悪くは無い。

 伊豆半島は全域今川領へと組み込まれた。また武田が単独で押し返した分、相模の一部が武田領として認められることとなる。それも後々氏真様が武田へと報されるようである。

 犠牲に対して、戦利品が見合っていないと言われるであろうか?俺は十分であったと思う。

 越後上杉家の介入自体も防ぐことが出来た。もし介入されていれば、今川家は不意を突かれる上に総力戦となっていた可能性が高いのだ。

 今の結果が最善である。


「では1つだけ。氏真様が和睦に踏み切られたきっかけを聞きとうございます」

「それか。北条より報せがあった。上野におる山内上杉家がこの戦に介入する支度を進めていたというのだ。それも幕府、公方様のご意志の元に」

「・・・北条は幕府と距離をとることを選ばれたということに御座いますね」

「そう言うておった。しかし未だ鎌倉には鎌倉公方様を囲っておる。あれを動かすことは出来ぬであろう。我らが義秋様を次期将軍へと動く限りは、再び北条と戦になるであろう。そしてその時には」

「おそらく武田同様、北条は囲まれましょう」


 東国において、あまり足利義助の人気は無い。いや、正確には三好家の人気が無いのだ。義助の後ろ盾である三好家と東国大名らは利権がほとんど絡まないが故に、将軍殺しをした三好家に対して率直な評価を下す大名家が多いからだ。

 今回の一件で北条が義助側であるという認識が広まれば、関東を切り取る好機であると周辺国が手を結ぶことは十分に考えられる。

 これでは幕府が何をしたかったのか、北条からしてみてもいい迷惑でしか無い。


「越後上杉家は、越相同盟の折、政虎様の養子として迎えられた景虎殿が家中の掌握に動いている様子にございます。急ぎ信濃も戦の備えをしなくてはならないかと」

「そうか。厄介なこととなるの」

「はい。ですが上杉や北条と敵対する限りは避けて通れぬ道かと」

「そうよな。急ぎ領内の再編をしなくてはなるまい、戻るとするか」

「かしこまりました」


 俺が頭を下げると、氏真様が先に立ち上がって陣の外へと出て行かれた。俺はもう少し残ってここからの景色を堪能するとしよう。

 ちなみにここ石垣山は、秀吉が小田原討伐の際に一夜城を築いた場所として有名である。墨俣城にしても石垣山城にしても、当時の人間の発想では無い。

 俺の特異な出生を考えれば、秀吉もそれであったのではないかと疑うほどだ。


「殿、こちらにおられたのでございますね」

「時忠か、如何したのだ」

「はい。一足先に鈴木様方が雑賀に戻られるとのことにございます。報酬はいつも通りで、と申されておりました」

「わかった。帰ったらすぐさま庄兵衛・・・、喜八郎に金を運んで貰おう」

「かしこまりました」


 一瞬どうするか迷った様子の時忠であったが、俺がこの場から動く気配がないと理解すると1人で外へと向かおうとした。

 だが何やら俺は話したい気分のようだ。


「時忠、隣に」

「よろしいのでございますか?」

「あぁ。ちょっと話がしたい」


 時忠の顔に緊張が走った。先日の一件もあるからな、怯えさせてしまった。


「ただの世間話だ。嫌ならば良いが」

「いえ、そういうわけでは!」


 まだちょっと固いが、俺の隣に腰を下ろす。

 俺は持っていた扇子を小田原城に向けた。戦が終わったと知った民達は安心した様子で、小田原城下を賑わせている。

 そんな様子が米粒程度の大きさであるが遠いなりにも感じられた。


「あれが小田原城だ。大きいであろう」

「はい。長年にわたり関東の雄たる北条の居城にございます。大きく、そして立派にございます」

「だが立派なだけでは城としてはイマイチである。ならば何があれば完璧になるのだ」

「備え、にございますか?」


 ほとんど即答であった。小田原城は北条早雲が城を落として以降、何度も改修が行われたが未だ堅城と呼ばれるほどでは無い。何故か、それは直接的な脅威に未ださらされていないからである。

 この世界では武田も上杉も結局小田原には届いていない。


「今ならばあの立派な城を落とすことも容易であろうな」

「・・・和睦は既に結ばれております」


 俺が締結された和睦を無視して城を攻撃するとでもいうと思ったのか、困惑した表情で時忠は言った。

 だがさすがにそれは勘違いだ。いくらなんでもそのようなアホな事は考えない。周辺国の評判を気にしすぎることも考えものであるが、全く考えないこともまた賢い思考とは言えない。


「そうでは無い。北条は命拾いをしたということだ。長年居城としていた城があっさりと落とされれば、それだけで同盟国の評判は地に落ちる。北条は元より今川に集中するために上杉や北関東の大名らと同盟を結んだのに、結果評判を落とすなどあってはならぬことなのだ」

「なるほど・・・」

「直に関東行脚をしていた重治が戻ってくるであろう。時忠、しばらくは重治の下に付け。俺が昌友と時真には言っておく」

「かしこまりました」


 氷上家の大変なところだ。全てにおいて優れていなければならない。

 それが筆頭たる立場を決定づける。

 時忠には大変なことであろうが、戦場における様々な思考も今学んでおいて損は無いはずだ。

 いずれ俺が当主の座を子らに譲るとき、時忠はきっと大きな力となってくれるはずであるからな。


「さて、俺達も戻るとしようか。みなの疲れが抜ければ、港を用いて大井川港にまで帰るぞ」

「かしこまりました」


 ようやく戦が終わった。乱世が終わって欲しいと思いながら、長く戦場に留まりたくない。これは矛盾であろうか。いや人間の本能であるのだろう。




 室町第 篠原長房


 1570年冬


「兄上が死んだだと!?」

「・・・」


 問われた私は何も言葉を返すことが出来ずにいた。

 弟である自遁じとんが、讃岐の有力者であった香川かがわ之景ゆきかげ香西こうざい佳清よしきよと手を結び、淡路にて阿波へと渡る機会を伺われていた義栄様を襲撃したのだ。

 護衛していた生き残りによると、義栄様は最期自ら海へと飛び込まれたのだという。御身が捕らわれることがどういうことになるのかと、おそらくお気づきになられたのであろう。


「長房!そちの弟がしでかしたことであろう!なんとか申せ!」

「自遁は兄である私が、長治様に重宝されることを疎んでおりました。此度のこともそれが関係しているのかと思われます。しかし弟がしでかしたこととはいえ、私には何故そのような暴挙に出なくてはならなかったのか。まったく検討がつきませぬ。どうか私めに全てをお任せいただきたく」

「兄上を殺した者の血縁者に任せられるわけが無いであろう!真実が明らかになるまで長房を、篠原家を信用することは出来ぬ。長逸、長治を呼ぶのだ」

「かしこまりました」


 長逸殿が頭を下げられた。普段穏やかであられる公方様がこうも声を荒げられるとは・・・。自遁は何をしているのだ!

 しかし当然認められぬ事は分かっていた。だが誓って私は公方様を裏切ってなどおらぬし、苦労をともにした義栄様にもいずれ幕政に関わっていただきたいと思っていたのだ。

 それが何故・・・、何故私の足を引っ張るような真似をする!


「昭元、私は少々気分が沈んでおる。しばらくの間で良い。幕府を任せるぞ」

「かしこまりました」

「為清には朝廷との交渉を任せる。上手くやるのだ」

「はっ!」

「以上である。私は疲れた、少々部屋で休む。誰も近づいてはならぬぞ」


 本来であれば関東での戦の報告をするはずであった。だが今はその時ではないし、私から報告しても公方様のお耳に入ることは無いであろう。

 長治様へ任せられるというのであれば、やはり私も加えていただけるようお願い申し上げよう。どうにか弟の真意を探らねば、私も病で伏せってしまいそうである。

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