275話 かき乱す者

 伊豆国福浦 一色政孝


 1570年秋


 民は無限にいるわけではない。兵もまた同様である。

 港町を要塞化し数十日間の間立て籠もった俺達は、北条の勢いだけの攻勢を無事に凌ぐことが出来ていた。


「伊豆水軍が継続的に仕掛けてきておりますが、すでにあちらも疲労している様子。さらには里見家の水軍が広範囲に展開し始めたこともあり、補給路の確保は完全に構築出来たと言ってもよいかと思われます」


 澄隆殿の報告は、俺達別働隊の士気を大いに上げてくれる。物資にも困らず、迷惑をかけているこの地の民にも貢ぎ物を送ることで協力的な振る舞いをして貰っている。

 北条の勢いも衰え始めた今、本来であればあと一手が欲しいところ。

 だが疲労しているのはこちらも同じだ。反攻作戦をしたとして、果たして俺達の勢いがどこまで続くのか、それが大きな問題であった。

 信興殿と今後の事を相談していたとき、外から信置殿が入ってこられた。何やら神妙な様子であり、何かあったのかと俺達の空気が一瞬固まった。


「政孝殿、負傷している者たちを河津城まで下げてやれませんか?ここでは十分に処置することが出来ませぬ」

「なるほど・・・。ですが迂闊に海上を移動させることは危険を伴います。それも承知であるのであれば、澄隆殿に船を出して貰いましょう。ただし怪我人だけの輸送にしてくだされ。動ける者は防衛に参加していただかなければ、人手が全く足りません」

「それも承知のこと」


 信置殿が頭を下げられる。俺としてもみすみす自国の民を死なせたくは無い。

 出来ることならちゃんと治療を受けさせてやりたいのだ。


「怪我の状態が悪い者を優先的に運んでください。程度の軽い者は後方支援として、この地に残ってもらいます」

「かしこまった。ではそのようにさせていただきます」

「澄隆殿もそういうことで船を河津へと出してくだされ」

「お任せを」


 北条の勢いが衰えたとはいえ、日中は基本的に攻撃にさらされている。だが夜になれば静かなものだ。

 そして俺達がここに籠もったことで、ダラダラと長引く戦。双方そろそろ終わりたいと思っているはずだが・・・。

 未だ戦が終わるための決定的な一手が足りていない。これに関して言えば今川でも北条でもどちらでも良いのだ。今はこれ以上戦うことが無意味であるとどちらかが思えば良い。あとは停戦でもすればこの戦は一時の話ではあるが終わる。

 越中の安寧が約束されれば上杉の介入だってあり得るのだ。本当にどこかで一度区切りを付けなくてはならぬ。もはやそういう時期を迎えているのだ。


「殿!天野様からの伝令にございます!」

「景貫殿から?どういったものである」

「天野様は伊豆の中央部の城を制圧後、狩野川に沿って北上。松平様と戦っていた北条の背後を突き、松平様と無事に合流されたとのこと。その後敗走する北条を追撃し、田代方面より直に相模湾の方へと出ることが出来ると」


 俺と共に報せを聞いていた信興殿。目を閉じて黙って聞いておられたと思ったが、どうやら時忠の最後の言葉に元気が出たらしい。

 椅子が倒れるほどの勢いで立ち上がると、時忠に一気に詰め寄って行かれた。


「景貫殿がこちらに合流されるというのか!?それも家康殿と共に?」

「は、はい!そのように聞きました」


 気圧された時忠はやや顔を引き攣らせながら頷いたが、信興殿からすればそれは些細なことであったらしい。

 この地に援軍が来る。それはたしかに俺達にとって希望の光である。

 状況打開の強烈な一手となることは間違いない。


「信興殿、どうかお静かに」

「・・・気分が昂ぶってしまった。間者などがいれば大変であるな」

「その通りにございます。ですが北条敗走の事実がある以上、必ずあちらも家康らの動きに勘づくでしょう。その対処に動き始めた時を我らは狙うしか無い」

「やれるのか?こちらは確かにあの日以降消耗こそあまりしていないが、何度もあった窮地と、あの敗走で随分と削れているぞ」

「やるしかないのです。この機を逃せば、家康達すらも危険に晒すことになりましょう。どうにか上手く合流しつつ、北条を追い払わなくては・・・」


 時忠に地図を持ってこさせて俺は必死に考える。間者の危険性、そもそも家康の動きを北条が察知している危険性を考慮して、密に連絡を取ってあちらと何か成すというのは難しい話だ。

 ならばこちらが独自に動かなくてはならぬ。


「・・・家康達はおそらく追撃のままに田代の地より山を抜けようとしてくるはず。北条はおそらくそこを狙うでしょう」

「箱根山はすでに今川本隊によって抑えられておりますので、北条がそちらに兵を向けることは無いかと」

「景貫殿に背後を突かれて敗走してくる北条の兵を保護し、追撃してくる家康らを止めるために北条は兵を向けるであろう。その足止めをする兵はいったいどこから出てくるのだ」


 俺の言葉に時忠はジッと地図を見ている。


「この地で兵站を維持していた兵、もしくは・・・」


 時忠はジッと地図の一点を見ていた。そう俺達が捨て置いた伊東の地である。あの地には未だに北条の兵が、河津に留まっている別働隊を警戒している。

 そこからも兵を引き抜くのではないだろうか?もはや河津に動く気配はないと踏んで。


「最後の奇襲上陸をする。石廊崎に留まっている別働隊を、兵の減っているであろう伊東の宇佐美城と鎌田城へと攻撃させることができれば、足止めに動いた兵の士気は落ち、さらに奴らにも混乱が生じるのではないだろか?その隙を突いて家康達と挟撃する。上手く決まらなければ、どこかの海岸から撤退する。河津の地にて再び機をうかがうしか無くなるが、もし成功すれば」

「陽動隊と合流することにも成功し、そのまま小田原城を目指すことも出来ましょう」

「・・・そのような策、まことに上手くいくのか?あまりに危険が多すぎるであろう」

「ですが信興殿、考えてみてもください。このままでは我らは膨大な物量によってすり潰されてしまいます。いずれ」


 信興殿も考え込まれてしまった。だが確かに賭けである。

 すでに何度も危険な橋を渡り続けて、味方を危険に晒し続けた。明日の軍議にてみなに話し、もし反対が多ければ諦める。最後までこの地を守り、敵の目を引く役目を全うしよう。だがもし賛成が多ければ・・・。




 小田原城 北条氏政


 1570年秋


「深谷城の氏秀様より急ぎの報せがあるとのことにございます!」


 ちょうど戦支度をしていたところ。城の者が慌ててやって来たかと思えば、その後ろをさらに慌てた様子で氏秀が入ってきた。

 氏秀は綱成の次子であり康成を兄に持つ、つまり私の従兄弟である。上野の監視役とし、上野からほど近い、かつて深谷上杉家の居城であった深谷城へと入れていた。

 そんな氏秀が慌てて小田原にまでやって来たというのであるから、これは何やら一大事の予感。

 果たしてそれが私にとって良いものであるのか、はたまた悪いものであるのか・・・。


「氏秀、上野の監視は如何したのだ」

「上野の監視よりも重要な案件が発生したため、急ぎ、私自ら小田原へと参上いたしました!」

「・・・それは果たして良い報せなのであろうか」

「殿に判断していただきたく」


 微妙な物言いであるが、間違いなく今の私が望まぬ事であることは推測出来る。そして何やら幻庵も私に話がある様子なのだ。

 これはやはり・・・。


「話は簡潔にせよ。湯坂城が落とされた今、この城で戦をするわけにはいかぬ。私も戦場へ赴かねばならぬのだ」

「はっ!では簡潔に述べさせていただきます。上杉憲景様が援軍を武蔵に入れたいとのことにございます」

「・・・上杉は此度の戦に不介入であると聞いているが?」

「越後上杉家は関与しておりません。単独で山内上杉家が動かれました」


 何故?いやそんなことハッキリしているな。

 まんまと使われてしまったわ、義氏がな。やはり古河に残しておけば良かったか・・・。


「殿、受け入れれば厄介なこととなりますぞ。このようなものを鎌倉公方様よりお預かりいたしました」

「義氏か」


 幻庵より受け取った書状には、やはりというべきか、到底認められぬことがつらつらと書き連ねてあった。

 我ら北条は鎌倉公方である足利義氏に力が無いことを嘆き、義氏に代わり武をもって関東を治め、義氏を関東の主として奉じている。そういう認識に今の幕府はある。

 つまり我らがはっきりと公言していなかったことが悪いのだが、強引に足利義助の派閥へと組み込まれたこととなってしまっているのだ。

 此度の今川との戦もそうである。今川家は鎌倉公方と戦をしている故に許されぬ、後の関東管領を援軍として向かわせる故自由に使うが良い、と。


「・・・里見は義秋に味方するであろう。そして小弓公方もな」

「北関東、さらに奥州方面にも義秋様を支持している者たちはある程度おります。越後上杉家は元より公方様に忠義を誓っているというより、幕府自体に忠義を誓っておられるため、そもそも後継者争いに中立というお立場。これは北条を孤立させ、親義秋様派に協力態勢を敷かせるきっかけとなり得るかと」

「・・・氏秀」

「はっ」

「奴らを武蔵に入れるな。追い払えば心証が悪くなる。とにかく時間稼ぎをするのだ」

「よろしいのですか?無下に扱えば、越後上杉との関係も悪化しかねませぬが」

「無下に扱う必要も無い。気がつけば援軍の必要が無い状況へと持ち込む。我ら北条は将軍家の争いになど決して関与せぬ」


 氏秀は慌てた様子で城へと帰っていった。

 こちらの支度をせねば・・・。目指すは氏真の陣。多少不利な条件を突きつけられるであろうが、北条の地を全て失うよりは随分とよい。

 上杉の掌握が目前の今、将軍家に関東を荒らされるわけにはいかぬ。

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