274話 戦の終着点
小田原城 北条氏政
1570年秋
「湯坂城に今川の兵が攻め寄せているだと!?」
「はい。先ほど
従兄弟に当たる康成を念のためと湯坂城へと入れていたのは、まさに正解であったようだ。
彼の地は駿河方面より攻め寄せられた際の、最も重要な城である。あの城を落とされれば、ここ小田原城は目と鼻の先。
しかし箱根山諸城と湯坂城との連携により箱根山を抜かせぬつもりであったが、何故すでに湯坂城にまで兵を進めることが出来る?
本隊は伊豆におり、駿河より伊豆に進入した大規模な行軍も足止めに成功していると報せを受けているのだが・・・。
「幻庵」
「端からそのつもりであったのでしょう、上手く出し抜かれましたな」
「こうなってくると進士ヶ城を放棄したことも間違いであったと思わされるぞ」
「・・・」
幻庵は黙ってしまった。しかしもうこれ以上他戦線より兵を引き抜くことは出来ぬ。佐竹が不審な動きをしている。まず西へ船をしきりに出している。そして千葉家や宇都宮家へと人をやっていると報せがあったのだ。此度、何度も里見の攻勢から千葉家を守るべく援軍を要請しているが、色々と理由を付けては断られていた。
その沈黙を守っていたはずの佐竹が動き始めたのだ。嫌でも注視せざるを得なくなる。
「氏邦は北関東の者らを監視させるため迂闊に古河城より動かせぬ。氏規も里見への対処のため、房総方面から動かせぬ。万が一があったときのため、双方それなりに兵を残さねば危険であるぞ」
「では小田原城へ入られている
「たしかに政景の言う通りか・・・。わかった、康郷を元忠の元へと合流させよ。なんとしても湯坂城を落とさせてはならぬぞ。それと駿河方面へと向けている兵も少々退かせよ。真鶴半島にて未だ粘っている陽動共を海へと突き落とすのだ」
「かしこまりました。しかし綱成殿らですら攻めあぐねるとは」
「戻ってくれば話を聞かねばならぬ。何があったのかとな」
政景は頷き、幻庵は此度もまた浮かない顔をしておる。此度の戦は正直に言えば不気味なことだらけであった。
まず1番不気味なこと。それは今川と里見の同盟。
先を見据えればそこまで利のある盟であるとは言えぬ。利害関係は大きくなく、万が一我らが負けたとき、次に戦が起こるであろうはその勝利者たる2家なのだ。
だが何事も無く、気がついたときには挟み込まれていた。
そして上杉の不介入。織田と結んだ越中・加賀の安寧を取り戻すための同盟やらのおかげで、上杉は今川との不戦を誓ったのだ。
すでに我らにとっては劣勢である。そしてここに来て佐竹が動いた。
「時を見て和睦が妥当であろうか」
「もはや目前にまで敵の進入を許した今、伊豆の奪還は難しいでしょうな。それよりは今川単体と和睦し、里見に集中。里見に兵を向けるのであれば、北関東の監視も今より幾分も容易となりましょう」
「私もそう考える。だがここで和睦など結べば、前の御家騒動で私に付き従った者たちが離れかねぬ」
「むしろここで
「伊豆を放棄し、家中では裏切り者をあぶり出す。また北条は荒れるな」
「ですがこの状況で和睦をするのであれば、最低限成すべき事は成すべきにございます。今川は一度完全に崩れた状況から、裏切り者を一掃し立て直しました。前の御家騒動後、それが出来なかった我々は未だ足枷を繋がれておりますぞ」
「必要か」
「儂はそう考えます」
幻庵は私から目を逃すこと無く、ただまっすぐに見てきた。これは覚悟を問われているのであろう。
そして私はそれに応えねばならぬ。今の状況をやり過ごすことが出来れば、いずれ反撃の機会を得ることが出来る。
弟である景虎が、上杉家中を順調に掌握していると聞いている。もし景虎が越後の長となれば、ようやく我らが目指した対今川同盟が実現するのだ。
それまでは必ず耐えねばならぬ。
「決まりか。わかった、和睦後はそのように動く。それと並行して里見家を半島へと押し出す」
「殿のお覚悟、儂も応えねばなりませぬな」
「頼むぞ。北条の命運はまさにこの一連の動きにかかっているのだ。失敗は一切許されぬ」
今川との決着はまた後となるであろう。
氏真も分かっているはず。そう、湯坂城へ突如と現れた氏真も、これ以上の戦は出来ぬとな。
観音寺城 足利義秋
1570年秋
「信長は再び動き始めたか」
「はい。どうやら加賀の一向宗を抑えた後、越前へと兵を向けられるようにございます。また伊勢では優勢を保っており、北畠はその勢力を徐々に小さくしているとか」
「良いな。三好も随分と詰めが甘いものよ、まさか三好と織田のみで和睦をするなど。おかげで麻呂が入京するための足場が次々に固まっていくわ」
毎日のように報される織田の朗報は予の気分を良くさせる。病で伏せっていたという信長もようやく動き始めたのだ。
このまま行けば、近く再び京へと兵を向ける日も来るであろう。朝倉や北畠を制することが出来れば、前回のような負け戦にはならぬはず。
次こそは必ず予が将軍になるのだ!
そんな決意とは裏腹に、今日の惟政の表情はどこか気分が晴れない様子である。
「惟政、如何したのか。今日は気が沈んでおるのか」
「はっ。少し気になることがございます」
「言うてみよ。今は気分が良い、なんでも話すが良い」
どこか遠慮した様子で惟政は話し始めた。遠慮した、というよりも怯えておるのか?
「近江の浅井様が高島郡に兵を集められております。またその中には織田様の家臣である柴田殿らも含まれているとか」
「越前に攻め寄せる支度であろう?何をそう遠慮して申す必要があるのだ」
「・・・あくまで勘、という話にございます。ですが元より浅井様は朝倉様との戦にそこまで乗り気では無かったと聞いておりました。織田様との同盟を組む関係上、敵対関係にはなっておりましたが、直接刃を交わすことには積極的では無かったと」
「柴田が出て来たのであろう?ならば間違いなく浅井は越前へと兵を進める。何も心配はいらぬ」
惟政は未だ不安げな顔をしておるが、予には何も心配はいらぬと思える。浅井は信長の味方。つまりは予の味方である。
予の心証を悪くするような真似はしまい。
「信長には褒美を贈っておくとしよう。少し早いがな」
「かしこまりました。ではそのようにさせていただきます」
「藤英、多少奮発すればよいでな」
「はっ!」
義助は何やら信長を取り込もうと躍起になっているようであるが、信長は予に従っているのだ。そう簡単に切り崩せるとは思わぬ事であるな。
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