273話 厳しい籠城策

 伊豆国福浦 一色政孝


 1570年秋


「現在今川本隊は箱根山麓にある湯坂城へと進んでおります。どうやら北条はここに来てようやくあちらの動きに気がついたらしく、あわてて彼の地の防衛に兵を動かしているとのこと。それにより武田に備えていた相模北部の兵が減り手薄になり始めているとのことにございます」

「わかった。引き続き奴らの監視を頼む」

「はっ!相次ぐ失態の責はこれよりの働きにより必ずや挽回いたします。沙汰は戦が終わった後にお伝えいただければ」


 そう言って落人は姿を消した。此度の敗走に責任を感じているのは、何も俺だけでは無いと言うことだ。

 にも関わらず、俺は自分を見失うほどに迷った。全てにな。

 それによって、余計にみなを危険に晒そうとした。大馬鹿だ、挙げ句には時忠にまで八つ当たりなど・・・。

 みっともなさ過ぎるぞ。


「無事にこの地へと戻ってこられていたようで安心いたしました」


 陣に入った俺は恐る恐るではあったが、そう口にした。どのような言葉があっても全て受け入れようと思っていたのだが、待っていたのは予想していなかったもの。


「あやうく死にかけましたが、これまでも似たような経験は何度もしてきました。信興殿が殿を務めてくださらなければ危うく・・・。しかし勝ち戦ばかりでは、万が一の時の勘が鈍るというもの。ほどよい負け戦を演じてくださった政孝殿には感謝せねば」


 信置殿からかけられた言葉は辛辣。だがそれが俺に対する本気の嫌味ではないことはすぐにわかった。

 他の方々もじゃっかん口角が上がった様子で頷かれている。

 俺が困惑する様を楽しもうとされているのが丸わかりであった。


「今はまだ頭を下げませぬ。無事に故郷に戻れば、労いの品を振る舞いますのでどうかお許しを」

「政孝殿に馳走していただけるなど、どのようなものが出てくるか・・・。期待してますからな」


 信興殿の言葉にこの場のみなが頷かれる。誰も俺の失策を今この場で糾弾しようとしている方はいない様子だった。

 ならばまだ戦うことは可能なはず。


「そんなことよりも先ほどあの若造より聞いたぞ。北条は我らを本隊だと勘違いしているようであるな」

「その通りです、重秀殿」

「ならばやるべき事は1つだな」


 あごひげを撫でながら背後に置いていた火縄銃を取り出した。


「はい、この地にて北条を迎えうちます。現状は近海をこちらの水軍衆で制しているので、撤退は正直いつでも行えるでしょう。ですが我らが退けば、本隊や陽動隊に兵が向けられることとなる。先ほど報せがありました。北条は本隊の動きに気がついたようです。甲斐国境から兵を引き抜き、小田原の周辺を固め始めました」

「殿をお守りするため、尚更退けぬ状況です。我らで力を合わせて北条をかき乱しましょう」


 信置殿の言葉にまたみなが頷かれた。俺は時忠に命じて、周囲の地図を用意させる。

 自分達がいる場所に碁石を置いた。


「福浦はだいたいこの辺り。つまり真鶴半島の付け根のあたりになります」

「だいたいその辺りですか・・・。しかしこれだと背後の海以外が敵となり、取り囲まれることにもなりかねませぬが」


 康用殿の不安は尤もだ。だから俺はこの港を要塞化させた。上陸すると同時に留守を任せる水軍衆に命じてな。

 かつて小さな漁村であった一色港でもしたように。これならば包囲されようとも、容易に中には入れぬし、北条が圧倒的な兵数で寄せてきたとしても火縄銃に抱え大筒、そして未だ動ける兵達の力で押しとどめることも可能であろう。

 問題はこの地の民が俺達を裏切る可能性であるが、現状表現は悪いが餌付けをしているので心配は無い。石廊崎に待機している一色の水軍衆の船には、民の懐柔用にいくつかの物資を積んでいたのだ。

 それを分け与えることで、俺達の味方とした。ただそれも長くは持つまい。俺達の劣勢を悟れば、北条による仕置きを恐れて裏切ることは十分に考えられる。


「澄隆殿と我が配下の者が駿河や遠江より物資を大量に運んでおります。十数日、いやあと数日も耐え抜くことが出来れば、一気に形勢はこちらに傾くでしょう」

「我ら井伊谷衆はあの地でお助けいただいて以降、政孝殿に付き従うと決めております。どのような無茶を言われようとも、必ずや従おうと決めておりましたが・・・」

「忠久殿・・・」

「しかし政孝殿は石室神社でのあの劣勢すらも覆された。此度もそうなのでしょうな。ならば此度も政孝殿のお考えを支持いたします。必ずや勝てましょうぞ」

「うむ、忠久殿の言うとおりである。鈴木重時、これよりも政孝殿に付き従いましょう。そして北条に勝つのです」


 康用も頷くと、それに続くように他の方々が賛同された。反対される可能性を考えていた俺としては、これは嬉しい誤算であった。どう説得したものか、それを必死に考えていた自分を本気で殴ってやりたい。

 みな今川家を想う気持ちは同じであったことに改めて気付かされた。


「ではすぐさま防衛の備えをいたしましょう。私と井伊谷城におられた方々はある程度籠城の勝手が分かりましょうが、他の皆様はほとんど初めての経験でございましょうので」

「時間はあまりないぞ。俺が城壁の上から時間を稼いでやる、あんたらは急ぎな」

「重秀殿、お願いいたします。では油断して攻め寄せてくる北条に一泡吹かせてやりましょう」


 思ったことがある。雑賀衆は傭兵だ、雇い主に合せて危険な橋を渡る必要は無い。

 だが重秀殿は何故かこの盛大な負け戦に残ろうとされている。先ほどの話もそうだ。率先して敵兵をこちらに足止めする策に乗ってこられた。その意図が果たして何であるのか、その疑問もまた俺の中を駆け巡った。

 長考に陥りそうになる頭を振って、これからのことに集中する。考えるのは全てが終わった後。雑賀衆のことも、自身の浅慮な奇襲上陸も、時忠に八つ当たりしたことも全て生きて帰ってから考えよう。

 まずは・・・。


「今度こそ負けぬぞ」


 北条だ。




 太田城 佐竹義重


 1570年秋


「北条は随分と良いようにやられているな」

「こちらの動きが気になって仕方が無いのでございましょう。現に旧古河御所跡地に建てられた古河城やその周辺には、これだけ各地で劣勢になろうとも兵が残っております。そして北条氏邦殿も」

「氏政、あれだけ大きな口を叩いておきながら、やはり所詮は北条の血を受け継ぐ者だ。我らを喰ってやろうとしていた魂胆が透けて見えるわ」

「まことに。そもそもこの大同盟を手放しで喜んでいるような馬鹿者は誰1人としておらぬでしょうから」


 全て岡本おかもと禅哲ぜんてつの言うとおりである。広綱も胤富たねとみも喜んではおらぬことは明白である。唯一喜んでいたのは、長らく古河の地で鎌倉への再起を狙っておった義氏くらいであろう。その上で里見との戦に巻き込まれた胤富は不幸としか言いようがないな。

 我らにとってみればこれほどまでに喜ばしい話は無いが。こちらが手出しせずとも勝手に国力を削っていくというのは見ていてまことに愉快な話。

 しばらくは静観の構えをとっても問題は無かろう。


「それはそうと先日広綱様より御使者様が参りました」

「広綱が?何と言って来おった」

「宇都宮城の城下で聞き捨てならぬ噂が流れていると。北条は上杉に仲介を頼み、今川との早期和睦後こちらに攻め寄せる支度があるとか」


 あくまで噂の話。禅哲はそう前置きした上で語った。

 たしかに馬鹿馬鹿しい話ではある。前の御家騒動で広大な土地を手に入れ、我ら関東諸将の中では頭1つ抜け出したことは、悔しいが認めねばならぬ。

 だがだからといって、奴らが持ち出した同盟話を反故にするなどあってはならぬ話だ。奴らから反故などはな。

 それが許されるわけもない。越後上杉家は関東管領職を今代限りとしたが、未だその地位にある。もし北条がそのような愚かな行いをした場合は、再び関東は戦場となるであろう。

 それを読めぬ氏政でもあるまい。


「意図的に誰かが流している。俺はそう考える」

「拙僧も同じくそう思います。ですが北条の先は思ったよりも短いと感じるのもまた事実」

「同感だ。ならば我らがすべきことは、来たる戦に備えねばならぬな」

「如何いたしましょうか?」


 禅哲の言葉の意味はすぐに分かった。誰をこちらに引き込むか、そういう話だ。

 あまり我らより北に位置する者たちを巻き込みたくはない。下手をすれば伊達が介入してくる危険もある。それを考えれば、やはり此度北条の身勝手に巻き込まれた者たちだけで抑えるべきであろう。


「広綱の元へは義尚よしひさを向かわせよ。ついでに前の馳走の礼も言わせねばならぬ」


 義尚は数年前、宇都宮の者たちと共に那須家へ向けて兵を進めたことがあった。あの時は那須なす資胤すけたねに良いようにやられてしまい、広綱にも迷惑をかけてしまった。ようやく出歩くことが出来るほどに回復出来たのだから、礼と詫びの1つは言っておかねば関係が崩れかねぬわ。


「かしこまりました。では拙僧は千葉家へと向かいましょう」

「あまり氏政には勘づかれぬように気をつけよ」

「かしこまりました」


 禅哲は丸めた頭を下げて俺の前から出ていった。

 肘掛けの側に転がった、胤富からの書状を改めて読み直す。もはや千葉家は長くは持たぬのであろう。北条の援軍が足りておらぬのだ。

 四方八方に敵を作るからそうなる。

 それによって千葉家はとばっちりを食らって滅亡か、笑えぬわ。


義久よしひさ

「はっ」

「今の内に胤富らを受け入れる支度でも進めておけ。そのうち家臣や一族の者たちを連れて逃げ込んでくるであろうからな」

「かしこまりました」


 佐竹東家当主である義久にそう命じて、俺は目を閉じた。

 一時訪れた北関東の安寧は、同盟の崩壊と共に再び戦乱に戻る。それが本来の姿であり、富んだ関東の地で複数の大名家が手を取り合うなど端から無理な話であったのだ。

 これまで通りに戻るだけ。

 だがただ待っているわけにはいかぬ。今の内に国力を増強せねばな。


「もう少し火縄銃が欲しいな。今ならいくらでも買えるが、問題はどこから買い入れるか、か」


 今は迂闊な場所からは買えぬな。そう、例えば雑賀や根来などからはな。

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