上洛

277話 上洛の供

 大井川城 一色政孝


 1570年冬


 帰国後、雑賀へ金を運ばせるために呼んだ喜八郎より衝撃的な話を聞かされた。

 三好家がかつて次期将軍候補として担いでいた足利義栄が、三好家中の権力争いに巻き込まれ、淡路島の沖合で死んだというのだ。

 噂では四国への進出を狙う毛利や宇喜多が黒幕だとか、四国統一のために三好を排除しようとしている長宗我部が黒幕だとか色々な憶測が飛び交っているようである。


「それにしても重治、俺の知らぬところで随分と好きにやっていたようであるな」

「元来私は誰かに指示を受けることが性に合わぬようです」


 重治は平然とした様子で語っているが、実はとんでもないことをしでかしていた。

 前の北条の御家騒動の折、先代北条氏康に味方した挙げ句周辺国に滅ぼされた結城家と小山家の者たちを引き連れて戻って来たのだ。

 北条領内は圧倒的劣勢という状況もあり混乱していた。重治はその隙を突いて栄衆と協力し、救いを求めてきていた者たちを駿河へと避難させている。俺がそれを知ったのは、重治が大井川城へと戻って来たときだ。知らぬ者を多く引き連れていたから何事かと思ったが、まさかの事態であった。

 流石に一色の家臣に迎え入れることは出来ない。家格を考えればどうあがいても無理である。

 故に此度も今川館へと足を運び、仕官を仲介することになったのだ。


「結城様は相模に城と領地を与えられました。また実父である小山様は伊豆に城を与えられたと」

「今川の人不足はいつまで経っても悩みの種である。本当に良くやってくれたわ」

「未だ北条領には滅ぼされた方々の血縁者等が多く潜んでおります。今は栄衆を付け、いずれ来るであろう機を待っていることもお伝えしておきます」

「わかった。また動きがあれば俺に"最初に"伝えてくれ」

「かしこまりました」


 歳が本当に2個しか離れていないのか疑う。童顔であり美青年である重治は城内でも城下でも人気者だ。だが室は美濃にいるのだという。

 織田とは同盟関係にあるのだから呼び寄せることも可能であろうとは思ったのだが、まだ大きな功を得ていないと拒否された。


「そうだ、重治」

「はい」

「時忠をしばらく側に付けたい。先日の戦で初陣を果たし戦を目の当たりにしたことはよいのだが、あの者にはずる賢さが未だ足りない。それを含めた知識を色々教えてやって欲しい」

「なるほど・・・。後の家臣筆頭を弟子に持つというのは良い気分です。必ずや立派にお育ていたしましょう」


 楽しげに笑うから心配になる。だが現状適任者は重治か信綱か、その辺りしか思いつかない。

 重治が退室した後、俺は久と菊を呼んだ。大事な話があるからだ。


「如何されたのですか?随分と真面目なお顔をされて」

「先日今川館へ行ったであろう?晴朝殿と高朝殿を連れて」

「ご両家の仕官をお願いすべくですよね?それが・・・。まさか何かお話があったのですか?」


 菊は黙って隣で聞いていた。久との関係性はしっかりと弁えているということであろう。


「あぁ、幕府よりとある命が下された。公方様の兄である義栄様が亡くなられたことは先日言ったとおりだ。しばらくは日ノ本全土での戦を禁ずるとのことである。喪に服せということであるな。氏真様も一応その命には従われる。またこれを機に上洛し、公方様にご挨拶されるつもりであられるようだ」

「上洛にございますか?ですが公方様と今川様との関係は・・・」

「冷え切っている、それはもう、な。だが一応頭を下げておかねばならぬのだ。権威も威厳も何も無いが、武家の棟梁たる立場であることに変わりはない。それに今後敵視されて余計なことをされたくないという思惑もあられるようだ」


 山内上杉家への援軍要請。そして噂では幕府より和睦の使者まで送られていたようだ。

 あくまで噂であるから真実がどうかなどわからぬが、幕府の提案は白紙講和であったとも言われている。両家が大きな被害を出した結果、白紙講和などまったく受け入れられるものでは無いが、それが意味するところは幕府は今川の衰退を狙っているということだ。


「俺は氏真様に従い上洛の供をすることとなっている。しばらくはまた城を空けることとなるであろう」

「そうなのですね。京は未だ三好の影響下にあると聞いております。どうかご無事で」

「分かっている。菊もそう辛そうな顔をするな、京はいずれまた連れて行ってやる」


 見抜かれた、と菊は可愛らしく舌を出した。やはり俺が再び城を空けることが寂しくてソワソワしていたわけでは無かったか。


「いずれな。京は安全となれば必ず連れて行ってやろう、それまでは母上と共に待っていてくれ」

「かしこまりました!」


 ちなみに菊であるが、随分と可愛がられている。特に母に、な。

 此度京へ行きたい欲があふれ出していたのも、母の影響が大きいのだろう。あとは城にやってくる商人らの話を聞いているからであろうか。

 信長が京を制し、三好が畿内から追い出されるようなことがあればようやく安全であるという判断を下すことが出来るのだがな。今はまだ流石に危険であるとしか思えない。京であっても将軍が死ぬのだから油断など出来ないわ。


「それとこれも先日なのだが、佐助が戦場より身を退きたいと言ってきた。今後佐助が受け持っていた兵らは子である之助これすけに任せる。それに伴って佐助を鶴丸の傅役に就けようと思う。あと1人、内政の出来る者を付けたいのだが今はまだ適任者が見つけることが出来ていない。だからこれだけ今は伝えておく」

「佐助を傅役にされるのですか?よろしいので?」

「あぁ一色家中は長年悩まされてきた人材不足にようやく終わりが見え始めた。これからすべきは若き者たちを育てること」

「鶴丸も喜びましょう。それと旦那様もたまには鶴丸の元へ行ってやってくださいね。算術を教わる日を随分と楽しみにしているようなので」


 驚いたのは、鶴丸の算術指導をまさかの菊が教えていたのだ。少し試してみたが、完璧だった。

 随分と鶴丸も菊に懐いてしまったようで、複雑な気分にさせられる。


「まぁそういうことだ。日取りが決まればまた改めてみなに伝える。鶴丸のこともな」

「かしこまりました」


 久に習って菊も頭を下げる。その後、外で待つ小春達と共に部屋へと戻っていった。

 その後も俺が留守の間に溜まっていた報告などを受け取りつつ、戦場では決して味わえることの無いのんびりとした時間を過ごしていた。

 今日最後の報告を聞いて指示を出した後、昌友が遠慮した様子でやって来る。


「お疲れであると思いますが、1つお話ししたきことがございます」

「話?遠慮せずに言ってくれ」

「はい」


 昌友は改めて姿勢を正す。いったい何事かと俺は緊張したのだが、その口から出て来た言葉はそれほど驚くべき話ではなかった。


「次子である烏丸を左平次殿の元へと養子に入れたく、そのお願いに参りました」

「左平次はもはや世継ぎを諦めたのか?」

「どうやらそのようで。万が一子を成した場合どうするのかと尋ねましたが、烏丸を組屋の世継ぎと正式に決定し、混乱が起きないよう徹底した対応を取ると言われまして。養父殿も烏丸を随分と気に入っているようなので・・・」

「それは随分と前から知っているが。保護式目に反しないというのであれば、俺から言うことは無い」

「日輪ともすでに話はついております。その日をもって烏丸には一色の名を名乗らせず、組屋の者として遠くから見守ろうとも」

「ならば良い。あとは組屋とよく相談の上で決めよ。それと保護式目の関連で、喜八郎より伝えられた。喜八郎の末子はやはり俺の元へと来るようだ」


 先日喜八郎と庄兵衛が挨拶にやって来たときに伝えられたあれだ。末子である勘九郎を正式に俺の小姓として召し抱える。刀の腕前は主水にとりあえずは認められたと言っていたから、まぁ合格であろう。

 あとは本人次第だ。


「そうなのですね。二郎丸もそろそろ殿のお側を離れる頃ですし、ちょうど良かったのでしょうか」

「そうだな。庄兵衛も俺の側で活躍する様を楽しみにしていると言っていたからな。しっかりと鍛えてやらねばならん」

「その通りにございます」


 その後も昌友とは政抜きの雑談をしていた。俺がいない間の領内の話や、誰かがやらかした話など。

 長く城を空けていたからか、どれも新鮮でどれだけ聞いていても飽きない。


「―――。随分と話し込んでしまいました」


 二郎丸が届けてくれた茶を飲みながら昌友は言った。俺もまた湯飲みを傾けて、残る茶を飲み干す。すでに何杯飲んだのかは不明だ。


「しばらくは城にいるからな。今日話しきれなかったことも聞かせてくれ」

「かしこまりました。では私はこの辺で」


 昌友が残していった紙を1枚拾い上げた。これは先日頼んでいた幕府への献上品のリストだ。

 幕府は三好を後ろ盾としながらも、結局困窮しているらしい。本当であれば金を送るのが1番喜ばれるのだろうが、俺達を邪魔しようとした連中を喜ばせるのは癪だった。

 というわけで、単純に珍しい土産物を献上することに決めたのだ。今回は氏真様も自ら献上品を決められた。それに合せる形をとる。

 一色の財力を京の方々の目に焼き付けることもまた面白い。あとは源平碁でも宣伝しておけば尚良し。

 京に行くのは俺も初めてだ。挨拶のためであるとはいえ、ちょっと楽しみにしている俺がいた。

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