269話 何度目かの介入

 白水城 一色政孝


 1570年夏


「信興殿、よくぞご無事で」

「政孝殿こそな。あの狼煙がなければ、我らは周囲を警戒するあまり城からうって出ることは出来なかった。あの狼煙の真意は危険が迫っている故、撤退ということであったのであろう?」

「その通りです。水軍のいない状況で撤退をする場合、必ずや北条が陣を敷いていたあの地を通らなくてはなりません。信興殿が危険が迫っているから籠城せよ、と捉えられていた場合、我らは大きな被害を出して戦わなくてはいけない状況に追い込まれていました」


 明らかに不利な状況から一転。北条を潰走させた我らの士気は、ここ数日で1番高くなっていた。

 今ならば誰にも負けないであろう。

 そんなことすら思わされる。


「皆様もとりあえずはお疲れ様でした。当初の予定より被害を被ったものの、情報が漏れていた状況で北条に被害を与えた上で城を落としたことは大きな成果です」

「何を言う。若き者たちの奮闘があってこその勝利であろう」

「景貫殿の追撃もお見事にございました。これでとうぶん北条がこちらに兵を向けることはないでしょう」


 三河での一向一揆の際にも思ったことだが、知識として知っている以上に人が死ぬ。景貫殿らが行った追撃戦は、これまでの鬱憤を晴らすかの如く過激なものであり景貫殿らが通った後には北条兵の骸がそこらかしこに転がっていた。

 だからこそ今後の負担が軽減されるわけだが。だがそれは思いもよらず、こちら側へと敵の目を向けさせてしまったこととなる。


「これより我らは2つに隊を分けます。景貫殿は三河の方々を連れて西に展開。駿河方面へと兵を進めてください。いずれ家康ら陽動隊と出会うことが出来れば上々。もし危険が迫った場合は確保した港より船を用いて石廊崎、もしくは沼津港へと向かっていただければ」

「任せよ。伊豆西部に重要な拠点は少ない。あってもせいぜい港くらいであろう。こちらで預かる兵は少数で構わぬ」

「それも後ほど考えましょう」


 ちなみに西に進めば進むほど山が多い。そして城が少なく、それほど堅固なものも多くは無いと聞いている。

 三国同盟もあり伊豆の安全も確保されていたせいか、あまり備えがされていない印象であった。当然要所の城や砦以外は手がほとんどつけられていない。

 これは攻め手の我らにとってはまたとない機会なのだ。今を逃せば城攻めが大変になる。


「雑賀衆にはこちらに付いてきていただきます。基本こちらの方が野戦が起こりやすいので」

「任せよ、貰う金の分は働くぞ」


 重秀殿の言葉は頼もしい。先ほどの戦でも、城の南東部に展開していた敵兵を奇襲にて撃退した。

 それも慣れぬ土地であるにもかかわらず、土地勘のある敵兵を翻弄したと聞いた。

 まさにそれこそが傭兵としての才なのであろう。


「我らは東の海岸を進み、下田城と河津城を目指す。これら2つの城は伊豆を任されている北条の重臣が守っている。落とせば北条の伊豆支配は一気に揺らぐであろう」

「では我らが目指すは富永が詰めておる高谷城だな」

「はい。景貫殿、お願いいたします」


 先代の富永直勝といえば、北条五色備のうちの青備えを任されていたという重臣だ。

 第二次国府台合戦の最中に江戸川を渡河する最中に討ち死にしたらしいが、その後は次子である政家が継いでいる。今も主家からの信頼は厚く、伊豆の東部にて水軍の一角を預かっているのだ。

 すでに水軍の拠点として機能していた丸山城は、水軍衆による砲撃によって無効化しているが、それでも富永を軽く見ることは出来ない。

 だからこそ景貫殿に任せる。経験値が我らの誰よりも高いから安心して任せられる。それに無理をしない戦い方をされるから、余計な損害を出さない。


「ではこれよりも油断なく参りましょう。それと少々気になる話も耳にしました」

「気になる話?」

「京で商いをしている者が、とある噂を耳にしたと。なんでも14代将軍になられた足利義助様は、今川家の弱体を願われているとかなんとか。此度の戦にも何かしら理由をつけて介入をしてくるのでは無いかと」

「・・・将軍家が」


 信興殿が敢えて口にしたが、他の方々も渋い表情をされている。

 先代の公方に、そして義秋に随分と今川家は振り回されてきた。義秋が大人しくなったと思ったら、次は義助だ。

 誰もが同じ事を考えたはずだ。またか、と。だがこちらが何を言おうと、介入するといえば本当に介入してくるのが将軍家。

 厄介なことになる前にこちらも兵を進めなくてはならないということになる。


「余計に気を張っていきましょう。万が一が起きたとしても、こちらが有利に事を進めるようにはしておきたいところですので」


 みなが頷く。多少なりとも不快感を抱きながら。




 室町第 足利義助


 1570年夏


「信長は相も変わらず病であるのか」

「そのようにございます。すでに何人もの遣いが会えず終いであったとか」


 長房はそう言った。

 織田信長。かつては義秋を擁し京にも迫った男であるが、周囲を敵に囲まれた状況に諦めて美濃へと兵を退いた。

 だがあの男に関しては油断が出来ぬ。義秋は未だ観音寺城にて京の様子を見ているようであるが、信長さえこちらに付けてしまえば義秋など怖くはない。

 故に何度も遣いの者を送っているのだ。

 だが前の戦での傷が元で、病に伏せっているという。それが本当にあるにしても、将軍である私の使者にも会わずに送り返すとは如何なものか。


「公方様、織田は未だに上洛の期を伺っております。しかし公方様の志を聞けば、かならずや共に道を歩まれるはず。ここで諦めず何度も手を差し出すべきにございます」

「わかっておる。信長は強い、敵として残しておくのは危険である、とそう言うのであろう?」

「その通りにございます」


 何度も言われてきた。信長は危険であるから味方に付けるべきと。

 私としてもせっかく将軍の座に着いたというのに、すぐにその立場を追われることを望むわけはない。

 これからも何度でも信長には人をやろう。それよりも・・・。


「今川と北条の戦はどうなっておるか聞いておるか?」

「詳細は分かりませぬが、今川が河東地域へと兵を出したようにございます。それに合せて小弓公方擁する里見家が房総半島より北上を開始したとのこと」

「北条は耐えられそうか?」

「・・・」


 御共衆に任じた長逸は、私の言葉に対して何も申さず口を閉ざしたまま。つまり北条は押されているということ。


「関東管領は何をしているのだ」

「越中や加賀、そして能登の混乱を治めるべく織田と同盟を結ばれました。その際に織田と同盟関係にある今川への手出しはせぬ事を約束したようにございます」

「それでは北条に援軍は」


 長逸は首を横に振った。

 そうか、北条は孤立無援であるな。だがどうにかして今川の勢いを殺さねばならぬ。

 氏真は私ではなく義秋を推した1人。そして将軍家に縁のある御家である。今川が力を持ちすぎることを良しとはしないが、その対処に困っていた。

 だが先日の織田の上洛に、今川が兵をだしては来ていない。つまり最早今川に上洛の意思はないということであろう。

 ならば良い。信長のようにこちらに取り込もうなどと思わずとも、ただ力を削げることが出来れば良い。


「ほどよい期を見計らい、和睦するよう命じよ。名目は鎌倉公方を護るため」

「かしこまりました。そのようにさせていただきましょう」


 管領に任じた細川ほそかわ昭元あきもとら他数名の者たちは私に頭を下げた。

 信長の懐柔と同時に進めるべきは近江を如何するか。長政もこちらに引き込むことが出来れば、観音寺城に義秋が居続けることは叶わなくなる。

 その後はどこへでも行けば良い。そのうち将軍となることも諦めるであろう。僧になるというのであれば、興福寺に戻してやっても良い。

 だが決して奴らに将軍職を明け渡しはせぬ。これよりは平島公方家が将軍として、日ノ本の舵を切っていくのだからな。

 私が兄上の意思を継ぐのだ。

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