268話 反撃
石室神社 一色政孝
1570年夏
「景里!間断なく撃ちかけよ!」
屋根裏に潜ました火縄銃隊は、俺の命じるとおり間断なく弾を撃ち続ける。味方の兵がその射線に入らぬよう、決して前へと突出させることなく守りに徹していた。
俺達別働隊はまさに窮地、ここ石室神社から岬の先端である石廊崎まで全てが北条の攻撃に曝されているのだ。
まだ後方の方はマシであるらしいが、それも水軍の奮闘あってのもの。あの者らが崩れた瞬間に俺達は撤退することすら叶わなくなるであろう。
「時忠、弓をもて!俺達も応戦するのだ!」
「かしこまりました!」
折角吉次より手配して貰った火縄銃も、今この状況では使えない。それよりも比較的物資に余裕がある弓での攻撃の方が有効であるのだ。
時忠にも弓を持たせて俺達は決死の覚悟でこの地を守る。
どのような思惑があったのか分からぬが、この神社の神主を巻き込んでしまったことはどうにも申し訳ない気持ちになった。勝てば必ずこの恩を返す。
「政孝様にお伝えしたき事がございます!」
使番の者が俺達の籠もる部屋へと飛び込んできた。その手にはなにやらクシャクシャに握られた文があり、送り主は後方で俺達を支援してくれている重秀殿であった。
俺はそれを受け取り中を確認する。
『我ら雑賀衆、鷲ヶ岬に上陸し城の南東に圧をかけさせていただく。なに、追加で金は頂く故、遠慮は無用である』
とだけ書いてあった。しかし重秀殿は俺の考えていることを知らぬはず。だがまるでわかっていたかのようにドンピシャの申し出である。
正直追加料金がかかるのは遠慮したいところであるが、結果が伴えば大枚をはたいてもよい状況。
これは期待するしかない。
「了解した、と重秀殿に伝えよ」
「はっ!」
その者はまた慌ただしく出て行った。俺は手にしていた文を、すぐ目の前の庭にて燃えている火の中へと放り投げた。
証拠は何も残さない。
徹底しなくては、重秀殿の覚悟も信興殿の覚悟も無駄にしかねない。
「さぁこれからだ!ここで北条に押し切られるようでは、我らはその役目を全う出来ぬぞ!」
俺の言葉に雄叫びが上がった。俺の声が届いていない場所ですら、その雄叫びに呼応するかのように叫び声が轟く。
また士気が上がった。
城下町で受けた奇襲以降、こちらの士気が落ちることはなかった。
何故か、多くの者が互いを信じて戦っているからだ。此度の劣勢も必ずやなんとかなる。そう信じているから。
「佐助、前線にて敵を食い止めている頼安と入れ替われ。そろそろあの者らにも休息が必要である」
「かしこまりました!」
佐助が出て行き、しばらくしたころに頼安が戻って来た。だがその顔はわずかに喜色があった。
「殿!朗報にございます!敵の勢いが衰え始めました」
「そうか、重時殿の兵站切りが上手くいったのであろう」
「おそらく。これだけ前のめりになっておったのです。今更気がついたところで、鈴木様の伏兵を突破するにはそれなりに時間がかかりましょう」
この地の西に伏兵として配置していた重時殿。いつか来るであろう北条の再攻勢を合図とし、背後の兵站を切ることを命じていた。
これで北条の者たちは、武器も食料も人も何もこの地に送り込むことは出来ないはず。そしてこの隙こそ俺が狙っていたものであった。
「時忠、一か八かの時である。狼煙を上げよ、誰の目にも見えるほどしっかりと焚くのだ」
「かしこまりました!」
外で支度していた者たちの元へと駆けていく時忠。
俺の思いが通じていれば、きっと届くはず。白水城を攻撃していた信興殿の元へと。それを信じるしかない。もし信興殿が勘づかれていなければ、俺達が正面突破の攻勢をかける必要がある。大きな損害を覚悟して。
空を見上げると、時忠に命じたとおり狼煙が上がっていた。俺は北条が攻め寄せてきている地の更に奥を見る。
来たか?そこにはわずかばかりに土煙が立ち上っているのが見えた。
「景里、俺の護衛を頼むぞ」
「はっ!」
「時忠、全軍に使番を出せ。ここでただ防衛に徹するときは終わりだ。これより反攻のとき、全軍北条へ突撃せよ!」
俺の言葉に一色の兵は動き始めた。反撃の時をただひたすらに待っていた一色の兵に遅れはない。
すぐさま立ち上がると、油断している北条の兵をなぎ倒す。その勢いのままに突撃を繰り返すだけの北条兵へと突撃しかえした。
佐助も最前線へと立ち、敵を切り崩すために声を張り上げて戦っている。遠くにいる俺ですら、それはよくわかった。
「政孝殿、よくぞここまで耐えた。あとは我らに任せよ」
「手柄は我らにも残しておいてくだされ」
景貫殿ら、使番の報せを聞いた方々が兵を引き連れて俺達の元を過ぎていった。そして海の方を見れば城下町の方面へと澄隆殿らが船を出されている。城の南東部の山の中でも何やら銃声が響き渡り、戦いが起こっていることが一目瞭然であった。
そして目の前の北条も何やら尋常でない混乱が生じている様子。
「時忠」
「はっ」
「よくやった。初陣でこの戦は随分と大変であったであろう」
俺は頼安や数人の護衛と共に神社にて反攻の様を見つめていた。もはや北条の逆転の手はない。
兵站を断たれ、前のめりへとなっていたところを背後に奇襲。そして要所に配置していた兵も、こちらの兵により足止めを喰らっているのだ。
勝負はついた。
「いえ、初めての戦はどうしても印象に強く残るでしょう。このような戦であったからこそ、私は多くのことを学び、そして生涯忘れることはないと考えます」
「ならばよい。いずれは時忠にもやって貰う日が来るであろからな」
「・・・お任せを」
まだ頼りない返事である。
だが俺もそうであったし、寅政もそうだった。きっと他の者も同じであろう。多くの経験をして、立派な将へとなっていくのだ。
時忠もいずれ、で良い。
「御味方の勝利にございます!敵は散り散りとなり敗走いたしました!また敵の将も幾人か捕縛しております」
「わかった。要所に兵を残し、他の者は白水城へ入城するよう伝えよ」
「かしこまりました!」
また兵は外へと出て行った。
それにしてもどうにか勝つことが出来た。最初こそ全てが上手くいかぬと思っていたが、忍びが関与している可能性を考え出せた頃より大方全てが上手くいった印象である。
今後も北条を相手取る際にはある程度配慮していかねばならぬ。
「では我らも白水城へと向かうぞ」
「はっ!」
時忠や頼安を率いて俺達も白水城へと入城した。
次なる戦も見据えて。
戸倉城 松平家康
1570年夏
「このまま狩野川に沿って兵を進める。伊豆の南部へと兵を動かし、駿河より相模を目指される本隊の動きを隠すのだ」
「では先導はこの政晴にお任せを」
「うむ、頼りにしている」
先日、北条からの援軍が戸倉城へと入った。援軍の大将は、北条家重臣である清水康英。
政晴はその者を城内へと出迎えると、歓待しているように見せてそのまま襲った。康英は城より逃れたようであるが、右腕の1人と言われた弟英吉を討ち取った。
そして政晴の襲撃により混乱した北条の援軍を火縄銃により一方的に撃ち殺した。これでこの地の我らの動きが一気に注目されたことであろう。
だが未だ足りぬ。もっと目立ち、北にも南にも目が向かぬよう働かなくては。
「忠勝、政晴の後ろにつきすぐさま戦が始められるよう支度を」
「かしこまりました!次こそは我が武をお見せいたしましょう!!」
鼻息が荒すぎる。だがあれで空回りせぬのは忠勝の良いところである。安心して重要な任を任すことが出来る。
勝重殿も難なく泉頭城を落としたよう。このまま兵を数隊に分け、小城を勝重殿にお任せする。我らは敵主要となる城を攻撃し、落とせればよし。落とせずとも敵を引き寄せることが出来れば上々。
それを目指して動くこととなるであろう。
「氏詮殿には我らの隊から離れ、徳倉山の周囲にある城を抑えていただきたい。特に駿河湾沿いにある城は、別働隊にとっても邪魔となりかねませぬ」
「かしこまりました。しかしそれらの城も決して大きくはございません。他、数人をこちらに預けていただければ多くは必要ありませぬ」
「ならば忠次、数正。氏詮殿に従い、沿岸部の制圧を」
「かしこまりました」
「お任せくだされ」
2人が殿の直臣となって随分と経つ。各々が国力の増加を目指し、日々励んできたのだ。
此度動員した兵も三河の者の中では相当多い方である。
この者らが活躍すれば、殿も無下にされることもないであろう。
「我らの目的はかつて堀越公方の御所があった場所である。その地までにある城は全て落とす。派手にな」
「はっ!」
何故かつて御所があった場所なのか。里見のように担ぐべき者がいるわけでも無いが、あの地にまで進めば北条はいよいよこちらを無視出来るような状況ではなくなる。伊豆を制されるということは、北条の本拠地である小田原城にも危険が迫るということなのだ。動かざるを得ぬ。
「みな励むようにな」
ではもう一働きするとしよう。
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