267話 一か八か

 石室神社 一色政孝


 1570年夏


「道房!無事か!?」


 石室神社を包囲するように陣を敷いていた北条方を、俺達も奇襲をもって打ち払った。とは言っても完全撤退にまで持ち込めたわけでは無く、依然この地は危険な場所に変わり無い。


「無事にございます。ですが少々粘りすぎてしまいました」

「あぁ・・・、よくこの地を守ってくれた」

「なんの。これが我らの役目なれば」


 ここまでの道中で気がついていたことであるが、すでにこの地を任せていた者たちは満身創痍の有様である。

 俺達が来るまで耐えることが出来たのは、栄衆や雑賀衆も大きいのであろう。


「道房、負傷している者たちを連れて石廊崎まで退け。あとは俺達が引き受ける」

「殿を置いて下がれるはずがございません。ここに残してください」

「駄目だ、俺達の戦は今後も続くのだ。今道房が無理をして、以降の戦に帯同出来ぬ方が俺にとっては痛手であろう」


 俺の説得により、渋々の様子ではあったが道房は撤退を決意する。

 けが人が集められたのだが、それはここを任せた者たちの大半。どれだけの覚悟で守ってくれていたのかがよく分かった。


「石廊崎までの道中は親矩殿らが守っておられる。安全に退くことが出来るであろう」

「どうかご無事で!必ずや傷を癒やして殿の元へと馳せ参じますので」


 そう言うと道房は多くの兵を引き連れて撤退していった。俺はかつて康用殿らと共に直盛に仕えていた者の1人、鈴木重時殿に命を下す。


「重時殿、この地より西に兵を伏せてください」

「西に?しかし今兵を分けるのは・・・」

「兵を留めておいても何も変わらない。北条を叩くために明らかに大きな一手を打つ必要があるのです」

「この地が落とされるというようなことは」

「万が一にも無い。安心して兵を伏せておいてくだされ」


 重時殿は頷くと、手勢を連れて西へと移動を開始する。

 攻城戦を開始したのは真夜中の話であったが、すでに空は明るくなり始めていた。視界も開け始めて、城も城下町も今の状況がよく見える。


「城は燃えていない。信興殿らはおそらく城を落とすことには成功したはず」

「城下町はほとんど燃えております。ですが民は1人もいた様子がございませんでした」

「その通りだ、時忠。ならば考えられることは1つ」

「こちらの動きが漏れていた、と?ですがそれは・・・」

「内通も疑うべきであるが、それよりも疑うべきは忍びだ。落人」


 既に側に控えていることを知っていた。落人の気配をなんとなく感じた俺はその名を呼ぶ。


「申し訳ございませぬ。風魔の忍びが紛れ込んでいた事に気がつきませんでした」

「お前達栄衆に命じていたのは、外部への工作のみだ。内部を蔑ろにしていたのは間違いなく俺の落ち度」

「いえ、我らは殿の命に従うのみではいけないのです。ですが過ぎたことはどうにも出来ません」

「ならば如何する」

「挽回させて頂きたく。我らの手で間者を消し、殿のお役目をお手伝いさせて頂きます」


 俺が頷くと落人は姿を消した。普段は感情を消している落人であるが、見たこともないほどに悔しげな表情をしていたのがわかった。


「景里、火縄銃隊を神社の屋根裏に登らせよ。敵が攻めてきた際には、上から撃ちかけるのだ」

「かしこまりました!」

「時忠、お前はこの戦の最後をしっかりと見届けよ。必ずや今後の糧となるであろう」

「はっ」


 佐助には、まだ元気な兵と共に木の柵で防衛の備えをするよう命じておいた。多少は攻勢を凌ぐことが出来るであろう。

 そして他の方々にも防衛の備えをしてもらう。水軍衆にも、強襲上陸をされぬよう徹底的に海上を制するよう命じた。

 康直殿を筆頭に水軍衆の活躍が鍵となる大きな仕事だ。

 穴が空いた瞬間伊豆水軍によって、北条の兵が流れ込んでくることとなる。

 それだけは何としても避けなくては。


「ここにおったか。随分と探したぞ」

「これは景貫殿ではありませんか。どうしてここに?」

「探しておったのだ。我らの大将がこのように前線に出ては、それに従う者らは不安がるであろう」

「後ろに隠れて指揮するよりは頼られるとは思いますが」

「それも尤もであるな」


 天野景貫殿は俺の正面に腰を下ろされた。それに続くように康用殿や菅沼忠久殿も座れる。

 景貫殿の家臣の者が、この周辺の地図を広げられた。


「斥候の報せによると、包囲を解いた北条方はここ石室神社と白水城の間であるこの地にて体勢を整えている様子」


 景貫殿が指された場所は、この地よりやや離れた平地であった。


「おそらく推測するに、敵は城と城下を餌に我らを釣ったのであろう」

「おそらくその通りであるかと思われます」

「であるならば、信興殿は城を押さえることには成功しているであろう。挟撃を仕掛けるには絶好の状況であると思うのだがな」

「理想はそうでしょう。ですがもはや白水城城下は北条に押さえられました。ここまで用意が周到であったということは、東の山間部にもすでに兵が向かっているはず。白水城に入った信興殿は間違いなく孤立されている。挟撃するにしても、信興殿の受けるであろう被害は大きなものとなるでしょう」

「であるならば、このまま終わりの見えぬ戦を続けられるのか?ここが決断の時。戦など、被害無しで勝てるものでもあるまい」


 それも当然分かっているが、成功するビジョンが見えない。そもそも今も北条の間者が暗躍している可能性があるのだ。

 この話すらも北条に筒抜けの可能性だって十分にあり得る。

 そうなればこちらが受ける被害は甚大、なんてものじゃなくなる。


「・・・大将は時に非情な決断をしなくてはならぬ。そうであろう?」

「たしかに。ですが間者がいることを考えれば、どうしてもその手を用いるわけにはいきません。ただ・・・」


 俺の中で1つのアイデアが浮かんだ。元々信興殿とだけ話していたこと。

 知っているのは、当時俺の側にいた時忠のみだ。


「ただ、ただなんなのだ」

「こちらの考えを信興殿に察して頂くことは可能かと思いまして」

「それは確実な方法であるのか?」

「いえ、ですがやってみるだけの価値はあるかと思われます」


 俺の表情を見て、そして軽く息を吐かれた景貫殿。両脇に座る両者に目をやり、そして天を仰がれた。


「今の我らに一か八かに乗る余裕は無い。だが別働隊の我らがその任を全う出来なければ、殿の身に危険が迫ることとなるであろう」

「私を信じてください。信興殿はきっと理解してくださる」

「・・・信じよう。だがそれも失敗であると判断すれば、信興殿を残してでも我らは撤退する。それを政孝殿には認めて頂く」


 味方を残しての撤退など、本来であれば当然認められるわけも無い。だがそれほどまでに決断を迫られていた。

 俺は大将として、この地にやって来た多くの兵の命を預かっている。何かを救うために何かを犠牲にすることは当然ある。天秤にかけることだってある。その覚悟を景貫殿に問われているのだ。


「もちろんにございます。大将としての決断を迫られたときには、認めると約束いたします」

「ならば良い、政孝殿が思うがままにやられよ。我らはその判断に従うまで」

「お願いいたします。必ずやこの戦、我らが勝つようにいたしますので」


 景貫殿は頷かれると、他の方達を連れて外へと出て行かれた。

 俺も早速行動を移す。


「時忠、狼煙を上げさせよ」

「狼煙にございますか?いったい何故」

「北条の忍びが知らぬことも当然あるということだ。これならばこちらの考えを漏らすこと無く、信興殿にこちらの状況を伝えることが出来る」

「・・・かしこまりました。すぐさま支度をさせましょう」

「急いでくれ。敵が攻めてくる前にはどうにかな」

「はっ!」


 随分と当初の予定から外れてしまったが、兎にも角にもこの城は押さえなくてはならぬ。

 いずれはこちらの動きはバレるのだ。それが今か後かだけの違い。

 だから俺がすべきことは悲嘆することでは無く、ただひたすらに勝ちを求めるだけだ。

 信興殿、気付いてくれ。




 岐阜城 織田信長


 1570年夏


「暑い・・・」

「大人しくしていてください。まだお加減よろしくないのですから」

「ならばお前も横になれ」

「お戯れを」


 俺が伸ばした手を帰蝶に止められた。それだけでも俺の腕に強烈な痛みが走る。

 顔を顰めたことを帰蝶も分かったのであろう。申し訳なさげな顔をして、俺の手を離しおった。


「しかし俺には時間が無いのだ。今こうしている間にも、各地で戦が起きておる。俺の力を求める者たちがいるのだ」

「ですがその殿が無理をされることを誰も望んでおりませぬ。ですからしっかりとその傷を治し、熱を下げてください」


 濡れた布を俺の頭へと押しつける。絞りきれておらぬそれは俺の頭を酷く濡らした。

 侍女にやらせれば良いと言ったのだが、それをさせることはない。

 既に数日、帰蝶はこの様子なのだ。


「今川が北条へと兵を進めた。上杉が越中への出兵を決めた。三好が京を支配し、平島公方家は念願の入京を果たした。だが俺はどうだ?こうして布団の中で何もせずに無駄な時間を過ごしておる」

「私にとっては無駄な時間ではないのですが」


 帰蝶が何か言ったようであるが、声が小さすぎた。何を言っているのが全く分からなかった。

 俺は僅かに頭を上げて帰蝶を見たが、肝心の帰蝶は俺の顔を見ずに目を背ける始末。帰蝶の顔をこちらに向けるべく、腕を顔へと伸ばしたがまたもその手は帰蝶に掴まえられた。

 そんなことを何度か繰り返していたとき、外から秀貞の声が聞こえる。


「あの方々は帰られました。これで3度目の使者にございます」

「知っておる。だがあまりに時が悪すぎた、あれを処理する前に体調を崩してしまうとはな」

「仕方なきことにございます」

「まぁ良い。今日も帰ったのであろう?あまり邪険にも出来ぬが、あの者と会ったなど聞けば、アレがまた五月蠅く騒ぐ」

「会わぬ事こそが吉であると?」

「その通り。だから今後も追い返してくれれば良い、それとなく観音寺城のアレらにそのことを伝えてくれれば良い」

「かしこまりました。ではそのように」


 秀貞は出て行き、また帰蝶が俺の隣へと腰を下ろす。


「よろしいのですか?公方様の御使者様を追い返すような真似をしてしまって」

「その内敵対するのだ。今近づくと碌なことにならぬ」

「ではまた畿内にて戦にございますか?」

「その前に朝倉と北畠をどうにかせねばな。だから俺はここで寝ているわけにはいかぬ」


 再び起き上がろうとしたが、腰を上げた帰蝶が俺へと身体を動かした。また布団に戻されるのかとも思ったが、少々俺の思っていたものとは違ったようだ。


「如何したのだ?横になるのは嫌だと言っておったではないか」

「この傷が治れば、再び戦場へと赴かれるのでございましょう?なればこうしていられるのも今だけ。今だけはお許しください」


 帰蝶の腕が俺の腕を押さえて多少痛みはあるが、今は何も言わずに話を聞いてやっても良いか。

 帰蝶の言うように、俺が城にいる時間などたかが知れておるのだからな。

 しかし帰蝶が腕の中にいるからか、余計に暑い。

 傷よ、早う治るのだ。

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