266話 不気味な夜

 白水城城下周辺 一色政孝


 1570年夏


「如何いたそうか?」

「・・・やらねばなりません」


 信興殿が城攻めに集中出来るよう、城下町を焼く役目をすることとなった俺達であったが、物見の者からの報告に二の足を踏んでいる状況であった。

 先鋒として陽動隊の先頭を行く予定となっている親矩殿や、それに続く方達は俺の判断を待っている。


「でなければ、信興殿らは無謀な突撃を行うこととなります」

「だが物見の報せを気にせずというわけにもいかぬ」

「あまりに静か、ですか・・・。時間を考えればおかしな話でもありませんが」


 こちらの姿を隠してくれる真夜中。さらに自然も味方して今日は新月。

 真っ暗闇の行軍はあまりに危険であったが、現地の協力者を雇い入れることでそれをある程度はどうにかなった。

 だが今俺達が直面している状況はあまりに軽く考えることが出来ない事案。


「本当にあの地に人は住んでいるのであろうな?」

「澄隆殿が数隻の船を押さえております。それらは間違いなくこの地の民のものでした」

「ならばどういうことか・・・」


 人の気配がいっさいしないという。だが城下町を空にするなど正気の沙汰では無い。まだ伊豆南部では戦の兆候すら無い段階であるのに・・・。


「迷っていても仕方ないか・・・。我らが警戒しながら城下町へと進む。信興殿の到着が確認でき次第、火を放とう」

「親矩殿・・・。わかりました、何かあれば後方より援護いたします。あまり無理だけはなされぬよう」

「わかっておる。お前らも無茶するなよ」


 親矩殿は他の方々にも声をかけて、味方を鼓舞された。

 俺もその気遣いに感謝しながら、頭の中で確認し直す。ここまでで決めた様々な攻略案と、万が一の時の撤退案。

 そして城を信興殿が落とした際の、今後の展開。

 迅速に、確実にこの地を制する。


「みなみなさま、城下町へと参りましょう」

「「応!」」


 各々が外へと出て行かれる。

 そのまま城下町へと進軍しているのだが、木々の隙間より僅かに見える白水城の一角を見上げた。

 不気味に光る城。物見の報告と頼安の勘が頭の中を駆け巡る。


「時忠、万が一の際にすぐさま兵を前へ動かせるようにしておけ」

「かしこまりました」


 緊張した面持ちで俺の背後を歩く時忠は頷く。だが緊張しているのは時忠だけでは無かった。


「頼安、俺のことだけを考えすぎるな。人が死なぬ最良の行動をせよ」

「はっ!」


 しばらく歩く。前の方の兵は足を止めた。

 どうやら森を抜けたようである。斜面の下に見えるのは白水城の城下町だ。

 かつての一色の漁村より少し発展した程度の規模であるが、やはり人の気配などなくただただ静寂が流れている。

 しかし信興殿もそろそろ東の土塁側へと付く頃合いだ。迷っている暇は無い。


「・・・全軍に合図を。城下を焼き払え」

「かしこまりました」


 使番からの言葉を合図に、城下町を取り囲むように南東に展開した俺達陽動隊は、弓に火をつけて構えた。

 遠く離れた山中にも赤々と燃える矢であろう物が見える。

 準備は万端だ。俺達の斉射が火を放つ合図、民が慌てて逃げたとしても俺達がそれを追う必要は無い。


「佐助、合図を」

「はっ!」


 スゥーッと息を吸った佐助。そして次の瞬間、一色の兵全員に聞こえるほどの声をあげた。


「放て!!」


 弧を描くように放たれた矢は、家屋の屋根へと突き刺さる。それ以降は言うまでも無い。

 火は燃え移り、一気に広がる。この時代の建築であれば、一度火がついてしまえばもはや留まることを知らない。

 延焼を繰り返し、城下はまさに火の海となった。


「やはり人が逃げてきませぬ」


 頼安の言葉に俺も、そして俺以外も頷く。これは嫌な予感だ。

 何度か頭をよぎったが、いよいよ罠である可能性が現実味を帯びてきた。


「殿!白水城に火の手が上がっております!小笠原様の城攻めは成功したのでしょうか!?」

「・・・」


 時忠の叫びに、俺は城を見あげた。

 たしかに城は燃えているようだ。だが何かが引っかかる。

 そもそも城下町が燃え始めてそれほど時間が経っていない。敵の目をこちらに向けることに成功したとして、そうも簡単に城が落ちるのだろうか?

 そもそも今思えばあまりにこちらに都合良く話が進みすぎていた。


「狼煙が上がったか」


 これは信興殿と決めていた約束。城攻めに成功した際には狼煙を上げてもらうようにしていた。

 俺達がこれからどう動くかが変わってくるからだ。


「ということは白水城は制圧したということでしょうか」


 初めての御味方勝利に時忠は目を輝かせた。だがどうやら状況が変わったらしい。


「時忠、全軍に命を下す。急ぎ城下の港へ兵を集めよ。撤退するのだ!」

「て、撤退にございますか!?城を落としたのでは?」

「狼煙が2つ上がった。あれは俺達に危険を知らせるもの。どうやら城攻め隊も何かあったようだ」


 時忠は2つ目の狼煙を確認すると、俺達が決めたルールを思い出したようで、慌てて使番を用意した。

 俺の慌て様を見て、一色の兵が動揺しする。

 そのとき、城下の西より何やら叫び声が聞こえた。雄叫びか、それとも悲鳴か。


「・・・気づくのが遅かったか!!佐助、すぐさま兵を率いて親矩殿の援軍へ迎え」

「かしこまりました!」

「頼安、俺のことはお前に託す。俺を守ってくれ!」

「お任せを!必ずや殿をお守りいたします」

「奴らは俺達の動きに気がついていた。間者か内通か・・・、どちらにしてもやられたな」


 すでに港に兵助が撤退用の船を用意して待っているはずだ。俺達が完全に殲滅されることは無いであろうが、それでも多少なりとも被害は出るであろう。そして何よりも、俺達の動きが北条に知られてしまった。


「火縄銃隊を側面に展開せよ。抱え大砲隊は上空に向かって5発鳴らせ!城攻め隊も含めて撤退だ!」

「政孝殿!港の制圧はすんでおります、急ぎご移動くだされ」


 近藤康用よりそう報される。俺達はジリジリと見えぬ敵と戦いながら港へと移動した。

 燃えさかる火のおかげで、港までの道筋はしっかりと見える。

 しかし戦いながら船で逃げるのは、あまりに危険であるかと思われた。だがそれは俺の悲観的な思考がもたらしたただの妄想。俺は兵助ら、水軍衆の力を甘く見ていたようだ。

 直後轟音が鳴り響く。音の発生源は港、いや船の上。


「ご無事で何よりでございます!今、兵助様のご指示で敵がいるであろう方角の後方に向けて、抱え大筒を放っております。敵は混乱しておりますので、撤退するならば今しかございません!」

「よくぞ報せてくれた!急ぎ船へと乗り込め!誰も残してはならぬぞ」


 俺の言葉に従い全軍が船へと兵を退く。先鋒として、真っ先に敵の奇襲を受けた親矩殿らも最大限の警戒をしていたためか大きな被害は受けていない様子。


「親矩殿、これより石室神社へと向かいます!敵が立て直し、石廊崎へと向かわれれば我らの別働隊の任は完全に失敗となる」

「城は信興殿らが押さえているのであろう?ならばどうにか反撃出来ぬか」

「出来ましょうとも。そのためにも此度やってくるであろう攻勢を防がねば」


 澄隆殿が守る上陸拠点には戻らず、そのまま西に進み石室神社を目指す。ここまでこちらの動きがバレていたのだ。

 石室神社に陣を敷いていることも、石廊崎に上陸拠点があることもおそらく・・・。


「彼の地で敵を食い止めましょう。信興殿が必ずや何かやってくれるはず」


 今の俺にはそれを願うほか無い。

 それと水軍を集めて、伊豆からの撤退の支度を進める。しかしそれは俺達の任の失敗を意味した。


「やるしか無かろう。ただし政孝殿、死ぬのは今では無い。これ以上は戦えぬとなれば、すぐさま撤退も視野に入れられよ」

「分かっております。親矩殿も先鋒として無理だけはされぬよう」


 2人でうなずき合い、俺達は石室神社への道を急ぐ。

 すでにあの地でも火の手が上がっていた。


「道房、死ぬなよ」


握りしめる手は、いつの間にか爪が皮膚にめり込むほどへとなっていた。

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