265話 橋頭堡の確保

 石室神社 一色政孝


 1570年夏


 澄隆殿に上陸拠点の防衛を任せた。彼の地は俺達にとっての生命線であり、海上からの攻撃にも備えなくてはならない。

 相模灘の海上警戒の指揮は安倍七騎筆頭である在重殿に、遠州灘の退路確保の指揮は水軍の扱いに長けた吉次殿に、そして水軍衆の中で最も序列の高い康直殿が俺不在時の水軍総指揮をとる。


「この地より迅速に北上し白水城を落としたいところ。ですがかの城の南側は分厚い土塁があり、攻めるには向いていないでしょう」


 俺は偵察に向かった者の話から城の大まかな備えを紙へと描く。小高い丘に築かれた城であるが、城の東から南にかけて土塁があるらしい。

 しかも絶壁の城山に築かれているため、攻め口は限られていた。


「北から攻めるしか無いでしょうな」


 信興殿は俺の描いた城の絵を叩く。北には虎口がある曲輪があるのだが、城に侵入する上で1番守りの厚い場所であることも確かなのだ。

 攻め口が限られたこの状況、折角ここまで隠密で行動していたというのに、敵の思うがままの攻めでは意味が無い。


「白水城の城下より出てくる船を必ず石廊崎の上陸地点周辺で捕縛させよ。奴らに異変を感じ取られるな」


 俺は側に控えていた時忠にそう命じた。時忠は使番を澄隆殿に走らせ、俺は改めて地図と城の外観図を眺める。


「城の東は土塁があれど、自然の地形を用いているためかそこまで突破は難しくないように思えます」

「東?だがあちらに向かうためには城下を抜けねば行けぬであろう。こちらの動きを知られるのではないか?」

「一度上陸地点に戻り、船にて対岸の鷲ヶ岬へと向かいましょう。山中を抜けて白水城の東に出るのです」


 俺は予め用意していた地図を叩く。白水城は石廊崎と鷲ヶ岬のちょうど付け根のような部分にある城だ。

 石廊崎を制している俺達であるから、間違いなく実行することが出来るはず。


「この地は如何する」

「上陸拠点の壁となる地。手薄には出来ないでしょう」

「ならばどうするのだ。城攻めのために人を割くことは出来ぬが」

「私の家臣を残します。この地を死守する必要は無いので、周囲の警戒さえ怠らなければ、それほど難しい任でも無いでしょうから」


 時忠に道房を呼ばせる。呼ばれてやって来た道房は俺からの命を聞いて頭を下げた。道房には数人の栄衆を付け、周辺の情報収集は入念にするようにも言った。

 大丈夫であると思うが、少数での防衛は道房にとってはあまり経験のない任である。何度もしつこいくらいに言っておく。


「殿、お任せください。必ずやその任を全ういたしますので」


 道房と信興殿が元より石室神社に連れて来ていた雑賀衆を置いて俺達は上陸拠点へと撤退した。

 先に使番が来ていたため、澄隆殿が海域の封鎖の指示を出している。

 すでに数隻の船を捕縛しているが、その者らは北条の兵では無い。今は情報を漏らさないために捕らえているが、城が落ちればその必要も無くなる。

 澄隆殿にもまた、捕縛した民は丁重に扱うように伝えておいた。


「何かあったのですか?」

「これより対岸へと兵を移し、東より城攻めを行います。少々時間を使ってしまったため、急いで渡ろうと思うのですが空いた船はまだあるでしょうか?」


 俺の問いに澄隆殿は崖下に泊まっている船を数隻呼んだ。かろうじて乗船出来る場所へと移り、一気に兵を船に乗せる。そしてそのまま目の前の鷲ヶ岬へと移った。


「信興殿は別働隊の一隊を率いて北進。我らが城下町に火を放ち、敵の目を南へと集めましょう。敵影が少ないと思えば、すぐさま攻撃を開始してください」

「かしこまった」

「敵が逃げれば、我らの動きを小田原の北条に知られるところになる。故に城門から敵を出すこと無く制圧するのです」


 難しい話ではある。当たり前だ。

 目立たず城を落とすというのがそもそも難しいのだ。にも関わらず、さらに難しい誰も城から逃がすなと言っている。

 どうやっても不可能であるとさえ思えた。


「城下町を焼くのにこれだけの兵は多すぎます。私が兵を分け、いくつかの城門を押さえましょう。信興殿は迷わず城に乗り込まれませ」

「あい分かった!ではこの城は俺の手柄とさせて貰う」


 信興殿は立ち上がると、仮設置の陣から出て行った。俺も陽動に割り当てた自身の兵を分けた。一部は信興殿に従い城の東へと移動させる。

 その後は城門のある各方面へと展開させ、信興殿が城に乗り込むのと同時に門を制圧させるのだ。これで城内に逃げ道などが用意されていない限りは、敵を取り逃すことは無い。


「我が配下より報告にございます」

「報告?如何した」

「狩野川で松平家康率いる陽動隊が、北条の援軍とぶつかりました。戸倉城内に入った清水康英隊を、笠原政晴が襲撃。康英の弟である英吉を討つなど、大打撃を与えたとのこと。また城外でも火縄銃による攻撃で、一方的に敵を打ち負かしたとのことにございます」

「大きな成果だ。北条の目はあちらに向いたか?」

「おそらくは」


 俺は陣から出て、移動の支度を始める。時忠も再び使番を走らせて各隊に先ほどの命を伝えさせた。


「だがまだだ。こちらの動きを知られるのはもう少し後が良い。敵が伊豆を縦断している内に、伊豆の大半を我らで抑えるのだ」


 ちなみに沼津城に待機している兵がいくらか残っている。俺達の活躍次第で、伊豆を支配するべくこちらへ乗り込んでくる手はずとなっている。


「ではもう少し煽るといたしましょう」

「あぁ、極力兵を家康の方へと向けさせよ」

「はっ」


 落人は姿を消し、代わりに頼安が俺の前へと現れた。戦の最中で俺を護衛する役目を負うのは、昌秋では無く頼安だ。所謂馬廻りと呼ばれるそれである。


「先ほど使番の者より聞きました。我らは陽動であるとか」

「その通りだ。城下町を焼いて城兵の目を南に向ける。信興殿が東より攻めやすくなるようにな」

「では殿はお下がりくだされ。何やらあの城、不気味にございます」

「不気味?」


 頼安はかなり曖昧な言葉を使った。そんなもので納得出来るはずも無い。

 何か明確な根拠が必要である。


「言葉では上手く言えませぬ。ですがこれまで培ってきた勘であるとしか言えませぬ」

「勘か・・・」


 頼安は父の代より戦場で功を上げてきた者の1人。いくら勘という曖昧すぎる言葉であっても蔑ろにすることは出来ない。

 難しい状況であった。


「頼安、その勘があるのだとしても信興殿が最も危険な役目を負うのに、俺が安全な場所からそれを眺めることは出来ぬ」

「ですが・・・。いえ、殿はそういう御方にございました。何かあれば我らがお守りいたします。ですのでお役目を全うしてくだされ」


 頼安は俺の意思が折れないことを察して、頷いてくれた。

 だが俺だってその助言を無視するわけでは無い。一応防衛策を練り、撤退の支度もきちんと用意しておく。

 助言は素直に受け入れて、万が一は想定しておくべきだ。

 頼安と分かれた俺は、岸に接岸している船の中に一色の船があることに気がつく。よく見てみると寅政配下の兵助であった。


「兵助!」

「殿?如何されました?」

「頼安からの助言があってな。一応最悪は想定しておこうと思ったのだ。俺達が山中を抜け城下町へと出たときに、お前達も城下町の港へと船を動かせ。逃げる民が船を用いて脱出しようとしても捕らえる必要は無い。それは背後に任せよ」

「では我らは何を?」

「俺達が撤退しなくてはならない状況に陥ったとき、すぐさま船に乗せることが出来るように支度をしておいて欲しい」

「かしこまりました。では寅政様にもそのようにお伝えいたします」


 だが俺は首を横に振った。寅政はたしか別任務でこの付近にいないはず。

 兵助は留守番でこちらに残っているのが現状だ。


「兵助、此度はお前に任せたい。ここに残っている寅政配下の水軍衆の権限を一時的にお前に託す」


 その言葉をこの場にいる者たちにも言った。兵助もその腕を認められている1人であり、特に異論が出ることも無い。

 寅政が目立っているだけで、兵助も十分にやってくれているのだ。そしてそのことをここにいる者たちは理解している。


「私でよろしいのですか?」

「あぁ、いずれはお前にも任せたいことがあるのだ。だから此度は兵助にやって貰いたい。俺達の命、お前にも託すぞ。万が一の時にはな」


 俺は兵助の肩を2度叩いてその場を離れる。背後で深く頭を下げている兵助の覚悟を感じながらな。

 ではそろそろ移動を開始する。

 まずは橋頭堡の確保から始めよう。

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