264話 伊豆侵攻

 伊豆国石廊崎 一色政孝


 1570年夏


「いやはや絶景絶景!」


 伊豆最南端であると思われる石廊崎いろうざき。俺達は、少数で巡回中であった伊豆水軍を破り、この地へと上陸した。断崖絶壁より見下ろせるこの場所から海を見ると、沈み掛けた船や燃え上がる船、そしてあちこちが粉砕した船らしき残骸があちらこちらに浮いていた。

 さらにこの地より目と鼻の先に白水城がある。

 海路を用いた攻撃を予想していなかったのか、はたまた伊豆水軍をもってすれば奇襲上陸などあり得ないと思われていたのか、かなり手薄な防衛であったのだ。

 俺の隣で騒いでいる男は鈴木すずき重秀しげひで殿。雑賀孫市とも呼ばれる雑賀衆の有力者である。

 此度傭兵を率いてきたのはまさにこの男であった。それと俺の要請通り吉次殿が水軍衆を率いての参陣だ。


「抱え大筒の運用について水軍で用いることに懐疑的な意見が多かったが、これならばみなも納得するであろう」

「それはよかった。相手が少数であったとはいえ、天下に名の知れる伊豆水軍の一隊。それをこうまでも蹴散らしてしまうとは大したものです」

「そうであろう、そうであろう。守重が見たがったことも納得である」


 また重秀殿は笑った。それも豪快に。


「それでここから如何するのだ、大将殿?」

「とりあえずこの地に拠点を設営いたしましょう。とは言っても敵がこちらの動向を知る前に白水城を攻略する必要がある」

「ならば我らも手伝おう。おい、吉次」

「聞いておりました。では皆様、今川家の方々に協力し敵に備えるのです」


 そんな具合にことは進んでいく。

 俺は別で別働隊にも指示を出した。周辺の偵察をする兵、拠点の設営をする兵、水軍衆はこのまま相模灘へと船を出し偵察の任につける。


「信興殿、万が一の襲撃に備えてこの先にある石室いろう神社に陣を張ってください。ただし神社の者に対して手荒なことは無しでお願いします」

「かしこまった。雑賀の者も少々連れていっても良いだろうか?」

「はい、ただしそれは重秀殿と相談の上でお願いします」


 頷いた信興殿はそのまま重秀殿の元へと歩いて行く。一色から連れて来た者で、此度俺の側にいるのは道房でも佐助でも無く時忠だった。俺も教えを請う立場から、教える立場へと変わった故の事。

 時忠も此度が初陣となるため、俺の側で戦場を勉強せよということだ。


「時忠、落人を呼べ」

「かしこまりました」


 兵に紛れて落人もこの地へと入っている。それは何故か、井伊直盛がしていることを俺達もするためだ。

 重治からの情報によれば、前の御家騒動において大方の反氏政派であった者たちは氏康の調略によりまとめて滅んだ。

 だがやはりというか、それに乗らずにやり過ごした者たちも一定数いる。特に伊豆は戦乱に巻き込まれなかったため、そういった者たちが多くいるのだという。


「お待たせいたしました」

「よい、それよりもこれより我らはこの地より北進する。伊豆各地にいる北条に不満を持つ者たちを煽らせよ」

「かしこまりました。寝返ることを申し出た者に関しては如何いたしましょうか?」

「とりあえずは受け入れる。その後は氏真様にお任せするから気にせず味方を増やすのだ」

「はっ」


 落人は姿を消した。残された俺達は、拠点の設営具合を見るため見回りを開始するのだった。




 駿河国狩野川 松平家康


 1570年夏


「戸倉城主、笠原かさはら政晴まさはるにございます。我ら戸倉城兵はこれより今川様にお仕えしとうございます」


 私の前に跪く男は、狩野川を越えた先にそびえ立つ戸倉城の城主であるという。

 笠原といえば北条の中でも重臣のお家柄。そこの当主がこちらへ寝返ると申し込んできた。私だけの判断でいえば、間違いなく認めることは無かったであろう。

 あまり近くに置いておくにしては危険である。寝返りを許さず、城を落として今川方とする方が良い。と、考えたに違いない。

 だが政孝殿が海へと発たれる前に言われていたことを思い出したのだ。

 国境を守る笠原家は割れている。先代笠原康勝は、北条氏政の信頼厚くそれに応えるべく懸命に仕えている。

 しかし松田家より養子として笠原家に入った政晴は、前の御家騒動において氏康に加担しようとしていると噂が立ち一時期監禁されていたのだそうだ。

 その後証拠がないということで解放されたようであるが、以降笠原家では康勝・照重親子と政晴で対立していると言われていた。


「味方となってくれることは嬉しい限り。であるが信用は未だ出来ぬ」

「それも当然のことにございます」

「ならばその証を私に見せよ。どうするかはすべて任せる」

「お任せくだされ、ですが少々刻を頂きとうございます」

「監視だけはつけさせて貰うぞ」


 その条件を政晴は了承し、戸倉城へと戻っていった。


「殿、あの様な話を信用されるのですか?」

「政孝殿がそう言われていたからな。ある程度は疑いの目で見るが、成果を出したあかつきには我らの傘下として扱おうとは思っている」

「では城攻めはまだにございますか」


 忠勝は残念そうに陣の外へと出て行った。入れ替わるように忠次と雑賀衆の守重殿が入って来られる。


「家康様、川に配置した火縄銃隊にございますが万全の支度をすましております。万が一戸倉城に北条より援軍が参ったとしても、この距離ならば対岸まで届くかと」

「わかった。守重殿も手伝って頂きまことにありがとうございます。何分火縄銃の勝手が未だ分からぬもので」

「それは当然のことでありましょう。いずれは政孝殿のように扱えるようになるはず。そうなれば」


 よからぬ笑みが漏れておった。あれはたまに政孝殿が見せる目と同じである。

 物を売りつける目。まさにそれ。


「まぁいずれはそのようになりたいものでございますが」

「なるなる。楽しみよ」


 守重殿は笑って陣より出て行かれる。忠次は幾分か申し訳なさげに頭を下げた。

 私が気分を害したと思ったのであろうか?だがそのような気遣い無用であるのだ。今となっては忠次は私の家臣では無いのだからな。


「守重殿の事はさておき」

「はい。氏真様が率いられる本隊は山間部へと兵を進められた様子。それと武田家も武蔵国境へと兵を進めていると報せが参りました」

「いよいよ、なのか。それで敵の目はどれほどこちらに向けられそうか?」

「今はまだ。ですが伊豆南端に上陸を試みる別働隊の存在を知られるわけにはいきません。戦うことがあるならば、それはもう派手に参りましょう。ここでの戦が北条領の全域に広がるほどに」

「それが重要であるな。とにかく戸倉城の動きがあり次第、次の動きを考えねば」

「はい。それと勝重殿の隊は泉頭いずみがしら城の側へ移動が完了したとのこと。柿田川を渡ればすぐさま攻撃が可能とのことにございます」

「わかった。こちらが動き次第、勝重殿にも攻撃指示を出す」

「ではその支度を進めておきます。政晴殿の事、何事も無ければ良いのですが」

「証が何であるのか、楽しみであるな」


 さて、我ら陽動隊。派手にいくとしようか。




 ~挨拶~

 今年の投稿はこれで最後となります。

 このシリーズを書き始めてはや半年ちょっと。随分と書いたものだと自分でも感動していますが、物語自体はまだまだ続きます。

 来年もどうかよろしくお願いします。そして良いお年を。

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