対北条戦
263話 今川一門衆
沼津城 一色政孝
1570年夏
関東に潜入させた重治からの情報によると、やはり東駿河を中心に北条への寝返りを工作していたのは井伊直盛であったらしい。
だがその工作自体はあまり上手くいっていなかったようで、唯一の成果とされていた氏元殿の離反も、今川・武田両家が迅速に実行した武田義久の養子入りにより立ち消えとなった可能性は非常に高いとのことだ。
重治はもうしばらく関東諸国の情勢を見た上で戻ってくるらしく、定期的に供として同行させている栄衆の者が報告を持って大井川城へと戻ってくると先日の報告に書いてあった。
そしてその武田義久であるが、氏元殿の娘であるふちと婚姻を結ぶとそのまま葛山城へと入城。名を
ただ独り立ち出来るまでしばらくは、養子入りの際に武田家より同行した御宿友綱殿が葛山家の差配をすることとなる。
そんな感じで事は進み、いよいよ北条との戦がおころうという夏のある日。
俺達は最前線の城の1つである沼津城へと入っていた。
「お初にお目にかかります。武田より今川様のお力となるべく馳せ参じました。小山田信茂と申します」
「これはご丁寧に。一色政孝と申します」
人が揃うまでの間、城の庭にて火縄銃の手入れをしていた。ちなみに先日、吉次殿に頼んで俺用の火縄銃を用意して貰ったのだ。
そんな俺の側にやって来たのは小山田信茂。史実で勝頼を裏切り、織田信忠により処刑された男だ。
だが現状の印象ではそのような不義者の印象は抱かない。むしろ好青年、いや俺より少し上であるから・・・。まぁ良いか。
「政孝様のお話は色々と聞いております。先日も大井川の商人を甲斐へと派遣してくださったとか。おかげで甲斐の民は餓えること無く生きていくことが出来ております」
「お礼は商人らに。私は甲斐への道のりを歩いておりませんし、山も越えておりません。それに商人らに支えられているのは我らも同じ。あの者らには頭が上がりませぬ」
「まことにその通りにございますな」
やっぱり嫌な感じはしない。土壇場で裏切られるとか、そんな予感もしなかった。そう俺の勘が言っている。
「それで姫様は寂しがられておりませんでしょうか?」
「菊にございますか?毎日楽しそうにしておりますよ。こちらに迎えてからというもの、全てのものが目新しいようで」
「それはそれは!いゃ、安心いたしました。ご隠居様も不安に思われていたようなので・・・」
ちなみに信玄はすでに甲斐を発っているらしい。どこに行ったのかまでは追っていないのだが、おそらく武田に縁のある公家を頼って京へと向かったのではないかと個人的には思っている。
「甲斐に行く機会があるとするならば、その時は菊も同行させましょう」
「それはまことに嬉しい限り。みなも喜びましょう」
なんて信茂殿と語り合っていた。
ちなみに此度この城に集まるのは、家康を中心とした三河の家臣達。そして遠江の一部の家臣だ。
高遠城へと入られている氏俊殿は上杉家の警戒のため此度は参戦せず、氏真様は葛山城の側にある
対してこちらの城は基本的に別働隊と陽動隊が集まっており、別働隊は海を用いて伊豆の最南端へと上陸する。陽動隊はこのまま狩野川を渡り、伊豆国境部にて警戒している北条隊を引きつけるのが役目とされている。
陽動隊の大将は家康であり、旧松平家臣らを連れての行軍となる予定だ。
俺は別働隊の大将を任され、これから最近整備された沼津港より船を出し、伊豆最南端を目指す。上陸後に攻める城はいくつか候補があるが、下田城か白水城のどちらかを落としておきたいところ。
各家の整備した水軍衆も俺の指揮下に入る。別働隊にとって海域の制圧は生命線となる。下手をすれば先日の北条のような惨状になりかねないからな。城を落とす事が出来なかった場合、港と海を制していなければ退くことも出来ない。
だから水軍の扱いに慣れた俺が別働隊の大将に任じられたのだ。
「松平家康、ただいま参上いたしました」
「お待たせいたしました、酒井忠次にございます」
その後も三河の家臣らが続々と到着してきた。広間いっぱいに集まっており、俺と家康がその者たちの前へと出て軍議を行った。
とはいえ、すでに何度も話し合った内容である。ここでしているのは最終確認だ。
「我ら別働隊の命運は、水軍の活躍と陽動隊がどれだけ敵の目を駿河国境に向けられるかが鍵となる。こちらの動きを勘づかれれば、俺達の命は無い。家康、俺はお前を信用しているからな」
「もちろんにございます。陽動とはいえ、1番良いのは我らで伊豆を制すること。そうすれば山間部より小田原を目指される殿の負担が軽減される。みなも奮起するのだ」
家康からの檄に広間の家臣らが「応!」と答えた。
その後も細やかな点を詰めていき、翌日には城を発つことが決まる。みなが解散した後、俺の元には数人の方々が集まってこられた。
1人は家康であるのだが、他に小笠原信興殿や瀬名氏詮殿、そして牟礼勝重殿ら一門衆の方々ばかりだ。ちなみに俺達は比較的歳が近い。
「如何されたのです?みな揃って」
「なに、こうして今川家の一門に連なる者が揃ったのだ。話をするくらい良いであろう」
「本当であれば酒を飲みたいのだがな・・・」
信興殿の言葉に、家康が複雑そうな表情をした。そのことに気がついたのか、勝重殿が酒を飲みたいと小さな声でこぼされる。
だが勝重殿、尋常では無いほどに酒に弱いのだ。ちょっと飲んではすぐに呑まれる。顔を真っ赤にして記憶を飛ばされるのだ。
そのことをみな知っている。最近は特に祝い事が続いたからな。
だから皆して笑ったのだ。
「まぁそこに腰を下ろしてくだされ、我ら別働隊の朝は早いため遅くまでは語り合えませぬが、多少ならば良いでしょう」
「ではでは」
氏詮殿が遠慮無く腰を下ろすと、他の方々も一様に腰を下ろす。
酒は出せぬが、茶を用意させてみなで車座にて語り合った。
「それにしても此度は雑賀の傭兵まで連れて来たのですか」
「勝重殿、あの者らは非常に優秀にございます。我らと行動を共にしておれば、その言葉の意味を知ることが出来たでしょうに」
「・・・それは残念なことをした。だが岡部様が申されていた。『火縄銃の恐ろしいところは農民でも人を簡単に殺せるところである。そのような武器を扱いに長けた者らが持てばどうなるか。俺は井伊谷城でこの世のものとは思えぬものを見た』と」
「井伊谷城での火縄銃の扱いは稀にございますよ。城1つ落とすために、あれほどまでに撃ち続けるのは火薬の無駄にございましょう」
未だ一色の鉄砲隊を見たことが無い勝重殿は、まだ元信殿の言葉の意味が分かっておられぬ様子。
もはや今川家中においても一色が運用する火縄銃は数も質も圧倒的に違う。ずば抜けているのだ。
火薬も弾も雑賀より買い、不足することも今後は無いだろう。信長が浅井を通じて国友の支援を始めると言っていたが、俺が金を払いまくっている影響も多少はあり雑賀の火縄銃はもはや国友や堺すらも凌駕するレベル。
「信興殿は是非ともその目に焼き付けて頂きたい。そして小笠原家でも火縄銃の購入をご検討を」
「父上は火縄銃の購入に足踏みしておりましたが、私は違います。此度の戦で火縄銃の強みを知ることが出来れば、城に戻り次第検討いたしましょう」
「お願いいたします。ちなみに家康は此度いくらほど持ってきたのだ」
なんとなく居心地が悪いのか、家康は黙って茶を飲んでいた。この中にいる人物に限っていえば、そこまで家康に悪い感情を抱いていないものだと思っている。氏詮殿なんかは幼少期を多少なりとも共に過ごした仲であるからな。
「此度は80ほど。我らは平地にて戦うこととなりますので、もう少し用意したかったのですが」
「ならば雑賀の傭兵を少し残すとしよう。俺は今回300ほど持ってきている。雑賀衆も含めるとさらに増える見込みだ。待ち受けるならばともかく、足を止められぬ状況で火縄銃ばかりあっても困るからな」
まだ雑賀衆は合流していないが、明日の早朝には沼津港へとやってくる予定となっている。
誰が率いてくるのかは聞いてはいないが、久しぶりに守重殿と会いたいと思った。
「では遠慮無く頂きましょう」
家康の言葉に俺は頷いたが、信興殿は「300丁・・・」と絶句しているようだ。
だが一色の金で購入した火縄銃の総数はもっと多い。信濃の城に配ったから一色家でそこまで所持しているわけでは無いが、全てを合せると本当に1000をも越えるのではないかと思わされた。
ちなみに抱え大筒も雑賀衆が本格的に増産し始めたようで、数十隻編成した安宅船に十分積み込んでいる状況だ。
「皆様、今日はもう遅い。明日に備えて今日は休まれませ」
「たしかに。思ったよりも話が弾んでしまったな」
湯飲みを傾けながら、残った茶を一気に飲み干した勝重殿は俺に軽く礼をした。俺もそれに返すと、みなが姿勢を正して顔をつきあわせる。
「今川の繁栄のため、此度の戦も勝ちましょう。そして次にこうして集まった際には、勝利の美酒に酔いしれましょう」
俺の言葉に全員が頷く。
「必ずや勝つ!」
「「「「応!!」」」」
部屋の中で収まるほどの声で俺達は気持ちを揃える。
さぁ明日にはいよいよ北条と戦が始まる。必ずや勝とう。
※明日の投稿ですが、諸事情により投稿出来る状況に無いと思われるので30日日中の更新、または1日休んで大晦日が次の投稿になるかも知れません。把握のほどよろしくお願いします。
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