231話 目前にして

 飯盛山城 足利義助


 1569年冬


 飯盛山城にて長きにわたって足止めを喰らっていた兄上より文が寄せられた。

 阿波平島に残っていた私にとって、兄上の置かれた状況は驚くべきものであったのだ。義秋を擁する織田の勢いを警戒し、入京出来ぬと聞いてはいたがまさか病であったとは・・・。


「お待ちしておりました。義栄様はこちらにございます」


 三好の重臣、篠原長房に出迎えられた私は兄上が伏せっておられる部屋へと案内される。部屋に入った時、かつて阿波国にて日ノ本を平和な世にすると息巻かれていた兄上の姿はもう無いことにすぐに気がついてしまった。


「義栄様、義助様がご到着されました」

「兄上、お待たせいたしました。弟の義助、ただいま参りましたぞ」


 長房曰く、背中に大きな腫れ物があるのだそうだ。故に一度寝転んでしまうと、簡単に身動きがとれぬらしい。

 兄上は目を開けられはしたが、顔をこちらに向けることもなくただ労いの言葉だけをかけてくださった。


「・・・すまぬな。このような格好で」

「お気になされず。きっとこれまでの無茶がたたったのでしょう。安静にしておれば、またいつも通りの兄上に戻ります」

「いや、自身の状況は誰よりも分かっておる。我はもう長くはないであろう」


 兄上の目には涙が溜まっていた。

 あぁ・・・、ご無念であったであろう。

 父上も願われた将軍というお立場。三好家の助けもあって、もう目の前にまでその栄誉はあったのだ。

 だがあと一歩のところで、兄上は足踏みをされた。

 そして今の状況である。


「義助、お前を呼んだのは他でもない。我の志を継ぐことが出来るのは、お前だけなのだ。我は義助に征夷大将軍になってもらいたい。我が届かなかった将軍になってもらいたいのだ」

「私は兄上に遠く及びませぬ。兄上がなるのです。一度阿波へ戻って養生いたしましょう。阿波の空気を吸えば、きっと病も良くなります」

「・・・無理である。先も言ったが、最早我の命運は尽きかけておる。たとえ治ったとしても、体調に不安のある者を朝廷は征夷大将軍には任じぬ。我の状態を既に朝廷は把握しているのだ。我はもう任じられぬ」


 私は隣に控える長房に目をやった。長房は遠慮がちに小さく頷く。

 つまりは先ほどの兄上の言葉は真実であるということ。朝廷は兄上の状況を知っており、そして将軍になることももうあり得ぬということの肯定であった。


「・・・私が将軍となれば、兄上は側で私を支えてくださいますか?」

「当然であろう。重荷を背負うことを嫌う義助の性格は我がよく分かっておる。だがそれでもならねばならぬ状況に追い込んだのは我よ。必ずや病を治して、お前を支えると誓おう」

「かしこまりました。その言葉信じております」


 目に溜められていた涙がついにこぼれた。布団へと流れ落ちる涙を見て、兄上の強い思いを受け取る。

 私が兄上に代わって将軍となる。そして兄上に幕府からの景色を見せるのだ。


「長治」

「はっ」

「兄上の意思を継ぎ、私が征夷大将軍となる。そのこと、近衛前久に伝えてくれるか?」

「かしこまりました。すぐさまお伝えいたします。して入京の支度に関してでございますが」

「それは後で良い。とにかく三好は次期将軍の擁立から手を引かぬ旨を伝えるのだ」

「かしこまりました」


 長治がその場をたった後、改めて兄上を見る。


「兄上、その日のために今は病を治すのです。平島へと戻りましょう」

「・・・すまぬな」

「いえ。長房、阿波へと人をやれぬか?」

「私はこの地を離れることが出来ませぬが、弟である実長さねながをお付けいたします」

「頼む。何が何でも兄上には阿波へと戻って頂かねばならぬ」


 その時、身体を動かすことすらも辛いはずの兄上が布団より手を出された。

 天井に向けて弱々しく伸ばされた手は、何もない宙を掴むように手を握られる。その姿があまりにも悲しげであり、場にいた者らの多くが泣き崩れた。


「あぁ、あと少しであったのに」


 その声すらも聞こえていないのか、兄上はただ一言そう残される。

 私には何故そこまで将軍にこだわるのか、未だ理解は出来ぬがその景色が見えた時、兄上のお気持ちも分かるのであろうか。

 ならばやはりなんとしてでも任じて頂かねばならぬ。

 兄上のために、父上の悲願を叶えるために、兄上を信じて戦い続けている三好の者らのために。

 私が14代将軍になるのだ。




 京 近衛前久


 1569年冬


「三好は義栄の擁立を諦めると申しておるか」

「そのようにございます。ですが代わりに弟である足利義助を擁立する旨を伝えて参りました」

「・・・未だ諦めぬか」


 そう簡単に諦めるはずもない。三好は将軍を擁立するために多大なる被害を出している。そしてそのために一族を、そして家臣を割った。

 今更引き返すことが出来ぬ事を帝もご理解されているはず。


「して織田はどうしておるのだ?」

「はい。一時は今川との輿入れのため献金を断っておりましたが、再び莫大な金と物が送られてくるようになりました。すでに多くの方々が美濃へと下向している様子」

「朕の命である。荒れた京を再興するために、織田や今川の領地を見て学ぶよう命じておるのだ」


 だが知っている。帝は三好に対して良い印象を持たれておらぬ。

 かつての将軍殺しで信頼という言葉は最早三好に抱いていないよう。故に織田を頼りにされている。

 帝のお心が義秋にあるのは危険であった。そのため麻呂は何度も義栄に入京するよう命じたのだが、最後まで腰がひけておった。なんのために赤井をこちらに引き込んだと思っておるのだ。あやつのおかげで山城の北を麻呂の思うがままに制したというのに。

 だがそれでも義栄は東の浅井や織田に怯えておった。

 日ノ本を平和にすると息巻いていたと聞いてはいたが、結局口だけであったのだ。


「話は変わるが今川には随分と栄えた港があるのだという。京から離れている国でも立派に栄えておるというのは嬉しい話であるな」

「はい。噂に聞くその地の領主は未だ若いと」

「頼もしい限りよ、若き者が国を造る。それはこれまでもこれからも変わらぬ」

「臣もそのように思いまする」


 終始帝は三好を否定されておった。これでは強行した将軍宣下は難しいであろうか。だがいずれはお認め頂く。

 将軍がむやみに権力を持つのは避けねばならぬのだ。義秋は保護されている身分でありながら、独自で動き回っている様子。将軍になれば同様の立ち振る舞いを続けるであろう。

 それに対して平島公方家の者は三好に従順であった。将軍を輩出しておらぬが故に、強者に従わねば勝手が分からぬとみている。

 長年京を押さえていた三好が将軍の後ろ盾となれば、荒れた京の再興も果たすことが出来よう。

 ・・・だが問題は、三好も一枚岩で無いということであろうか。


「麻呂はどこかで道を誤ったのやもしれん」


 帝の前より下がり、1人となったところでついに本音が漏れてしまった。誰にも聞かせられぬ後悔の念が。

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