強く大きくなる今川家

222話 友の娘

 大井川城 一色政孝


 1568年冬


 今川館より大井川城に戻って来て数日が経ったある日。昌友を筆頭に俺が留守にしていた間に起きた複数の報告を受けるべく、俺を含めて四臣と他数人が広間へと集まっていた。


「まずは長島城での勝利おめでとうございます」

「俺はほとんど何もしていない。此度は特に水軍衆に奮闘してもらったからな」


 道房や佐助も頷いている。昌友と時真は留守番であったから、この話に非常に興味を持ったようであったが土産話はまた後だ。

 とにかく報告を聞くとしよう。


「まず始めに殿に任せて頂いていた神高島の海賊被害に関してでございます」

「それよ。随分と話を聞いていないが、どうなったのだ」

「実は伊丹様と家房殿の合同で行った海賊掃討作戦なのですが、島長が言っていたと思われる海賊はその網にかかりませんでした」

「かからなかっただと?島長の話では随分と頻繁に荒らされていたようだが?」

「はい。我らもおかしいと思い、範囲を広げて該当する海賊を探しましたが今日まで成果無しにございます。このことすでに氏真様にもご報告されております」


 あまり納得出来る結果では無いが、発見すら出来なかったというのだから仕方が無い。このことで昌友や家房を咎めるのも違うし、慎重に考えるのであればもっと色々な視点で物事を捉えるべきだ。

 ここで神高島の海賊騒動を一件落着と終わらせるのは時期尚早であると思う。

 氏真様にも改めて進言するとしよう。


「私からも1つ」


 時真が手を挙げると、他のみなが時真に注目する。


「親元殿より引き継いでおりました大井川の治水事業にございますが、少なく見積もってもあと5年ほどかかりそうにございます。ですが川に水を通すこと自体はもう少し早く出来るかと」

「そうか。だがあまり不完全な状況で、川周辺に民を住まわせて氾濫など起きれば甚大な被害が出るであろう。その辺りは経過を見ながらだな」

「かしこまりました」

「それともう少し親元を水軍に残したい。もうしばらくの間時真に任せようと思うがどうだ?」

「お任せを」


 時真が頭を下げたことで、大井川のことも報告が済む。

 あと何が聞きたいか・・・。

 そうだ、大事なことがあったな。


「落人」

「はっ」

「朝廷の動きは探れたか?」

「重要な情報はやはり厳重に管理されており、我らの力を以てしても探りきれぬことが多々ございます。ですが公家の間で噂されていることがございました」


 落人の物言いは何やら不穏なものであった。

 言い辛げにしている様からもそれがよく分かる。


「関白近衛前久は三好に対して強く足利義栄の入京を要請しております。入京したあかつきにはすぐさま将軍宣下を執り行い、幕府の再建に取りかかるようにとの命を帝より授けられた、と」

「そう公家達が噂しているのか?」

「はい、ですがあくまで噂。噂の出所も不明の為、一応情報を集めてはみましたがやはりあやふやなままにございます」


 もしこの噂が本当だったとして、いったい朝廷は、いや近衛前久は何をそこまで焦っているのだ?

 と思ったが、思い当たる節はあった。


「信長か」

「おそらくは。織田信長の飛ぶ鳥を落とす勢いは朝廷内でもよく話題とされております。そして織田は足利義秋を迎え入れている」

「上洛が成る前に足利義栄を将軍にしようとしているのか」

「一度征夷大将軍に任じてしまえば、そう簡単にその職を解くことも、別の者に任じ直すことも難しくなります。おそらくはそれを狙っているのかと」

「なるほどな・・・」


 しかしそれはそれで別の問題を引き起こすだけに思える。武家には見えぬ公家内の権力闘争も絡むのだろう。そこまで気にしていては、考えることが増えすぎる。

 信長の上洛は畿内に勢力を持つ義秋派に任せるとするしかないな。


「それと全くの別件にございますが、飛鳥屋が公家らに売りさばいた源平碁。随分と評判が良いようにございます。特に公家らの妻子らに人気があるようで、飛鳥屋には追加で購入を申し込む者が後を絶たぬと」


 落人の報告に俺は思わず笑みをこぼした。まさかそこまで売れるとは想定外であり、どちらかと言えば庶民の間でちょうどよい娯楽になればと思っていた。

 まさか公家にそこまでウケるとは・・・。結果として商人らには上客が出来たことになった。


「弥兵衛にたくさん作るよう伝えておかねばならぬな」

「ではそのように伝えておきましょう」


 昌友が何やら紙に控えていた。まぁメモのようなものか。


「殿、少々よろしいでしょうか?」

「二郎丸?如何したのだ」


 廊下より慌てた様子で俺達のところにやって来たのは小姓である二郎丸。その慌てようは尋常では無い用件であることが容易にくみ取れる。


「大湊の会合衆であられる江原久作様にございます。どうしても殿にお会いしたいと申されておりますが如何いたしましょうか?」

「江原久作だと?わかった、すぐにこの部屋へ通せ」

「かしこまりました!」


 二郎丸はまた駆けていった。

 しかし大湊は現在北畠の占領下である。元々外交を任されていた久作が来たということは、先日の志摩水軍との交渉でも任されたのか?

 しかし何故俺の元なんだ。あれは名目上今川水軍ということになっているはず。抗議であれば今川館に行くはずだが・・・。とは言っても抗議も何も戦なのだから文句を言われても困るわけなのだが。


「殿、大湊というと・・・」

「あぁ、面倒事やもしれん。少々気を張らねばならぬな」

「はっ、我らも側に控えております」

「そうしてくれ」


 そしてすぐに二郎丸が久作を連れて俺の元へとやって来た。

 その顔はえらく憔悴しており、どうやら俺の考えが外れていたのだとすぐに分からされる。


「急な訪問、まことに申し訳ございません!」

「それは良い。それで急にこの地へやって来るとはどういうことである?」

「私が大湊を留守にしている間に、北畠様に占領されてしまったのです。それを知ったのは堺でございました」


 久作の話によると、大湊の会合衆は数ヶ月前より北畠の不穏な動きを警戒していたようだ。元々北畠とは友好的な関係を築いていたが、それは奴らが大湊の自治を認めていることを前提とした仲である。

 織田・今川の長島攻めにおいて独自の行動を起こした大湊の動きに不満を持った北畠具教は、あろうことか大湊に武力的圧力をかける動きをほのめかしたらしい。

 そのことを危険視した会合衆は、久作に命じて堺より自衛用の武器を買うようことを進めたのだ。

 結果として久作は間に合わず、為す術無く大湊は北畠の手に落ちた。

 そしてその事実を堺で聞いた久作は頼る場所も無く、かつて縁のあった一色へとやって来たのだという。


「俺を頼って来てくれたのは嬉しいが、今の俺には何も出来ぬ。大湊を攻撃すれば、今川と北畠で戦が起きかねぬ。だが直に今川は畿内の戦に関与する余裕は無くなる」

「もちろんにございます。私が此度この地に参ったのは、しばらく匿って頂きたく。この地であれば商人がたくさんおります。身を隠すことも出来るかと思いまして」

「そういうことであれば問題は無い。暮石屋に伝えておこう、何かあればあの者を頼れば良い」

「ありがとうございます!」


 感極まった声で久作は頭を下げた。俺は気にするなと言ったが、久作は何度も頭を下げていた。

 道房がまた泣きそうになっている。前も思ったがやはり涙もろいんだよな。


「しばし待て、すぐに紹介状をしたためよう。二郎丸、筆の用意を」

「かしこまりました!」


 また二郎丸は慌てた様子で俺の部屋へと走って行った。そしてしばらくして、一式の用意をして戻ってくる。

 その頃には落ち着いた久作と共に今後の事を話していたのだが、騒ぎを聞いたのであろう久が様子を見にやって来た。

 そしてその側には侍女である初と、新しく城で雇い入れた子どもらがいる。

 その子らは大湊で不遇な扱いを受けた子の一部であり、数人の娘は久に仕えさせた。これはその子らに同情した久の提案である。


「久か、騒がしかったか?」

「いえ、私ではなく小春こはるが気にしている様子でしたので」


 小春とは最初に俺が保護したうちの1人である。今年10才になったこの娘は随分と久に懐いていた。


「小春・・・。小春ではないか!?」


 突如として久作が声を上げる。そして小春もまた久作を見て目を潤ませた。

 周りの俺達はその状況について行けず置いて行かれている。話が進むのはこの2人だけだ。


「江原殿、小春殿をご存じなのですか?」

「取り乱してしまいました。この小春、上原友則の娘なのです。どうして小春がここに?」

「御父上様は北畠の兵に殺されました・・・」

「な、なんと!?」


 この事実は俺にも驚愕のものであった。殺された両親を思い出さぬように姓を聞かなかったことがまさか裏目に出るとは・・・。

 上原友則も目の前にいる久作と共にかつて俺の元へ詫びに来た男であった。そして小春がその男の子女であったのか。


「そうか、友則殿が・・・」

「御父上様は最期まで江原様を気にされておりました。もし生き残ることが出来たらあなた様を頼るように、と。ですが私もまた・・・。そんなところを一色様に助けて頂いたのです」


 その言葉を聞いた久作はまた改めて俺に頭を下げた。

 道房は今度こそ泣いている。


「重ねてお礼申し上げます!我が友の宝を守って頂き真にありがとうございます!この御恩、一生かけてお返しいたします!」

「そう思ってくれるのは嬉しいが、その気持ちだけ頂いておく。小春を助けたのは偶然であった。もしもっと早くあのようなむごい仕打ちに気づいていれば、もっと多くの子供達を助けることが出来たやもしれん」

「それでもにございます。小春はこうして生きているのですから」


 久までもがつられて涙を流している。俺としてもこれ以上は恩に感じるなとは言えずに、その言葉を受け入れた。

 その後小春は久作についていきたいと言ったのだが、久作がそれを拒んだ。しばらくはこの地に身を隠す身である。辛い思いをさせることは目に見えており、それならば働くことにはなるが城にいた方が安心出来るとのことだった。

 俺も久もそれに賛成し、小春は渋々ながらに残ることを承諾したようだ。

 俺はすぐさま庄兵衛に紹介状を書く。今後しばらくは久作も大井川領の民となるのだ。

 このことが後々俺の大きな利となるのだが、それはまだ知らぬ先の話であった。

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