221話 新たな地で
岐阜城 細川藤孝
1568年冬
「兄上、お久ぶりにございます」
「元気そうで安心した。お前とまたこうして会うことが出来るとは・・・」
岐阜城についた時、私は信長様との謁見の前に兄上のおられるという部屋を訪ねていた。
こうして顔を合せるのは実に6年ぶりとなる。そう思えば京を離れて随分年月が経ったものだと改めて実感することとなった。
「私も安心いたしました。まさかあの時京を離れられていたとは」
「それなのだがな。実はあの長逸めの暴挙の半月ほど前にとある情報が寄せられたのだ。お前に似た者が大和国に潜伏しているとな。先代の公方様はその報せを聞き、私や松井殿ら数人を大和へ向けられた。そしてその地にて情報を集めている最中に三好が攻めてきたのだ」
そしてその話を聞いた私はなんとも驚いた。公方様が私の動きを気づいていたということに。
あの頃、確かに私は大和へと入っていた。何故かと言えば政孝様に頼まれごとをされていたからであった。そしてその見返りとして、一色に身を置きながらも自由に立ち振る舞うことが許されたのだ。
「出会わなかったことは私にとって幸運であったのやもしれません」
「どうであろうな。私はお前を必要としていたし、それは今も変わらぬ。もし今仕えるべき主がいないのであれば、共に上様をお支えしてくれぬか?かつて共に先代の公方様に仕えた方々も藤孝であれば喜んで迎え入れるであろう」
「それはとてもありがたい事にございます。ですが私は1度でも幕府を裏切った身。今更戻れるはずもございませぬ。それに上様も私のことを良くは思われぬでしょう。これではあの日の二の舞になりかねません」
それに最早私は幕府に縛られる気は無い。
今戻れば、きっと6年前の続きを再び歩み始めることとなるであろう。それだけは避けたかった。
「そうか・・・。兄としては残念なことであるが、それがお前の選んだことであるならば尊重せねばならぬな。止めはせぬ。またいずれ会うであろうでな」
「はい。その日を楽しみにしております」
兄上と別れた私は、その後案内された部屋へと入る。これより信長様の用意が済み次第謁見するのだ。
そして久秀様より託された書状を渡す。それにて私の役目は終わり。
今後はどうするか、そんなことを考えているとすぐに誰かが私の待機する部屋へとやって来た。
「細川藤孝様、殿がお呼びにございます」
「はい。すぐに参ります」
久しぶりに信長様と会う。京を出て6年。
信長様とこうして顔を合せるのもおよそ5年ぶり。あの頃とは比べものにならぬほど大きくなった織田家の姿に驚きを隠すことは出来なかった。
発展した領内。領民の活気はこれまでめぐってきたどの国よりも勝っている。
かつてうつけと呼ばれていた信長様は、誰よりも国を大きく豊かにされている。一度は共に戦った仲であるからか私も嬉しさはあった。
案内された先には広間に信長様が1人だけ。
ただ上座に座って待っておられる。
「お久しぶりにございます。そして長島での勝利おめでとうございます」
「久しいな藤孝よ。随分と痩せこけたのではないか?」
「私も苦労したのやもしれません。京から離れた私は随分と色々経験することが出来ましたので」
「なるほどな」
頷かれた信長様は、肘掛けから身体を起こすとその姿勢を改められた。私も気を抜いていたわけでは無いが、自然と身体に力が入る。
「それで此度はどういった用件でこの城に参ったのだ。上様に再び仕える気にでもなったか?」
「いえ、此度は信貴山城主松永久秀様の遣いで参りました。こちらにございます」
「松永・・・、奴らも俺の上洛を心待ちにしている者たちだ。でなければ奴らが三好にすりつぶされる」
信長様は私が差し出した書状を受け取り、中身をゆっくりと確認された。
そして僅かに口角を上げると、広げたまま私へと投げ渡す。
「読んでみよ。それが今上様を支持している者たちの本音である。あの者らが待つのは上様では無く、この俺なのだ」
中身まで知らなかった私は、渡された書状の中身を確認する。
確かに久秀様の書かれた文字の中には『義秋様』の文字は1つも無かった。あるのはいつ上洛を開始するのか。いつ伊勢の北畠を攻撃するのか。伊勢を平定したあかつきには、ともに三好を畿内から追い出す用意があるといった内容ばかり。
そして遣いとした送られた私はお役御免となっているため、返事は不要と書かれていた。
ただ信長様の上洛を急かすための書状。
「幕府に力が無いことは誰も承知の上。だが己の戦いに正当性を持たせるために幕府、将軍という立場を利用しているだけよ」
「信長様は義秋様をどうされるおつもりで?」
「俺は義秋様を征夷大将軍にまでは押し上げる。その後はまだわからぬな」
しかしその口ぶりには、「わからぬ」と申されながらも何やら強い決心のようなものが見て取れる。
これは少々危険な香りがする。
「そういえばこのまま大和国に戻るのか?」
「いえ、私の役目はここまでにございます。信長様に書状を渡した後は好きにせよと言われました」
「ならば俺に仕えぬか?今は人を必要としているとき。有能なおぬしであれば歓迎するのだが」
「ありがたきお話にございます。ですが私にはすでに心に決めたことがございますので、此度は遠慮させて頂きたく」
信長様は驚いた表情をされた。そして右手で顎を撫でられ、突如として笑われた。あまりにもおかしげに笑われるので、何やら不安となる。
「俺の本心の誘いを断ったのは2人目よ」
「2人目にございますか?」
「うむ、もう何年も前のことである。岡崎城で今川一門である一色政孝という男にも断られたわ!」
そう言うとまたおかしげに笑われた。
私も思わぬ御方の名に、思わず声を出して笑ってしまう。
「まぁよいわ。すでに決めたことがあるならば仕方あるまい。いずれまた、な」
「はい。次に会える日を楽しみにしております」
「うむ」
岐阜城から出た私と家族、そして松井殿はこの足で遠江へと向かう。目指すは大井川城である。
暮石屋屋敷 九鬼嘉隆
1568年冬
「よろしいのでしょうか?志摩にいた時よりも良い暮らしが出来ておりますが」
「わからぬ。だがまさかこれほどまでに金を持っているとは驚きであるな」
あの日、大湊で暮石屋の船で交渉した結果、どうにか一族総出で大湊を脱出することに成功した。
その後すぐに北畠に占拠されたと聞いたのだからまさに間一髪であったと言えるであろう。
しかし問題はその後のことである。
ここ大井川領の領主である一色政孝殿は現在織田への援軍として、長島城に出払っているという。
それまではこの屋敷に匿われているのだ。
「他の者らも不自由なく生活させてもらっていると言っておりました」
「大井川の商人が一時大湊を離れて、異常なまでに混乱したという話があったであろう?」
「はい」
「あの話、どこまで誇張されたのかとも思ったがこれを見れば納得であるな」
「はい。叔父上」
暮石屋には俺と澄隆の妻子が匿われており、他の者らも飛鳥屋や染屋といった志摩でも有名な豪商の屋敷にいる。
澄隆が言うように誰も不自由なく暮らしているというのだから安心して一色殿の帰国を待つことが出来る。
「それにしても大井川港の水軍を見ましたか?」
「あぁ。あれほどの船、そして訓練された兵。どれも志摩の熟練された者たちをも上回るほどのものであったな」
「こうも水軍を理解されている御方であるならば、いずれゆっくりお話をしていたいものです」
「油断するでは無い。こうして匿われてはいるが、一色殿が我らを受け入れてくれるかは分からぬのだ。今はあくまで商人に匿われているに過ぎぬ」
「そうにございました。申し訳ございませぬ」
澄隆は頭を下げてまた石を1つ置いた。
俺もまたすぐに新たな石を置く。しばらくジッと眺めた澄隆は頭を下げた。
「・・・参りました」
「まだまだであるな。それにしても簡単な遊びである」
「はい。初めて見ましたが、こうも遊び方が簡単な碁も珍しくあります」
これはこの地で作られる源平碁というものであるようだ。碁とは違い、老若男女全てを対象とした遊戯であると売り込んでおるらしい。
たしかにその謳い文句通り簡単なものであった。
「一色殿、ますます面白き御方にございます」
「会うのが楽しみよな」
「はい」
碁石を片付けていると、誰かが障子の外に立った。
「失礼いたします。大井川城に一色政孝様がお戻りになられたとのことにございましたので、お知らせいたします」
「かたじけない。ではそろそろ支度をするとしようか」
「はい、叔父上」
いよいよである。九鬼家存続の鍵はこの地にあった。
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