220話 その報い

 篠橋城 織田信長


 1568年冬


「ようやく纏まったか」

「はい。これ以上の籠城は出来ないと判断いたしました」


 俺の目の前には、長島城よりやって来たという1人の坊主が跪いている。

 名を下間頼廉というこの者は、己の首と引き換えに城内に籠もる全ての門徒の解放を求めてきたのだ。

 何故証意を差し出さぬのかと聞けば病で先が長くなさそうなのだという。

 ならば仕方あるまい。これが一向宗として蜂起した者らが助かる最善なのであろう。


「しかしおぬしの首1つでは到底足りぬ。長島でおぬしらが蜂起したおかげで上様の上洛が相当に遅れているのだ。おかげで俺は周辺国に悪評を広められる始末。1人の坊主の首では到底、な?」

「・・・どうせよと申されるので?」

「そうであるな・・・。お前の首はいらぬ、だが代わりに各地で門徒らを煽る坊主共を押さえよ。そこまでしてようやく俺はお前達の行いを赦す」


 目の前の坊主は黙った。

 今ここで決断出来ることでも無かろう。それすなわち宗主顕如の意思に背くことになりかねぬのだ。

 もう少し待つ必要があるであろうな。

 そう思ったのだが、この者、思い切った決断をした。


「かしこまりました。必ずや宗主様を説得し、此度の恩に報いるといたしましょう。ですのでどうか」

「随分とよい決断である。ではおぬしの要求通り、民の命だけは助けてやろう。ただし此度の一揆に関わった民らを尾張・美濃・伊勢・三河・遠江・駿河に入れることは赦さぬ。その者らの面倒はおぬしが見るのだ。その段取りも城に戻り次第すぐとり行え」

「寛大な処置に深く感謝申し上げます」

「それともう一つ言っておかねばならぬ事がある」

「なんでございましょうか?」

「城からの退去時には、民と坊主、そして武士らを別々に分けて船を出すのだ。でなければ余計なことをする者がでかねぬ。それとおぬしは俺の側でその様子を見届けよ。全員が城から退去したことを確認でき次第、おぬしの身柄も解放しよう」


 やや訝しげではあったものの、頼廉は承知したと言って城へと戻っていった。

 その様子をみていた者らもまた疑問げである。


「兄上、よろしかったのですか?加賀のことからも分かるように、徹底的にやらねばまた同じ事を引き起こしかねませぬが・・・」

「当然そうなるであろう。現に近江でも長政と一向宗との間でもめ事が尽きぬと言っておった」

「ではなにゆえ赦されたのですか?」


 彦七郎の言葉に他の者らも頷く。


「簡単な話よ。俺は民の命は助けると申したが、坊主共を赦した覚えはない。奴らは前回の和睦で結んだ条件を反故にして、尾張や伊勢の者らを扇動した。許しがたき行いである。故に奴らだけは決して赦さぬ」

「分けて城から出すように命じたのは」

「坊主共の乗る船に火縄銃を撃ちかける。当然門徒らが暴れることもあるであろう。その場合は全て討ち取れ。この地より本願寺の影響を除く良い機会となろう」


 どう転んでも俺としては都合が良い。どちらにしてもこの地で一揆を心配する日々はなくなるであろうからな。


「彦七郎」

「はい」

「信盛に伝えよ、万が一に備えて兵を待機させておくのだ」

「かしこまりました」

「恒興」

「はっ」

「岸に火縄銃隊を集めよ、坊主の乗る船はどれ1つとして取り逃すな」

「かしこまりました」

「長く続いたこの地での戦もようやく終わりを迎える。だがだからといって最後まで油断せぬようにな。奴らは土壇場で何をしてくるか分からぬ。死兵は時に圧倒的な質すらも上回るぞ」


 みなが頷き各々が持ち場につくために部屋を出ていった。

 しかしあやつらにも言ったが、万全を期して行わねばならぬ。迂闊なことで誰も死なせはしない。




 伊勢湾上 一色政孝


 1568年冬


 ついにこの日が来た。先日信長の入城していた篠橋城に降伏の使者が入ったという。

 現状長島城の一向宗を指揮していた下間頼廉という者が、信長との交渉の結果城に籠もる全ての民を解放することを認めさせて降伏した。

 ただし頼廉は本願寺の坊主らが各地の門徒を扇動しようとする行いを押さえ込むことを求められたのだという。しかもそれを呑んだらしい。


「我らは見張りだけで良いのでございますか?」

「あぁ、長島城に籠もる者らは一度北畠領へと入り、後々大湊より石山へと船を出すこととなる。その後は加賀やら播磨やら様々な場所に受け入れられることとなるであろう」

「随分と寛大な処置で」


 寅政の言葉に俺も頷きを返す。

 だが俺には僅かに信長の条件に不気味さを覚えていた。何故船を個別で出させるのか。確かに指揮官がいなければ、船に乗る門徒らが暴れることもないだろう。

 同様に兵がいなければ、坊主共も迂闊なことは出来ないだろうとの判断であると言われれば納得も出来るのだが・・・。


「殿、そろそろにございます」

「ん、わかった。この地で一向宗らを見るのも最後となるであろう。しっかりとその目に焼き付けておくか」


 長島一向一揆の最後を見届けようと、奴らを見た時、織田の陣がある岸側で何やら動きがあることに気がついた。


「道房」

「はっ」

「織田は何か行うと言っていたか?」

「いえ、信興様はただ警戒するようにとだけ言われましたが」

「そうか・・・。寅政、各船の警戒を最大にするよう触れを出せ」

「は?はっ、かしこまりました」


 慌てた様子で寅政は側の者たちに指示を出す。道房はいぶかしんで俺にその真意を尋ねてきた。


「殿は一体何に気がつかれたのですか?」

「織田の船の配置がおかしいとは思わないか?」

「船?」

「あの場所で待機している。あの程度の距離であれば、長島城から待避する船は火縄銃の射程範囲内にある」


 言われた道房、そして側で話を聞いていた昌秋と佐助は船から身を乗り出して織田水軍の配置を確認する。


「確かに、火縄銃で狙おうと思えば狙える距離ではありますが・・・。まさか信長様は!?」

「おそらくな。あの降伏の文言の中には坊主共の助命に関しては何も書かれていなかった。坊主の中で助けると明言されたのは下間頼廉だけだ」

「他の者らは全員・・・」

「元々奴らは和睦の条件を破って一揆を画策したのだ。当然の報いであるとは思うが・・・」

「氏真様には無い苛烈さにございます」


 佐助の言葉に他の者らが同意したが、俺が絶句したのはそこではない。

 俺の危惧していたとおり、信長は降伏を認めた後の攻撃を行おうとしている。史実と少し違うが状況が似ているのはやはり気になるところだ。

 だから万が一門徒らが暴動を起こしたときのために、俺達に備えるよう指示をしたのだ。そして詳細を言わなかったのは情報が漏れることを避けるため。


「民らは問題なく伊勢湾へと出ることが出来ました」

「城に籠もっていたという武士らも無事か?」

「おそらくは」


 寅政が民の行方を最後まで見送り、道房も武士らの行方を見送った。最後に残るは・・・。

 坊主らが船に乗って、門徒や武士らが通った航路をたどるように船を出した。だが直後。

 凄まじい轟音。立て続けに起きたその音は、無防備な姿で船に乗る坊主共を次々に仕留めていく。

 慌てふためく時もなく、蜂の巣にされていくその様子に実行した者たち以外は絶句した。

 先日俺達が井伊谷城で行ったことと全く同じ事であり、慣れぬ者らはそのあまりに凄惨な光景に目を背けている。

 水軍衆も火縄銃で蜂の巣にされる人を見るのは大方初めてだ。特に前線に立たぬ寅政配下の者らはそうであろう。あまりの光景に海に吐きに行く者まで出た。

 銃声が鳴り止んだ時、坊主共が乗っていた船は全て沈んでおり辺り一帯は坊主共の血で真っ赤に染まっている。


「終わったな」

「はい。凄まじい最期にございました」

「これが約束を反故にした者らの末路である」


 道房は両手を合せて拝んでいた。他にも数名が同様にしていた。


「寅政、民らの様子はどうだ?」

「反抗してくる様子はありませぬ。あまりの光景に腰を抜かしている者が大半であると。元々の計画通り大湊へ船を進めております」

「よし。大湊に入港したことが確認でき次第、俺達は篠橋城へと向かう。俺達の役目もここまでだ」

「かしこまりました」


 その後、織田の本陣にいた下間頼廉も解放された。随分と憔悴しきった様子であったと聞いている。

 だが頼廉には数万の門徒を導く役目が残っている。足を止めるわけには行かぬのだ。

 そして信盛殿に付き従っていた元信殿、元々は信長と共に行動をしていたがその後古木江城に入っていた家康と篠原城で合流した俺達は、信長に挨拶をしている。


「此度の出陣感謝するぞ」

「感謝されることではありません。これも盟約に従ったまで」

「感謝は素直に受け取るのだ。氏真にもこれで貸し借りは無しだと伝えよ」

「はっ、ではそのように」


 元信殿が俺達を代表して信長と話していた。


「俺は伊勢を平定した後、上洛戦を開始する。京を押さえたあかつきには必ずや氏真を招待すると約束する。それまで必ずや生き残るのだ」

「そのようにも伝えさせていただきます。義秋様を擁しての上洛、上手くいくことを我ら一同願っておりますので」

「うむ。今後もよろしく頼む」


 信長との挨拶を終えた俺達はようやく自国への帰国を開始した。

 そろそろ寒くなり始める。どうにか雪が降る前に帰ることが出来そうだ。

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