218話 長島城包囲

 大島砦 一色政孝


 1568年夏


 あれから数週間が経った。俺達が長くこの地に滞在しているのは、西側の攻略があまり上手くいっていないからだ。

 というのも、北畠が大湊を占領したことから分かるように、信長に対する反抗を本格的に行い始めたことで、北伊勢にある織田方も危険であるとみなが警戒し始めた。

 故にどうしても長島城外の砦や城攻略から兵を割いてしまっており、孤立している城を相手にしても多少なりとも時間がかかってしまっている。

 またそれと同じように、ここ数週間の水軍衆の戦果もあまり良いとは言えなかった。こちらの理由も単純で、志摩の水軍と戦力が拮抗している上にあまり向こうが好戦的で無いことが要因である。

 そんなこんなでわりと退屈した時間を過ごしていたまさに今日。

 長島城を包囲している織田方に動きがあったのだ。


「浅井の援軍がようやく手柄を挙げた形となったな」

「はい。浅井家の重臣である赤尾清綱様が松ノ木砦を制し、続けて願証寺も占拠することに成功いたしました」

「松ノ木砦に籠もっていた一向宗方、日根野ひねの弘就ひろなりは間者となり長島城の城門を開門すると降伏を申し出て長島城へと送り届けられたようにございます」

「真であると思うか?」

「いえ、長島城へ撤退するための方便であるかと」

「俺もそう思う。だが長島城に最初からいた者らからすれば、迷惑であろうな。すでに大島砦やその他の砦や城から一向宗を受け入れている。これ以上は兵糧の問題が一気に進む」


 ちなみに日根野弘就は斎藤家の元家臣だ。

 竹中重治の起こした主殺しで混乱する美濃から離れ、各地を転々とした後一向一揆へと参加している。

 そしてこの男こそが、長島城の一向宗を二分する鍵となる者でもあった。


「日根野と長井らを筆頭とした武士らがだいぶこの籠城策に不満を持っているのだそうだ。だから外へうって出た下間頼旦を当初支持していた。だが頼旦が死に、一向宗は再び籠城を最善策とした」

「籠城は包囲が解ける算段がある場合のみ行うべき。でなければ、ただ死か降伏を先延ばししているに過ぎませぬ」

「そういうことだ」


 道房に相槌を打つ。だが願証寺と松ノ木砦が落ちた今、一向宗方に残るのは篠橋城といくつかの西側の孤立した城と砦くらい。

 伊勢湾の制海も志摩水軍がやる気を出さぬ限りはこちらにあるだろう。

 もはやこの戦、終わったも同然だ。

 正式に長島城に籠もる大将が降伏を申し出れば、これ以上の犠牲者を出さずに済む。


「殿、信興様より伝令にございます。信長様は五明砦より篠橋城を攻撃すると。それに信興様も同行することとなったようにございます。また服部党も信興様に従い、戦に臨むとのこと」

「わかった。俺達の役目は外に人を逃がさないことだ。これ以降は織田の戦である。無用な手出しは控えよ」

「かしこまりました」


 昌秋は外へと出て行った。

 ここで俺が伊勢湾方面を見たのは本当の偶然である。何やら小舟が1隻、巡回する船の死角を縫うように流れているのが見えた。


「・・・道房」

「はっ、なんでございましょうか?」

「あそこに何か見えぬか?」


 俺が指さすところを見ているが、特に顔を顰めるばかりで何も見えないようである。

 しかし俺にはハッキリとその姿が見えていた。


「今この島に船はあるか?」

「緊急時用に数隻残しておりますが」

「武装させた兵を乗せて向かう。この目で確かめたいことがある」

「殿自らにございますか?」

「道房には見えていないのだろう?ならばどうやって向かうというのだ」


 口を噤んだ道房を置いて俺は陣の外へと出る。

 外にいた兵らに声をかけて、船に弱くない者を数人選抜して弓を持たせて船へと乗った。残念ながら昌秋は連れて行けぬ。あやつは大きく、ほとんど揺れぬ船ですら酔うような男だ。

 この小舟の揺れに耐えられるとは到底思えない。


「構わぬ。出せ」

「はっ」


 俺の指示する場所へと船をこぎ進める兵達。俺が合図してほどよい距離で船を停めさせた。

 続いての合図で弓を構える。

 俺達の目の前にあるのは小さな小舟であるが、まるで船の存在を隠すように上から葉や木の枝が重ねられていた。

 確かにこれならばただの漂流物として見逃すかもしれん。


「そこの者ら、中に誰かいるのであれば早々に出てくるのだ。従わぬと言うのであれば、矢の雨を降らせることとなる」


 俺の言葉が言い終わった後、しばらくは何も変化が起きなかった。本当にただの漂流物では無いかと疑いつつ、兵に一度射かけるよう指示を出そうとした時、葉や枝が僅かに動いた。


「射かけますか?」

「待て。この者らの身分だけでも確認しておかねばなるまい」

「ではこのまま待機いたします」


 この中で一番の年長者である兵が、そう言って周りの者らにも指示を出した。

 そしてしばらくすると、ようやく木の枝が海上へと落ちる。どうやら出てくることを躊躇っていたわけでは無く、枝や葉が重かったためになかなか顔を出せなかったらしいのだ。

 そして俺は中から出てきた者を見て驚くこととなる。


「・・・子供であったか」

「・・・」


 俺の問いに答えなかったのは、反抗では無く恐怖。

 唇が小刻みに震えている。


「全員構えを解け」

「はっ」


 構えを解くと、安心したのかさらに船から顔を出す者が現れた。

 結果として出て来たのは4人の女子供。どの者も俺より下であると思われる。そして全員が俺達に怯えているようであった。


「そう怖がるな。そちらに敵意がないのであれば、こちらも何もしない」

「・・・本当にございますか?」

「あぁ本当だ。もし必要なのであれば温かいものを用意する。ここでは出来ぬが、陣に戻れば何かしらあるであろう。どうする?」


 4人は顔を見合わせた。そして何やら話し合ったあと、俺に頷くことでそれを合図として受け取る。


「その者らをこちらに乗せてやれ。丁重にな」

「よろしいので?」

「あぁ。漁師でもない者がこのような海域を船に敷き詰められて彷徨うわけがない。何か事情があるはずだ」

「では。その代わり殿はお下がりを」

「わかった。だが危害を加えることは決してしないよう、みなに伝えよ」

「かしこまりました」


 年長の男の指示通り、伊勢湾を彷徨う女子供を保護した俺はそのまま大島砦へと戻る。

 待ち構えていた道房は、俺と一緒に降りてきた者らを見て目を丸くしていた。


「殿、どういうことにございますか?」

「海の上を船に揺られて彷徨っていたのだ。何やらのっぴきならない事情があると踏んで保護した」

「・・・保護した、と簡単に言われますがあまりに不用心ではないでしょうか?」

「ならば船の上で切って捨てよと申すのか?それとも見て見ぬふりして置き去りにせよと言うのか?」

「そこまでは申しませぬが・・・」

「ならば連れてくるほかあるまい」


 終始道房は警戒していたが、この者らの境遇を聞いたら急に優しくなった。

 何故か。

 実はこの者らは大湊の商人の子らなのだが、北畠が占拠した後反抗した者たちは片っ端から斬られたのだという。

 そして残された家族達はこうして船に乗せられて、長島城へ密書を運ぶ役回りをやらされているのだそうだ。

 すでに何十人もの無関係な民が送り出されたそうだが、全員大湊に戻ってきていないという。巡回する水軍に沈められたか、あまりに簡素な船が沈んだか。

 考えられることはたくさんあるが、この者らは俺に保護されたことを幸運であったと思うしか無いだろうな。


「この者たち、如何いたしましょうか?」


 道房の問いに俺はすぐさま答える。


「その方らは大湊に戻りたいと思うか?」

「いえ!父様も母様も最早この世にはおりませぬ。大湊に戻ったところで、私達に居場所はありませぬので」

「ならば俺の城へ来い。全員纏めて面倒を見てやる」


 唖然とした様子の子らであったが、ようやく事態を理解したのかぽろぽろと涙を流し始めた。

 その姿を見て道房までもが涙を流している。

 随分と涙もろいことだ。だが悠長に喜んでいる暇はない。ここは戦場である。

 いつ戦が起きてもおかしくない。


「そうと決まればすぐさま動くとしよう。寅政に護衛の船を寄越すよう伝えよ。親元には今回のような事例を伝え、もしそのような船に遭遇した場合は迷わず保護させるのだ」

「かしこまりました!」

「それとこの者らの衣服を替えてやれ。あまりに汚れている。そして着替えたものを、先ほど一緒に運んできた船に乗せ大湊へと送り返してやれ。卑劣な行いをした奴らを怯えさせてやるのだ」

「かしこまりました」


 血でも塗りたくっておけば、やつら肝を冷やすだろうか?ともかくこのような行いをした北畠を許すことは出来ぬ。

 場外戦とはなるだろうが、徹底的にやるしかないな。

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