215話 読めない北伊勢防衛

 鯏浦城周辺 一色政孝


 1568年夏


 友貞は信興殿の配下の手によって、市江砦にて五明砦攻撃の支度を進めている信長の元へと送り届けられた。

 信長もまた俺と同じように考えたらしく、一応此度の長島攻めに関しては友貞を捕虜として取り扱うが、服部党の活躍次第では友貞を解放し、蟹江の正式な領主として信長に従属することが約束された。

 これは信長にとって大きな成果であるととても喜んでいたらしい。

 長島城の後は伊勢を攻めるから、後顧の憂いを断てたことはやはり大事なのだろう。


「大島砦の兵は降伏いたしました。殿の御命通り、長島城まで船を出させて無事に送り届けたようにございます」

「それでいい。やはり加路戸砦の惨状を聞いて早々に砦の防衛を諦めたのだろうな。さらに長島防衛の中心であった下間頼旦の死も響いたか」

「そのようで。栄衆の調べによると、内部でもだいぶ揉めているようにございます。旧斎藤家臣らが坊主に任せられぬと此度の戦を主導しようとしているようで・・・」

「やはりそうなったな。戦いは武士の領分であると思い込むが故に、諍いを生むのだ。そして長島の一向宗は武士に従うことを良しとしない傾向にある」


 原因は東海一帯を巻き込んだ一向一揆であると思われる。

 あの一揆で、三河を中心とした一向宗らの多くは氏真様や家康に愛想を尽かした者に付き従って完膚なきまでにやられた経験がある。

 それを長島で見ていたのだ。

 むしろ勝ててはいないが負けてもいない長島の一向宗は、武士に頼らずとも生き抜くことが出来たと思っている。


「これで争いが起きれば、外からでも付け入る隙が出来るだろう」

「栄衆の他に、織田家からも忍び込んでいる者もいる様子。これは長島城の陥落も時間の問題やもしれません」

「そうだな」


 道房の報告に俺は頷きながら外の景色を見る。

 昼間の為にそれぞれの島の様子がよく見えた。大島砦からは未だ黒煙が上がっているが、あの地に一向宗に与する勢力は誰も残っておらず、火攻めの後始末のために織田の兵がいるだけだ。

 そして加路戸砦は最早その形を残しておらず、かつて砦のあった場所はがれきの山となっていた。


「元信殿らはどうしているか知っているか?」

「はい。織田家の佐久間信盛様が率いておられる長島城の西に位置する砦と城を攻略中とのことにございます。しかし援軍も見込めぬ状況であるというのに、城の守りはなかなかに堅固なようにございまして」

「そうか、しかしこのまま行けば多少時間がかかろうとも長島城の包囲も完成するだろう。あとは籠もる者たち次第だな」

「果たして降伏を赦されるのでしょうか?服部党はこの地に長く居続けた勢力にございます。友貞が治めることですんなり事が進むこともありましょう。ですが・・・」

「一向宗はそうではない。三河のように徹底的に叩かねば、再び一揆を起こす可能性はある。それこそ石山に顕如がいる限りはな」


 俺の考えではおそらく赦されない。だが史実同様のことを行えば、信長は一門衆を多く失う恐れもあった。

 そこに俺が介入するかは未だ未定ではあるが、明らかに史実の信長の行動が苛烈になった原因は長島一向一揆にもあったと思われる。

 兄弟を相次いで亡くしたのだから当然と言えば当然かも知れない。

 俺個人の意見としては今の信長の方が好きなんだがな。


「とにかく一向宗が赦されることはおそらく無いだろう。心してかかるよう、みなに伝えてくれ」

「かしこまりました」


 道房が出ていき、俺は一人となった。もちろん陣の外には兵が待機しているわけだがな。


「やはり思った以上に事がすんなり行きすぎると、どうしても不安になるな・・・。だいたい信長をあれほど苦しめた一向宗がこの程度で終わるのか?」


 どうしても俺にはそう楽観視することが出来なかった。

 しかし現状長島城を取り巻く状況は決して悪くはない。服部党も抑えることが出来、俺達の背後を脅かす者はいなくなった。

 下間頼旦といった本願寺勢力の主要人物も討ち死にし、長島城内部では一向宗と外部より流れ着いた者とで対立も起きている。

 ならば何が俺を不安にさせるのか。

 思いつくものは1つしかない。


「落人」

「ここに」


 その名を呼んですぐに俺の背後に姿を現す。その様は僧侶そのものであった。


「伊勢の北畠を監視せよ。今は長野に入った長野信包殿が足止めを行っているようであるが、何か事が起きればすぐさま俺に報せるのだ」

「かしこまりました」

「それと・・・、一応大湊にも人をやってくれ。何やら嫌な予感がする」

「はっ」


 落人は姿を消し、俺は改めて1人となる。

 そう、此度の戦において一番の不確定な要素は伊勢方面の戦況であった。北畠が信長の本格的な伊勢侵攻に対して、ついにその重い腰を上げたのだ。

 北畠に従っていた領主らを中心に、長野家や同じく織田に与した北伊勢の領主らを攻めている。

 万が一にも北伊勢の戦線を突破されれば、元信殿も付き従っている周囲の城を攻略している隊にまで被害が出かねない。

 それが今考えられる一番恐ろしい展開なのだ。

 折角包囲した長島城に陸路を用いられて物資が流れ込んでしまう。これまでの被害と苦労が全て水の泡と化す、それだけはなんとしても避けなくてはならない事である。


「昌秋」

「お呼びでしょうか?」

「兵の一部を移動させたい」

「どちらへ?」

「海の上だ」


 海の上という言葉にいまいちピンッと来ていない。だが俺は構わず話を進めた。


「最早ここで戦が起きることはそうないだろう。それならば守りは織田勢に担ってもらうとして、俺達は今できる最大のことをしておくべきだ」

「それが海の上であると?」

「そうだ。現状長島城付近の海域は全てこちらの手で押さえている。万が一反対側の戦況が悪くなっても援軍として、容易に兵を派遣することが出来るだろう」

「なるほど・・・」


 道房は頷き、そして急いだ様子で外へと出て行った。


「おっと・・・、これは失礼いたしました」


 そして陣の外で誰かとぶつかったらしい。


「いえ、お気になさらずに」


 どうやら相手は信興殿であったらしい。そして何故か道房を伴って信興殿は俺の前へとやってこられる。


「如何されました?」

「先ほどの話、悪いとは思いつつ外で聞いてしまいました。我らの兵もこの城の守りの兵を除いて同乗させていただこうと思いまして。とは言っても乗る船は各々の水軍の船にはなると思いますが。私も兄上のことが少々気になっていますのでね」


 ここでいう兄上は信包殿の事であると推測出来た。

 そして船は自前のがあるからとくだん断る必要も無い。この城も最低限守れるだけは兵を残されるようだし、あまり心配することも無いだろう。


「では水軍が戻り次第、そのようにいたしましょう。道房、しっかりと俺の命を親元に伝えてくれ」

「かしこまりました」


 今度こそ道房は出ていった。

 そろそろ織田本隊が島へと渡る頃合いだろう。五明砦が落ちればついに長島城へ取りかかることとなるだろう。

 短い期間であったが、とにかく濃い戦であったことは間違いない。

 これが今後の糧となるよう、最後まで織田の戦を見届けるとしよう。

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