214話 僧である将の死

 尾張国蟹江 一色政孝


 1568年夏


 悲鳴や怒号が飛び交うのは、とある小さな集落からであった。

 あちらこちらの家から火の手が上がり、この村に住む民らが逃げ惑っている。というのもこの村には服部党が活動拠点としている屋敷が隠れるように点在しているのだ。

 そのことを事前の調査で把握していた信興殿は、最終勧告という形で使者を出したが、結局数日待っても服部党からの返事は無かった。

 俺達にも時間があまり無いために、少々荒い手段であるがこうして攻撃を開始したわけである。


「一番奥にある屋敷に民を追い込みなさい。長島城と同じです」


 信興殿の指示で、この集落は完全に織田と今川の兵で取り囲んでいる。村中に火を放ったのだが、何も無造作に火をつけたわけでは無い。

 この集落の一番奥まった場所にある一際大きな屋敷。一応村長が住んでいるということになってはいるが、あの屋敷に服部友貞が潜伏しているのだという。

 だからそこに民を追いやる。民を殺して服部党だけで生き延びようとすれば、民らがそれに抗うように戦いが勝手に起きる。もし民もろとも籠城でもすれば、兵糧攻めでもして降伏を促す。

 そういった策。


「だが服部党の抵抗があまりにも無いのが気になるところ・・・」

「急襲されたことを怯えているだけであると思いたいところですが、おそらく違うでしょう」


 俺が周りの警戒を怠らないよう使番をやろうと思ったところで、陣中に人が入ってきた。

 鯏浦城よりともにこの地にやって来た浅井政貞殿だ。


「失礼。屋敷裏の守りをしていたものから報せを受けました」

「どういったものでしたか?」

「屋敷の裏手にある竹林の中に、道で無い場所を無理矢理進んだ形跡があると。今兵を向かわせておりますが、一応先にお知らせしておこうかと」

「その判断、助かります。引き続き警戒を」


 信興殿がそう言い終わるかどうかといったところで、俺達が陣を敷いている後方辺りで何やら激しい足音が響いた。

 それと同時に道房が飛び込んでくる。


「殿!敵襲にございます!」

「どこからだ」

「この地よりさらに高地から、多数の騎馬兵がここよりわずかに後方の味方へ飛び込んで参りました」

「あまりにも対応が早すぎる・・・」


 信興殿が愕然とした表情で呟く。しかし今は迷い反省する時ではないのは確かであった。

 俺はすぐさま道房に指示を出す。


「使番を出せ!村に火をかけている者らを引き上げさせよ」

「本陣へと集めるのですな」

「いや、それでは敵の思うつぼだ。兵を半分に分け、片方を本陣へ、残りを奴らが攻撃してきたという高台に集めよ」


 道房は承知といって陣から出て行った。

 その後すぐに項垂れていた信興殿を見たが、すでに顔は前を向いている。よかった、一発気合いを入れ直さなければならないかと心配したわ。


「政貞、我ら織田の兵は急ぎ本陣に集めよ。できる限り追い払い、一色の兵が強襲するまでの時間を稼ぐのだ」

「かしこまりました!」


 政貞殿は慌てて外へと出て行き、俺達も万が一に備えて護衛を連れて陣の外へと出た。

 集落にやったように、こちらの陣の各地に火が放たれておりやや混乱している。それでも完全に冷静さを失っていないのは、さすが織田兵というべきだろうか。


「みな!落ち着くのです。直に村より攻撃隊が戻ってくる!それまでの辛抱ですよ!」

「「「おぉっっっ!」」」


 信興殿の一喝で動揺していた者らも落ち着きを取り戻した様子。

 各地で馬の鳴き声やら怒号が聞こえるが、こちらが大崩れしている様子は見受けられなかった。


「殿、村を探索していたものから報せが届きました」

「どうした?」

「例の屋敷に願証寺から文があったと。その中には織田様の情報がいくつも書き示されており、特に服部党に関係のある情報が事細かに書かれていたと。また新しいものでは、此度の出陣も漏れていたと」

「それも願証寺からの文か?」

「いえ、名の無い文であったと聞いております」


 その話を聞いていた信興殿は特に悔しがるわけでもなく、ただ納得という表情であった。

 何も言わず、何度も頷いておられた。


「わかった。元より一向宗と服部党が手を組んでいたのは分かっていたが、情報が事細かに漏れていたという事実が分かっただけでも収穫である。その者らに労いの言葉をかけてやりたいが後だ。とにかく先ほどの指示通り急がせよ」

「はっ」


 道房はまた駆けていった。

 代わりに昌秋が知らぬ間に側に来ている。その鎧には誰か分からぬ血がべっとりであった。


「本陣近くに彷徨う者がおりました。服部党に所属する武士であると確認し斬った次第にございます。ご心配には及びませぬ」


何かを感じ取ったのか、昌秋はそう俺に言った。


「心配はしていない。昌秋が太刀を浴びせられるとは微塵も思っていないからな」

「そのように思っていただけて光栄にございます。ですが油断は禁物。敵の勢いは凄まじく、直にここからでも敵の影を確認するくらいは出来ましょう」


 出来たら駄目なのだが、それは言わずに頷いておく。

 服部党がどれほど勇猛果敢であるか、この目で確かめる必要はあるのだ。

 だがそんな最中、今度は鎧に矢が刺さり、すでにボロボロな男が走り寄ってきた。控えたのは信興殿に対して。

 つまり織田の者である。


「一益様より伝令にございます。古木江城に攻め寄せた一向宗は、信長様の援軍の到着により壊滅。多くの将が討ち死にした様子にございます。そしてその中には一向宗の指揮官の1人である下間しもつま頼旦らいたんも含まれていた、と」

「それは真なのですか!?」

「はい。骸を確認したと言われておりました」


 下間頼旦。史実で信興殿が死んだ原因となった人物の1人だ。

 石山本願寺より願証寺に派遣された頼旦は、願証寺より長島城を伊藤氏から奪うとその勢いのままに古木江城へと攻め寄せた。

 城を守っていた信興殿は、その攻撃に耐えることが出来ずに城内で自刃したと言われている。

 そんな人物。

 此度も古木江城を攻めたらしいが、この世界で死んだのは信興殿でも一益殿でもなく頼旦であったようだ。

 しかしこの戦果はあまりにも大きい。下間の人間は色々な意味で優秀だ。

 今回は戦いに長けた頼旦が死んだことで、一向宗の士気は一気に落ちたことであろう。

 続けて誰が指揮を執るかで揉めるのも目に見えていた。


「わかった。一益にはよく城を守ったと伝えてください」

「かしこまりました!」

「城に戻るのはこの攻撃が止んでからにしてください。命を無駄に散らすことは許しません」

「お気遣い感謝いたします」


 頭を下げたその兵は下がっていく。

 だが服部党が仕掛けてきた攻勢は次第に弱まっていったのだ。未だ集落から兵は戻ってきてはいないが、各地で優勢になりどんどん押し返している様子。

 昌秋の言うようにはならなかった。

 そしてしばらくした頃、政貞殿が1人の男を連れてやって来た。

 その男は手を後ろに縛られている。おそらくだが・・・、


「友貞、こうして会うことになるとは、ですね」

「・・・」

「捕らえられたのですか?あなたほどの剛の者が」

「・・・」


 服部党の頭目である友貞はだんまりだった。だが信興殿は話を止めない。

 ひとしきり言葉を投げかけたが、いずれも無反応であった。

 だが信興殿が会話を諦めたところで、ようやく口を開く。


「俺の首を信長の元へ持っていけ。そのかわりあいつらを助けてやって欲しい」

「もちろん我らに従うのであれば、私が兄上にそのように伝えましょう。ですがいったいどういった心変わりなのですか?」

「・・・」


 まただんまりかとも思ったが、友貞は小さく息を吐くと苦々しげに語り始める。


「長島城におられた頼旦殿が死んだと聞いた。俺達の事を評価してくださっていたのは、長島城に籠もる方々の中であの御方だけだった。だから俺もあの方に従ってあいつらを動かしていたのだ。だが最早それもここまで」

「もはや一向宗には加担しないということで良いのですね?」

「あぁ。その証として俺の首を持っていけ。俺はここで腹を切る」


 周りに控えている兵に縄を切るよう要求する友貞。

 だが本当にそれで良いのか?服部党は頭目を失った後、本当に織田に臣従するのだろうか?

 おそらく否である。

 友貞切腹に関しては、自身で言い出したこととはいえ、おそらく織田は恨まれることになるはず。

 そうなればまた新たな頭目の下で、織田の支配に抗うこととなるだろう。

 結局友貞の切腹はなんの解決にもなっていないのだ。


「信興殿、1つよろしいでしょうか」

「如何されたのですか?これより友貞殿に最期の言葉を」

「いえ、この者の処遇軽くしてやることは出来ぬでしょうか?いや、言い方を改めます。服部友貞がここで腹を切れば、服部党は二度と織田の支配を認めなくなりましょう。それを避けるためにこの男は生かしておくべきです」


 驚いた表情をしたのは友貞であった。


「そこの若造、いらぬ事を申すでない。あいつらはそれで納得したのだ」

「では織田に従うと胸を張って言えるのですか?もし少しでも言い切れぬと思うのであれば、今は生きておくことが賢明であると思いますが?」

「・・・」


 また黙ってしまった。

 だが解かれた手には、何も持たれていなかった。

 腹を切るために用意した刀は地面に落ちている。


「・・・この者を連れて鯏浦城へと戻る。その後兄上がいらっしゃるであろう市江砦へと向かいます。政貞はこの地に残り、服部党の者らの監視を」

「かしこまりました」

「友貞。兄上に会うまでは悪いが手を縛らせてもらいますよ」

「あぁ・・・、そうしてくれ」


 友貞の拘束・連行により服部党へ向けた出陣は終わりを迎えた。

 この後信長がどのような判断を下すのかは分からないが、少なくとも今すぐに起きたかもしれない服部党の暴走は防ぐことが出来たのだ。

 ここ蟹江にやって来た本来の目的は果たせたのではないだろうか?

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