208話 戦支度

 大井川城 一色政孝


 1568年春


 織田家による市姫の輿入れはそれはそれは盛大に行われた。

 岐阜城から出立した一行は、その道中金をばらまいたとさえ言われるほど豪勢な行列を作ったのだ。

 一行が通った後はお祭り騒ぎとなり、街道に店を出す者たちは例年の売り上げに1日で達したとして領民らは大喜び。

 さすがにそのような輿入れを駿河まで続けることは出来ないわけだが、今川統治内である三河の吉田港まで続いた行進は、そこから船での移動となったことで終わりを迎えた。

 それでも港には多数の領民らが詰めかけ、市姫の駿河への旅路を見送ったのだ。


「織田家の力を存分に見せつけた結果となったな」

「はい。一色家も日ノ本有数の裕福な一族であると自負しておりましたが、やはり一家臣と大名とではどうしても差が生まれてしまいます」

「まぁ有している土地の広さが違うからな。それは仕方ないが、ある意味目標は出来たのではないか?」


 俺は昌友に発破をかける。その言葉に応じた昌友であったが、何やら1人でブツブツと言い始めた。

 昌友の内政好きに火をつけすぎてしまったようだ。

 そんな昌友を余所に、今日は珍しく平服で登城した道房と佐助に目をやる。

 2人ともどこかウズウズとした様子であり、元々の居場所にうずいているのがわかった。

 そう、氏真様より正式に命が下ったのだ。

 信長による長島攻め。今川家はその協力のために兵を出す。今回の出兵は信濃侵攻の礼のようなものだ。

 信長に言われたわけでは無い。氏真様が自発的にそう提案された。


「佐助」

「はっ!」

「此度は景里の鉄砲隊と共に抱え大筒隊を率いよ」

「かしこまりました」

「その役目は城攻めでない。城より出る船を沈めるのだ」

「はっ!」


 というのも今回の海上戦力は潤沢だ。今川水軍は貞綱殿が、織田水軍は蜂須賀はちすか正勝まさかつが率いている。その上で未だ安宅船は完成しておらず、無理をして海上で抱え大筒を使う必要は無い。

 だから陸地で使う。そして都合の良いことに、今回の戦ではあまり移動がないものと考えられている。

 天然の要害に守られた長島城。通常であるならば城からうって出ることはないために、籠城戦となるのが想定されている。

 通常の鉄砲よりも大きな抱え大筒を運用するにしても、そこまで邪魔にならないはずだ。


「そして道房」

「はっ!」

「今回も兵を預ける。時忠を側につける故、将の役割を目に刻み込ませよ」

「かしこまりました」


 先日は水軍衆にもその役割を命じている。水軍衆の筆頭である家房は神高島に滞在中のため長島攻めの際にも不在であるが、その代わりを取り仕切る親元と寅政によく言い聞かせている。

 とは言っても寅政は護衛向きであるために、伊勢湾の自治都市に船を入れる商人の護衛が主な任であるから、基本的には親元への指示ではある。


「そういえばまた義秋様から使者があったそうだ」

「・・・またにございますか?」


 道房のうんざりとした声からも分かるように、すでに何度目か分からぬ使者である。

 というのも、俺の予想通り義秋は美濃の信長の居城である岐阜城へと入ったようで、朝倉とは違い着々と戦の支度をする信長に気分を良くしたようなのだ。

 相も変わらず義秋を支持する周辺国に使者を送りまくっているようで、こうなってくると再々地方へと遣わされる幕臣らが不憫になってくる。

 藤孝殿は本当に良い時期に幕府から距離をとったと改めて思った。


「此度もいつも通りであったそうだ。だが前回と違うこともあった」

「違うことにございますか?」


 対して義秋の動向に興味なさげであるが佐助が聞き返してくる。だが別にそれを咎めはしない。俺も雑談程度の話題としか思っていないからな。


「あぁ、少々信長殿に対する不満が込められていたのだそうだ」

「もう、にございますか?まだ2ヶ月ほどしか経っておりませんが・・・」

「織田は長島攻めの支度真っ只中であるからな。京へ向かわぬ事を不満に思ってのことであろう。それを他国に遣わせた使者に言わせるのだからよっぽどであるな」

「これは・・・」

「大事にならねば良いのですが」


 佐助と道房の表情は先ほどまでとはうって変わって、蒼白になっている。

 信長に斬られる様でも想像したのだろうか?正直言えば俺もした。まぁ、義秋が使える内は我慢するのではないだろうか?知らぬが。


「京を押さえるまでの我慢である。というのは他人事であるから言えるのだろうな」

「その身になればたまったものではないかと・・・」

「勝手に転がり込んできておいて、勝手に他国に悪評を広げようとする。まるで・・・」


 疫病神だな。そう言いかけて流石に口を閉じた。

 これ以上は言えない。誰が聞いているかも分からない。

 一色家中に親足利派がいるとは思わないが、この話がどこから漏れるかなどわからないのだ。


「嫌な話題はそこまでにいたしましょう」


 内政案に考えをめぐらせていた昌友はここにきてようやく戻って来た。

 その顔は何やら希望に満ちており、良い案が浮かんだのだと思われる。


「では気分が良くなる話題でも聞こうか」

「はい。先日今川館より大井川城へと来られていた信置殿から聞いた話です。信濃の統治は順調のようで、元々北信濃に領地を持っていた武田の旧臣達が相次いでこちらに仕官を求めているようなのです」

「人手が足りていなかったからちょうど良いではないか。それでどこが、というのは聞いたのか?」


 北信濃の国人衆で一番来て欲しいのは間違いなく真田家であるが、当主であった真田幸隆は先の信濃侵攻において上杉方の足止めを任され、最後は城を枕に自害したと聞いている。

 武田家は周辺国との和睦により、一時信濃や上野にまで勢力を拡大していた状況から一転。甲斐1国にまで減らされ、多くの家臣らがその元を離れたのだと聞いた。その離れた家臣の中に真田家がいたのかどうかは分からない。

 だが特に北信濃が上杉勢力下になった今、元々その地に領地を有し武田に与した国人衆に居場所は無いも等しい状況なのだ。


「いえ、なんという一族があったかまでは聞いておりませぬ」

「そうか」

「しかしいずれお会いする機会もありましょう」

「そうだな」


 何はともあれ、今は長島攻めに専念しなければならない。当然上杉・北条国境も警戒しなくてはならないため、一部の援軍のみである。

 それが俺であったり、かつて同盟国として共闘したこともある家康だったり、そして信長の力量を確かめたいと手を挙げられた元信殿であったりする。


「昌友」

「はい」

「神高島でのこと、俺が長島より戻るまでは全て任せる。何かあった際には俺に伺いを立てずとも決断を下せば良い。もちろんであるが、俺の名を用いてな」

「よろしいのでございますか?」

「あぁ俺の名を使って悪名を広めないと信じているからな」


 俺の言葉に道房が吹き出した。

 特に面白おかしく言ったわけでは無い。何が面白かったのかも分からなかったが、昌友はしっかりと頷く。


「とは言ってもある程度の指示は残しておく。それを元に頼むぞ」

「お任せください」


 長島攻めはおよそ1ヶ月後に始まる予定である。道房らに命じていた精鋭隊の訓練もある程度は済ませている。

 今回の輿入れで織田家の財力のすさまじさを見せつけられた。俺達は次の戦で今川家の武勇を見せつけなくてはいけない。

 そうしてお互いを認め合い、バランスをとらねばならないのだ。でなければ、対等な同盟などすぐさま崩れ去ってしまうだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る