207話 かつての名

 大井川城 一色政孝


 1568年冬


 市姫の輿入れの日程が決まり、家中でも祝いの雰囲気が出だした頃、大井川城でもまた別の祝い事があった。


「久、大事ないか?」

「はい。此度は旦那様がお側にいてくださったので、安心出来ました」

「そうか、よかった」


 未だ布団に横になる久の隣に座った俺は、二人目の子を抱いていた。


「家房には感謝を申さねばなりませんね」

「あぁ、また我が子の出産に立ち会えぬところでったからな」

「神高島での海賊退治とのことですが、大丈夫なのでしょうか?」

「何も心配はいらない。あの者であれば大丈夫だ。それよりも久は自身の身体を大事にしてくれ」


 それに応えるように久は笑みをこぼす。

 母親が笑ったのが分かったかのように、この子もまた声を出して笑った。


「華姫様と鶴丸様にございます」


 二郎丸が顔を覗かせ、そう言った。

 久が世話が出来ぬ間は母に鶴丸を託していたのだが、鶴丸も久が辛そうにしていることを察していた風である。

 赤子が生まれる頃には、他の者らと一緒にソワソワとしていた。母がどうにか落ち着かせていたが、久の身を案じてのことであろう。

 俺は座っていた場所から、少しズレて2人の座る場所を用意した。

 鶴丸が俺の隣に座り、更にその隣に母である。


「母上、大事ありませぬか?」

「・・・えぇ、大丈夫ですよ。随分と心配をかけてしまったようですね?」

「もし母上に何かあったらと思うと・・・」


 ちょっと目が潤んでいた。母がそれにつられて涙ぐんでいるが、対して久は笑っていた。

 まぁ俺とまんま同じ言葉をかけたからな。一瞬の間はそういうことだろう。


「それで政孝殿?」

「なんでございましょうか、母上」

「この子の名は何にするのですか?」


 生まれたのは女の子だ。どちらが生まれても大丈夫なようにいくつか候補は考えていたのだが、先に名を上げたのは俺では無く久であった。


「豊。とよ姫で如何でしょうか?旦那様」

「その名前は・・・」


 知らぬ母と鶴丸は、話について行けぬと俺達を交互に見返す。

 しかし俺は確かにその名に覚えがあった。


「鶴丸が生まれる前に、男であれば鶴丸、女であれば豊としようと言ったな。まさか覚えていたとは」

「忘れるわけがございません。大事な旦那様との思い出なのですから」

「しかしあの時は随分と微妙そうな顔つきであったではないか。家中の者らに話を聞こうとまで申しておっただろう?」

「あの頃から私も変わったということで御座いましょう。それに一色の今を象徴しているようで良い名前ではありませぬか?そうは思われませんか?」


 今の問いかけは俺に、というよりは母にといったところか。

 母もなるほど、と頷き何度もその名を呼んだ。だが豊姫、この名の決め手になったのは俺でも母でも、久でも鶴丸でもなく、この赤子本人であったのだ。

 母が連呼したその名に反応して喜んだ。


「わかった。この子の名は豊としよう」

「豊にございますね!?」

「あぁ。そして鶴丸、お前の妹である。必ずや兄であるお前がこの子を守るのだぞ」

「はい!豊を守る事が出来るくらい立派な武士になります!」

「その意気だ」


 家族団欒。そんな時、外の廊下で二郎丸が誰かと話している気配がした。


「母上、豊のことよろしくお願いいたします」

「わかりました。たまには顔を出すのですよ」

「はい」


 母の腕に豊を託して部屋から出た。

 外にいたのは二郎丸と落人である。


「話は部屋で聞く。付いてまいれ」

「かしこまりました」

「二郎丸、昌友を呼んでくれ」

「はっ」


 二郎丸は俺から離れ、おそらく昌友がいるであろう部屋の方面へとかけていった。

 しばらく歩いて部屋へとたどり着く。俺が先に入り、後に落人が続く。


「落人」

「なんでございましょうか?」

「神高島に栄衆を数人入れて情報収集をさせろ。何やらあの地できな臭いことが起きているようだ」

「神高島・・・。海賊絡みにございますね」

「現状はな。だがあの地は栄衆の及ばぬ地であった故にわからぬことがまだまだ多い」

「至急潜らせる者を選定いたしましょう。どの程度のことを探ればよろしいでしょうか」

「全て。島の地形や島長を含めた島民のこと。あとは略奪行為を働いているという海賊のことだ」

「かしこまりました」


 話をしていると2人分の足音が近づいてくる。昌友らであろう。

 何があったかは分からないが、これで落人の話が進むというものだ。


「殿、お待たせいたしました」

「いや、急に呼んだのは俺だ。それよりもそこに」

「はっ」


 昌友が座り、落人が口を開いた。


「越前にやっていた者がとある情報を入手いたしました」

「とある情報?それに越前か」

「はい。越前国一乗谷城に保護されていた足利義秋が幕臣らを連れて城を出たようにございます。目的地は不明にございますが、城より南に進むところを見るに、近江か京か、はたまた別の場所なのか」

「若狭はありえぬと思いますが・・・。殿は如何思われますか?」


 越前から出立した。それも南に向けてか・・・。


「おそらくだが、目的地は美濃であると思われる」

「美濃、にございますか?ということは義秋様は織田家を頼るということに御座いますか」

「今、京周辺の大名で最も勢いのあるのは織田であると思っている。おそらくだが義秋様も同様に思われていたはず。そして今川家にもやったように幕臣を美濃にも派遣したことであろう」


 未だ今川と織田の同盟は公にはなっていないが、それでも桶狭間での戦以降信長が東海に関心を持っていない事は一目瞭然である。

 今川と争うつもりがないのであれば、信長が進むのは西。つまり京を目指すと自然に答えに行き着く。


「織田家に上洛の意思があり、尚且つ朝倉にその意思無しと判断し見限られたということでしょうか?」

「見限ったのがどちらかは知らぬが、義秋様にしても織田にしても都合が良いのは間違いない。上洛の支度を着々と整える織田にいれば入京出来る日がいずれくるやもしれん。ただ座して待っていても京へ入ることは叶わないからな。対して織田からすれば京へ向かう大義名分を得たこととなる。だがまぁ、朝廷は義栄様寄りであることには変わりないがな」

「そのことに関してなのですが」


 落人からまだ報告があるらしい。

 俺と昌友は再度落人の方を見た。


「織田家が近江を通り京へと人をやっているようなのです。そして朝廷内にも繋がりを持とうとしている様子」

「なるほどな・・・。昌友」

「はっ」

「今最も朝廷が欲しているものはなんであると思う」


 その答えはすぐさま返ってきた。


「金。おそらく織田家は朝廷に対して献金を行っているのではないかと」

「入京した際の朝廷の反発を防ぐための工作だと俺も思う。ただ問題はその行為でどれほど公家が織田に味方するかということだ」

「困窮している者は多いと聞きます。京にいても金に困るということで、地方の大名の元へ下向しようとする者まで続出する始末。しかしかろうじてそれが起きていないのは、大内でのことがあるからにございましょう」


 昌友の言葉に俺も頷く。大内で起きた内乱。

 そう、大寧寺の変だ。あの政変では大内領に下向していた公家らが多く死んだからな。

 有名なところでは武田信玄や顕如の妻達の父である三条さんじょう公頼きんよりや、関白にも任じられたことのある二条にじょう尹房ただふさとその次子である良豊よしとよなどだ。

 いくら武力を持たない公家であるからといって、武家の争いに巻き込まれれば死ぬのだと改めて分からされた結果となった。

 だから京に公家達はかろうじて残っているのだ。


「・・・ただ織田に味方する公家が出たとして、近衛に対抗出来うるのかは甚だ疑問ではあるな。とにかく落人よ、よく報せてくれた。引き続き畿内の動向を調べてくれ。それと神高島と、あとは・・・」

「あとはどこに人をやりましょうか?」

「越後上杉と北条だ。だが無理だけはするな。奴らも武田同様に忍びを従えている」

「では慎重に進めましょう」


 落人が部屋より出、残るのは俺と昌友だけである。


「いつになっても落ち着きません」

「あぁ、直に俺達にも出陣命令が下されるだろう」

「まさか織田家と共闘する日が来ようとは」

「まったくだ。だが東海一帯を巻き込んだ一揆は我らを随分と苦しめた。ここで断たねばならぬ」

「織田が美濃や尾張、そして伊勢で盤石なる国造りを成せば今川家も背後を気にせず戦うことが出来る・・・、ですか」

「あぁ、俺達が次に赴くのはおそらく長島城。必ずや勝たねばならん」

「私はこの地から結果を待つことしか出来ませぬが」

「必ずや勝つ。留守は頼むぞ」

「かしこまりました」


 長島攻めは市姫の輿入れ後、すぐに行われることになっている。あと数ヶ月。

 俺達はついに同盟を公のものとするのだ。

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