196話 八つ当たり

 三河国一色 一色政孝


 1567年夏


 顔合わせが始まってどれほどかの時が経った。

 隣室待機の俺達はただ黙して待っている。

 隣に座っている氏俊殿も、正面に座っている信広も特に互いを気にした様子も無くジッとお互いの主がいる部屋の襖を見ていた。


「終わりましたかな」

「うむ」


 氏俊殿の言葉に信広が頷いた。そしてすぐに襖が開き、市姫が最初にこちらの部屋へと移る。その後に続くように泰朝殿が顔を出されて、


「信広殿、氏俊殿、お二人にも参加して頂きたい」


 と呼ばれていく。

 2人は家中でも重要な任を与えられているためにここにいる。俺はこの地の領主として、万が一がないように控えているだけだ。

 2人と入れ替わるようにこちらの部屋へ入った市姫は軽く俺に目礼し、少し離れた位置に腰を下ろす。すぐに外の廊下から侍女らしき者が入ってき、茶を用意し始めた。


「ありがとう。下がっても大丈夫よ」

「かしこまりました」


 茶を用意した侍女は、市姫の言葉に従って部屋から出て行く。

 仕方が無いこととはいえ、この部屋には市姫と俺の2人っきりだ。とくだん何かを話すわけではないのだが、氏真様に嫁ぐ御方と2人だけというのは色々まずい気がした。


「屋敷の女を側に置いておきます。何かあればその者に申しつけください」


 腰を上げかけたが、市姫はすぐにその行動を止めさせる。慌てて手を伸ばしたかと思うと、


「私のことはお気になさらず。どうかそのまま」

「ですが・・・」

「問題はありません。実は一度あなたとお話がしてみたかったのです」

「・・・私と、ですか?」

「はい。あなたとです」


 市姫はニコッと頷くと、再度俺の座っていた場所を手で指した。

 そう言われれば仕方が無い。俺は多少の気まずさを我慢して、元の位置に座り直す。


「それで私と話したいとは?」

「一色政孝様、あなたのことは兄様から聞いています。随分と気に入られているようで」

「・・・信長殿に気に入られているとは初耳です」

「そうですか?特によく一色様のお名前を聞いたのは一向一揆が起きた時期にございます。城に戻ってくる度に一色様の率いる水軍を羨んでおりました」

「それは嬉しきことにございます。いずれお礼申し上げなければなりません」


 だが市姫は何も言わず、俺をジッと見ていた。

 何か顔に付いていたかとも思ったが、身だしなみはいつも以上に気をつけた。何かがついているはずもない。


「兄様の先ほどの発言、お気を悪くされたのではないですか?」

「先、ですか?・・・あぁ、一色港が思ったほどでは無いという話でございますね」

「それです」

「気にしてはおりません。この地はまだ数年前から開発を始めたばかり。これからまだまだ発展いたしますので」


 事実、現在進行形で人口は増えている。流れ者の多くがこの地に留まり、元々流れ者が多いために迎え入れる側もその者らに寛大である。

 特に問題も無く人が増えているのだ。その者の多くは、やはり東海一帯を巻き込んだ一向一揆で村や家を失った者たちである。

 そしてもう1つ発展の要因として、商業港としての役割をこちらに移したこと。特に他国の商船はこちらに入れるように既に変更済み。

 織田領との関係も改善されればさらに栄えた地になるだろう。


「ですが兄様を勘違いしてほしくないのです。兄様は常々一色様の本領である大井川領に足を運び、その発展を自身の目で見たいと申しておりました。今回の会談についても、家中の大反対もあり大井川城での会談を申し込むことが出来なかったのです」

「あぁ、なるほど・・・」

「随分と楽しみにしていたため、その落差も激しかった。私の婚姻も含めた同盟だというのに、むしろそちらが目的のようになっていました。だから・・・、というのもおかしな話ですが、兄様はふて腐れていたのだと思うのです。それを政孝様に八つ当たりされて・・・」


 信長って思ったより子供っぽいのか?大井川領を見たいと思って家中で提案したら大反対。仕方なく最近名を上げ始めた一色領での会談を提案。

 だがやっぱり大井川領での会談が諦めきれずに、何も知らない俺に八つ当たりて・・・。


「先ほども申しましたが、むしろよりよくしてやろうと思ったのでご心配には及びません。それよりも」


 俺が視線を襖に移すと、それとほとんど同時に開けられた。

 最初に出て来たのは信長。何やら満足げな表情をしている。そして続いて出て来たのは氏真様。こちらも概ね満足げであるように見える。


「市、帰るぞ。次に氏真に会うのは輿入れの日である」

「かしこまりました。では氏真様、その日を楽しみにしております」

「麻呂も楽しみにしている」


 信長は護衛らを連れて屋敷から出て行った。織田勢が乗り込んだ船はすぐさま港から出港し、織田の船は三河湾から姿を消す。

 氏真様はそれを見送ってから、すでに来られているであろう早川殿の元へと向かわれた。


「昌友、如何であった?」

「問題は起きておりませんでした。むしろ商人らが気を遣って料理を振る舞ったので、関係は良好であったようにも見えます」

「また礼をしておく。それよりも同盟の詳細が後ほど聞かされるはずだ。落人からの報告では北伊勢での織田支配が盤石なものとなりつつある」

「伊勢の平定か、長島攻めか」

「どちらもあり得る。が、伊勢の平定に乗りだしてもらった方がありがたいな」


 俺は海の果てを見ながらそう呟く。おそらくその方角にあるであろう志摩国を思いながら。

 北畠が勢いを失えば、志摩国衆に多少なりとも強く出ることは出来るだろう。


「長島に敵対勢力を残した状態で伊勢に兵を進めるとは思えませんが」

「同感だ。まずは一向宗の拠点を落としに動くだろうな」


 俺と昌友のため息はほとんど同時だった。こうしている間にも、一色保護下の商人らは襲われている。

 今日に関しては暮石屋にも志摩近海を航行することを控えさせてはいるが、商魂たくましい商人らは護衛を雇って西へ船を出している者も多少いる。

 そうして沈んでいるのだ。


「とにかく氏真様のお言葉を待つしか無い。とりあえず海上の警戒に充てている者らを引き上げさせよ」

「かしこまりました」




 一乗谷城 足利義秋


 1567年夏


「藤英、何故義景は兵を南に向けぬのだ」

「加賀国で一向宗の動きが活発になっていると聞いております。勢いが凄まじく、国境を守る者らから救援要請が絶えぬとか・・・」

「三好との小競り合いは続いていると聞いているぞ」

「はい。それはご一門衆のお力でどうにか防いでいると」


 藤英の言葉はどれも正確さに欠けるものである。

 どれだけ我らが蔑ろにされているのかがわかった。ここ越前に入り、義景に上洛の為、兵を起こすよう要請してから半年が経とうとしておる。

 一度は上洛を誓ったものの、以降それらしい動きを見せることはなかった。

 そして予の元に人をやるのも日に日に減ってきておる。


「元政、他の大名らの動きはどうなっておるのだ」

「はっ、上様を次代の征夷大将軍へと支持しておられる今川様は駿河と遠江、そして南信濃の統治に精を出されておるようにございます。南信濃という広大な土地、そして多くの信濃国衆の臣従を得たため、纏めるのに少々時間がかかりそうでございます」

「今川は予に恩があろう。誰のおかげで信濃を手に入れられたと思っておるのだ。いそぎ予の上洛のために兵を動かせるよう急かすのだ」

「かしこまりました。続けて河内・大和の三好様や畠山様、そして周辺の領主らは畿内で小競り合い程度ではありますが、平島公方家を擁している三好家とぶつかっております」

「その調子で続けさせよ。京周辺が安定せねば足利義栄も入京できぬ。京には入れなければ将軍にもなれぬ」


 目下の問題として、近江の浅井がある。あの者ら、完全に中立の立場を表明しており、どちらにもなびかぬ。


「藤英、再度浅井を説き伏せるのだ。必ずや我らの手勢に加えよ」

「かしこまりました」


 武田は義栄についた。上杉は中立。西の者らは京の争いに我関せずと何も言うてこぬ。

 あとは織田、であるが・・・。


「藤長、織田に使いを送るのだ。畿内の争いにどう関心を持っているのかだけでも探れ」

「はっ、かならずや」


 これでよい。平島公方を押しているのは実質三好のみ。

 こちらに味方を増やすことが出来れば勝つなど容易なことよ。

 必ずや予が将軍として幕府と立て直す。予にはその覚悟があるのだ。

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