195話 一色屋敷会談

 三河国一色 一色政孝


 1567年夏


 織田の水軍の大半は港に船を入れず、港を囲むように海上に停泊した。そしてその船団から離れるように数隻の船が入港してくる。

 あらかじめ停泊用に空けておいた場所へ5隻の船が泊まった。

 泊まってからしばらくすると、船から通常より長い槍を携えた兵らが隊列を揃えて降りてくる。その背後には鉄砲を持った兵らが、その後も信長ではない者らが続々と降りてきて桟橋に整列していった。


「・・・圧巻ですね」

「あぁ、あの場にいる者らは全員金で雇われている者たちだ。練度も高ければ、徴兵した兵と違って統率もしっかりととられている。だから同じ景色を見ているはずでも織田の兵の方が強く見えるのだ」

「金で雇っている・・・。なるほど」


 昌友は俺の話を聞きながら、ジッと整列している兵らを眺めていた。

 俺も金があるから傭兵を雇いたい。今の数倍規模の兵を揃えられる自信がある。だが急激かつ足並みを揃えない軍拡は家中で不審がられる。

 未だ俺を気に入らぬ方は一定数いらっしゃるからな。


「来たぞ」


 昌友は俺の言葉に顔を上げた。船から下りてくるは、氏真様同様周囲に護衛の兵を携えた信長だった。

 その背後には自身の足で船から下りてこられる女性が1人。ぴたりと信長にくっついている。


「あの御方が」

「あぁ、織田殿と市姫様だろうな」


 信長の姿が見えると同時に多くの者らが膝をついて頭を下げた。

 仇敵であるとはいえ、同盟を組むやもしれん相手だ。というか、確実に同盟を組む相手である。それでも悔し気に頭を下げられている方々もある程度は見受けられた。


「この地の領主は何処か!」


 信長の傍についていた男がそう声を張り上げた。

 頭を下げていた俺が顔を上げると、その瞬間に信長と視線が交差する。わずかにニヤッと口角を上げた信長は、まっすぐに俺の前へと足を進めた。

 昌友が遠慮がちに半歩後ろに下がる。


「織田信長様、遠路はるばるようこそいらっしゃいました。この地の領主をしております、一色政孝にございます」

「政孝よ、俺からの急な要請に応え此度の会談の場所の用意、大義であった。礼を言うぞ」


 あくまで直接的な面識がないことにしたい俺は、それとなく察して貰えるように口上を述べた。

 万が一バラされても誤魔化す手はずは整えていたのだが、意外にも信長はその小芝居に乗ってきた。それが一番の驚きだ。


「いえ、この地を歴史に残る舞台に選んで頂いたのです。礼を受けるなど・・・、お礼申し上げたいのはこちらの方にございます」


 なんて良い感じで持ち上げておいた。信長はさておき、信長に付き従った者らは気分よさげで一安心。

 この雰囲気のまま氏真様に繋ぐことが出来れば、俺に与えられた任は全うしたことになる。


「あまり時間はかけられぬ。そちの主の元へ案内せよ」

「かしこまりました」


 俺の隣をすり抜ける間際、信長は俺に聞こえるほどの声で小さく言い放つ。


「一色港、栄えているとは聞いていたが思ったほどでは無いな」


 すぐ後ろに控えていた昌友にも聞こえたのか、驚きで目を剥いていた。

 俺が視線でそのことに注意しつつ、すでに案内待ちの信長の方を改めて見る。信長の一団の中で俺の方を見ているのは、市姫とその隣に付き従っている男のみ。

 先ほどの言葉が聞こえたのだと思う。だから申し訳なさげな顔をしているのだ。


「昌友、万が一がないよう頼むぞ。ここで争いが起きては、一色のこれまでの努力が水の泡となる」

「はい。殿もお気を付けて」

「わかっている」


 あとのことは昌友や彦五郎に託して俺は信長の案内のために側に寄った。

 それにしても護衛からの警戒が半端じゃない。やましいことがないのに、居たたまれない気持ちになる。


「政孝よ、よくぞ無事であったな」

「無事、にございますか?いったい何を?」


 信長が俺と話づらげにしたことで護衛らが多少距離をとる。小声で話せば誰にも話の内容までは聞かれないだろう。


「織田内通の疑いをかけられたのではないか?」

「・・・信長殿の仕業でしたか」

「一色家が俺に従うことはないと言っていたからな。今川と同盟を結べぬのであれば、有力な家は先に潰しておくにかぎるであろう」

「私が同盟の足がかりを作れば仲介役として機能し、逆に使えぬやつであればそのまま御家断絶ですか。恐ろしいことをお考えになられる」


 だが信長は特に気にしてなさげにただ一言言い放つ。


「同盟の話が来ると思っておった」


 それだけ言った。


「・・・」

「俺が見込んだ男がそう簡単に死なぬと思っておった。そして俺の予想通りにおぬしは動いた」

「私は信長殿の手の平の上で遊ばれたということですか」

「手の平の上に乗ったことが立派なことである。乗れぬ者などごまんとおる。そうであろう?」


 俺達の背後を付いてこられている市姫と、その隣の男にそう問いかけた。

 男の方はすぐに頷き言葉を続ける。


「殿は常人にはわからぬ行動を稀にされる。手の平の上に乗ったということは、その者も常人からかけ離れているということに御座います」

「言うてくれるな、三郎五郎よ。政孝、おぬしも俺と共にうつけと呼ばれるか?」


 機嫌よさげに信長は笑った。それに合せて三郎五郎と呼ばれた男も笑っている。

 っていうよりも三郎五郎と言えば、信長の庶兄である織田信広の事。

 つまり俺は織田一門衆に囲まれた状態で目的地へと向かっている。護衛の中に秀貞がいるのは確認しているが、こちらに入ってくる気配はない。


「信長殿のような存在にはなれそうにもありませぬので、遠慮させていただきとうございます」

「であるか。ならば仕方あるまい」


 また機嫌よさげに信長は歩いている。

 そしてすぐに館の入り口に到着した。入り口には今川のご家来衆や、一色の家臣らが揃って出迎える。

 多少悔しげにしているのは今更気にしない。それはお互い様だし、それを懸念したから港の方を昌友に任せたのだ。

 乱闘騒ぎさえ起こさなければ、表情までにこやかでいてくれなんて言わない。


「こちらで氏真様はお待ちでございます」

「うむ。では参るぞ、秀貞、市」

「はい」

「かしこまりました」


 ここから先は泰朝殿に任せる。俺は信広を隣室へ案内して、顔合わせが終わるときを待つ。

 先ほど信長にも言ったが、間違いなく今日が歴史的に重要な1日となること間違いない。東海一帯に影響を与える同盟。

 そしてこの同盟は間違いなく、近隣の大名らにも大小様々な影響を与えることとなるだろう。


「お揃いということですので、始めさせて頂きます」


 隣から泰朝殿の声が聞こえる。いよいよだ。

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