193話 危険な戯れ

 尾張国古木江城 織田信興


 1567年春


「一益、兄上が今川と同盟を組む話がいよいよ現実的になってきた」

「まさか今川が乗ってくるとは驚きましたな」


 私は尾張海西郡に完成した古木江城にて、兄上の動向を知った。

 北伊勢の平定を進める我らの元に兄上からの使いがやって参り、夢にも思わなかった織田・今川の同盟が順調に進んでいる旨を知らされたのだ。

 しかし市の祝いをせよ、というわけではない。今川との盟が成り次第、本格的に長島城の攻略に動き、それと同時進行で伊勢の平定に乗り出すということ。

 兄上がせっかちであるというのは相変わらずであるが、後顧の憂いを絶つことが出来るからこそ進む話でもあった。


「ついに市姫様が輿入れですか。てっきり浅井に嫁ぐものであると思っておりましたが」

「長政殿だろう?先日使者が来ていたな。なんでもかつての妻を改めて娶ったのだと言っておったな」

「六角重臣の平井の娘、・・・今は当主の妹ですか」

「子がいたのだ。それが男の子だというのだから正室に迎えたといっていた。後継者問題で揉めることは兄上も避けたかったのであろう」

「隣国で揉めると介入する必要がありますからな。それが織田にとってよい流れをもたらすのであればおし進めるのでしょうが、現状は穏やかであってほしいというところでしょう」


 公方様を手にかけた三好長逸。当主を追放し御家を乗っ取り、今尚畿内で争いの種としてあり続けている。

 長逸が擁立するは平島公方家の足利義栄様。対して生き残った幕臣達の多くは朝倉家に身を寄せる足利義秋様を次期将軍にするべく動いている。

 追放された三好の若き元当主も紀伊や大和の大名らと協力しつつ、三好家に対抗している。長政殿は2勢力の狭間で中立を保たれているのだ。

 そこに兄上も参戦しようと画策しておられる。そのまま京を押さえられるおつもりであろう。


「兄上の上洛のためにも、必ずや伊勢と長島はこちらの手中に押さえねばならぬ」

「伊勢の調略は順調に進んでおります」

「兄上を長野家先代当主の養子とすることで、服従することを認めさせた。現当主の具藤は北畠に送り返すのだそうだ」

信包のぶかね様も意気込んでおられましたな」

「でなければ困る。北畠がこれ以上北伊勢に介入出来ぬようにするのが目的なのだ。兄上には長野家でその役割を全うして頂かねば」


 長野家との交渉は、他の北伊勢の国人らに少なからず影響を与えることとなった。北畠の子を養子として迎え当主に据えた長野家は、北伊勢における北畠勢力の有力国人であった。それが北畠と縁を切り、織田に付く。

 揺れた者らは多いであろう。


「なにもかもが順調でありすぎると不気味だ。先日兄上のご指示を受けて城をさらに1つ築くこととなった。とは言っても砦のようなものでよいらしい」

「砦にございますか?」

「あぁ。鯏浦うぐいうらに建造し、長島を監視出来るようにする」

「では急がねばなりませんな」

「そうだな。長島を包囲する準備は進んでいる。そして何よりも今川との同盟により、一色の水軍が味方として参戦するのがありがたい」


 前回の長島攻めでは半分共闘という形をとっていた。意思疎通は図らず、しかし一色の都合により長島に船を入れることを防いでいた状態である。

 しかし此度は違う。

 兄上のじゃっかんの悪知恵も働き、迅速に同盟を組むまでの流れが出来た。

 これで今度こそ長島は孤立無援の状況になるであろう。

 幾ら祈ろうとも誰も助けに来ぬ。そうと分かれば降伏までの時間も意外と短くなるやもしれぬな。


「しかし信長様もお人が悪い」

「私もそれを考えていた。まさか一色内通の噂を今川領に伝わるように流されるとは」

「それも甲賀の忍びを使って、上手く噂の広まりを制御されておりました。さらに今川の武田侵攻に合せた時期を狙って、ですか」

「今川家中でも一色の内通を知る者はそう多くないのではないかと思う。でなければ此度の同盟が成るはずがない」


 一益はしきりに頷き、そして最後には苦笑を漏らした。


「一色政孝殿と申されましたか」

「あぁ、そのような名であった」

「此度の事で信長様に目を付けられたこと、確実でしょうな」

「おそらくな。兄上の戯れで一族が潰されかけたのだから、一色はこの事実知るべきではないことは確かである」


 かねてより一色政孝という男に興味を持たれていたのは知っていた。しかしこうも兄上を執着させるとは驚きであった。

 最終的には真に使える男であるか見極める、と突然言われたかと思えば今川領に一色は織田に内通していると噂を流された。

 うまく躱せるか、そして此度の同盟を成すための足がかりを作れるか。それだけを兄上は求められた。そうでなければこれまでの今川の離反騒動のように御家を潰される。

 一益も口には出しておらぬが、その表情が全てを物語っている。

 厄介な御方に目を付けられた。と、一色殿を哀れんでいる様子がな。

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