185話 説得
今川館 一色政孝
1566年大晦日
今年最後の日。俺は新年の挨拶に先んじて今川館へとやって来ていた。
目的はもちろん例の話を氏真様にするためだ。
まだ登城命令が出ていないから、泰朝殿からの報告はいっていないものだと推測される。
正月になると今川館に全員集合するため、やるならば今日しかなかった。
「政孝、急ぎ話したいことがあると聞いたが一体どうしたというのだ」
「はい・・・。その前に人払いをお願いしてもよろしいでしょうか?」
最初からあまり人には聞かせられない話だと伝えていたため、今いるのは氏真様の自室になる。
だがそれでも氏真様に仕える小姓だったり、護衛だったりと数人側に控えている。
いずれは公になるかも知れない話ではあるが、氏真様がどう思われるか次第によってはここだけの話で終わる可能性もあった。
だから他の誰にも聞かせることは出来ないのだ。
「わかった。その方ら、下がれ。麻呂が呼ぶまでは部屋に近づくことを許さぬ。また誰も部屋には寄せ付けるな」
「かしこまりました」
部屋から出て行く者らは特に怪訝な様子も無く、命に従って出て行った。
その点でいえば、ある程度俺が信頼されているのだとうかがえる。
「これでいいのだな?」
「はい。実はこのようなものが大井川城に預けられておりました」
俺は一応周囲に目を配りながら、秀貞が持ってきたという文を氏真様に渡す。
それを受け取られると、早速中身を読まれているがだんだんとその表情は固まっていった。
まぁ送り主が親の仇なのだから当然だ。
「・・・これはなんなのだ」
「織田から私に宛てられた文にございます。一色が抱える商人を通して多少縁があったため、こちらに送られてきたものと思います」
「縁・・・、か」
「縁にございます」
俺は一切目を逸らさずそう答える。臆すれば嘘をついていることがバレる。心苦しいことではあるが、織田との数度にわたる関わりは完全に独断のことであり、当初の今川家の状況を考えれば報告など出来るわけがなかった。
何故首を取らなかったのか?と問い詰められるのが見えているからだ。
誰がどう考えてもあの状況で織田家と敵対するなんて馬鹿げている。松平との表立った対立すら避けねばならぬ状況であったのだから当然の判断だ。だがそれでもそういう空気であった。
だから黙っていたのだが、それがこのような最悪の形で一色の家に影響するとは思いもしなかった。
完全に俺の判断ミスだと思った。
「織田と同盟など誰も賛成せぬ。麻呂も正直どうしてよいか分からぬ」
「私も最初は思いました。しかし冷静に考えてみれば、かつて武田と北条と結んだ同盟と同じ事であると思ったのです。互いの背中を守るためにかつて争いあった者らと同盟を結ぶ」
「ふむ・・・」
まぁ綺麗事だと言われればそれまでだ。そもそもこの時代の同盟が仲良しこよしであったためしなんてほとんど無い。
互いに利用価値があるから同盟を結ぶ。内心同盟相手をどう思っているかなど本人にしか分からぬし、同盟を組んでいるものの鬱陶しく思っているなんてことは十分にあり得る。
「ただ私から言えることは織田の目は東海に向いておりません。明らかに西に西に勢力を伸ばそうとしております。その証拠に武田の包囲網なる絶対的な勝ち戦に乗ってきませんでした」
「だが兵を動かしたのであろう?美濃信濃国境では随分と大規模な戦いがあったと聞いているぞ」
「あの場を見た私から言わせて頂くと、何故あそこまで完膚なきまでに武田を潰しておきながら兵を退いたのか疑問にございます」
俺の言い方は遠回しに織田の本来の目的を伝える。すぐに氏真様もその意味を勘づかれたようだ。
「今川の侵攻を容易にするために自国の兵を動かしたといいたいのか」
「・・・それは織田にしか分かりませんが、ですが此度の行動から考えるとそれも可能性の1つではあるかと思います」
「なんのためにであると考える?」
確信があっての質問であると判断した。
氏真様も此度の織田の不審な軍事行動について薄々勘づいておられる。全ては今川家に対して大きすぎる恩を売ったのだ。
それと同時に今後の今川家の勢力拡大の道を示した。
「それは我らに恩を売るため」
「売られてしまったか?」
「武田の戦力は多方面に分散されていたため、織田が潰走させた兵らの影響がどの程度あったのかは私では判断出来ません。しかし、織田が兵を動かしたことでもたらされた影響は間違いなくありました。おかげで信濃と美濃の国境をなんの問題も無く進むことが出来ましたので」
「そうか・・・。確かに父上の目指された上洛を麻呂も果たしたいとは思わぬ。京は遠い上に、今のあの地に今川の旗を立てる意味が見当たらぬ。もっと言えば利すらも存在せぬ」
あまりそういうことを言うものでは無いと思うが俺も同感だ。
史実の信長のように将軍を追放して新たな国造りを始めようというのであれば別ではあるが、足利将軍家の一門である今川家が京に入ったところで、将軍家の跡継ぎ騒動に巻き込まれるのが目に見えている。三好家よりも面倒な立場に置かれるのは避けたいところだ。
それに正直今の将軍家にこだわる必要は何も無い。ただ支持して欲しいと言われたから、氏真様は先代の公方の弟である足利義秋を支持しただけのこと。
「上洛を目指さぬ以上、京への道中に領地を持つ織田と敵対する意味も無い。織田にその意思があるのであれば尚更であるな」
俺は無言で頷いた。今、氏真様はとても大きな判断を下されようとしている。
それを邪魔するのは悪いと思った。
「わかった。麻呂は織田との同盟に賛同するものとして動こう。みなを説得出来るかはわからぬが」
「その際には私もお手伝いいたしましょう」
まぁ当主がそれで良いと言ったらある程度はそのようになるだろうとは思う。そうならない場合というのは、反対意見が大多数のとき。
問題としてどの程度が織田との同盟を渋るかである。
まぁ大半であるとは思うが・・・。利を求めるのであれば織田との同盟ほどよいものは無いのだがな。
とりあえず今日はこの辺で良いだろう。俺としても満足のいく答えが聞けた。
ここからはお土産タイムだ。
そう思って外に控えている二郎丸を呼ぼうとした。
だが氏真様は未だ何かを言おうとされておる。
「如何いたしました?」
「同盟に際して信長の妹を妻として迎えて欲しいとあるであろう?」
「たしか織田殿が大層可愛がっておられる市姫を嫁がせるつもりだと」
お市って正直微妙ではある。浅井も柴田も滅んだ。だが良縁であるのも事実。
「・・・北条との関係も終わりを迎えるやもしれん。その際春をどうするかというのは間違いなく交渉の場にあがるであろう」
「早川様にございますね・・・。もし手切れになるのであれば、氏政殿のようにご実家に返すのが普通でございますが」
「・・・そのことは政孝では無く春と決めたい」
俺も久と離縁しろと言われたらこんな表情をするのだろうか?たしかに険悪な夫婦生活を送っているのであれば喜んで送り返すだろう。
だが氏真様と早川様は違う。
まだ御子に恵まれていないものの、関係自体は端から見ても悪いものでは無かった。
しかし織田との同盟を結び、北条との関係が疎遠になるのであればたとえ早川殿が今川に残るとしてもそのお立場は非常に悪くなるであろう。
今川家中に残りにくい雰囲気が出てくるやもしれんし、逆に反織田の連中が早川殿に子が出来た時に次期当主として担ぎ出しかねん。
そうなったら御家騒動は間違いなく勃発する。
今川家は近年連続して御家騒動が続いているから、必ず避けなければならない事態なのだ。
「ゆっくりお決めください。そのことに関して私は一切の口出しをいたしませんので」
「すまぬ」
我が儘であるなんて思わない。政略結婚がはびこるこの世の中で、良縁に恵まれて結婚なんて素敵な話じゃないか。
それを否定するなんてつもりは毛頭無い。
「・・・堅苦しい話はこのくらいにいたしましょう。実は此度は土産を色々と持ってきておるのです」
俺は今度こそ二郎丸を呼んだ。
土産とは組合の者らが今年の保護料を支払いに来た時に献上していった各地の特産品の一部だ。
近隣の物から、命からがら京や中国地方まで交易した物と色々ある。
そしてその中にはもちろん種子島も含まれていた。
これで多少元気が出てくれればよいのだがな。
喜んでくださっている氏真様の顔を見ながら俺はそんなことを思った。
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