186話 かつての敵は
今川館 今川氏真
1567年正月
例年通り新年の挨拶を終えた麻呂の元に泰朝がやって来た。なんでも人に聞かせられぬ話があるのだという。
昨日の政孝のこともある。ちょうどよいと思い、部屋へと呼んだ。
「急なお話申し訳ありませぬ。なにぶん人に聞かせられぬ話でしたので」
「構わぬ。おぬしには色々と裏でも手を回して貰っておるのだ。誰にも聞かせられぬ話の1つや2つあるであろう」
「ではさっそく本題に入らせて頂きます」
泰朝との話は、まるで昨日の政孝とのやり取りを彷彿とさせた。
改まった泰朝は懐よりあまり綺麗とは言えぬ紙を取り出す。それを麻呂の前に差し出してきた。
全く同じである。
「これは?」
「まずは読んで頂きたく思います。話はそれからで」
「わかった」
差し出された紙を受け取り開く。中に書かれている文字は世辞にも上手いとは言えず、むしろ敢えて読みにくく書いているようにさえも思えた。
しかし文字の上手さなど、中身を読んですぐに気にならなくなる。内容はただ完結に一文。
『一色政孝は今川家を裏切り、織田家に通じている』
とだけ書いてあったのだ。
「・・・連龍のときと同じである、な」
「はい。おそらくあれを模倣したのかと思われます」
麻呂としては誰かの悪戯だと笑い飛ばして、この愚かな悪戯をした者を麻呂の手で処してしまいたい気持ちもあった。あの政孝が麻呂を裏切るはずなど無い!と。
だが連龍の一件がある手前、なんの根拠も無い現状で政孝を擁護する発言など出来るはずがない。と昨日より前の麻呂であれば思ったであろう。
「家中にこの密告をした者がおるな」
「飯尾の密告に関して知っているのは家中の、それもそれなりに殿に近しい者でございます」
「ということはそれが事実であるか、はたまた政孝の活躍を妬む者か」
「私個人の意見としては、政孝殿が殿を裏切るなど思えませぬが」
泰朝も随分政孝を可愛がっておるからな。あくまで個人の意見と言いつつも、その言葉には強くその意思が込められておるのが分かった。
「麻呂も同じである。というよりも泰朝に話しておきたいことがあるのだ」
「話にございますか?」
「実は昨日、政孝より内密に話がしたいと言われたのだ。そしてこの文を渡された」
政孝より預かっていた文を泰朝へと手渡す。その中身を読んだ泰朝は疑わしい表情で顔を上げた。
「これはいったい・・・」
「織田信長は東海に興味を示しておらぬが、東海が荒れることを望んではおらぬ。そして麻呂には上洛の意思はない」
「利害は一致していると?」
「うむ。南信濃を制したことで、目下我らと争う可能性があるのは上杉か北条か。あとは武田であるやもしれぬ。三国同盟が立ち消えとなった今、南側の海を除く全てが敵になるのは辛いであろう」
もちろん父上を討った信長を許せるかと言われれば、今はまだ難しい話であることは間違いない。
しかし織田を憎んで敵対し、勢力縮小した武田が海を目指して南下し、河東地域をめぐって北条と戦うなどあり得ぬ話なのだ。
それは今度こそ間違いなく滅びの道を歩むこととなろう。
麻呂は1人ではなく、父上亡き今でも今川家に尽くしてくれる者たちがいることを忘れてはならぬ。
「義元公のこともあります。誰も納得出来ますまい」
「しかしかつて争ってきた北条や武田とも同盟を結べた。無理な話ではないことも確かである」
ただ根本的な問題として家格というのはあるやもしれぬ。北条は今川とも縁のある家柄であった。武田は源氏の血を持つ一族である。対して織田は斯波氏の家臣。
この戦乱の世で家格など大した意味を持たぬが、それを理解出来る者がどの程度おるのかが問題であった。
「殿はこの話受けてもよいとお思いなのですね?」
「うむ。政孝が仲介しているというのもあるが、何よりも麻呂達が生き残る術の中で最善であるとも思える。それに織田には恩を売られてしまった」
政孝より聞いた話を泰朝にも話した。思い当たる節があったのであろう泰朝も頷きながら麻呂の話を聞いておる。
そして話し終わると泰朝は何度か頷き、そして最後には覚悟を決めた顔をした。
「かしこまりました。私も殿のご意志を尊重し織田との盟を成すためお力添えさせて頂きます」
「そうか、泰朝も味方になってくれるのはありがたい。頼りにしておるぞ」
「ご期待に応えられるようより一層奮励努力いたします」
これは大きな進展であった。そしてこの話があるために、此度の泰朝の話も納得がいく形で収まる。
織田内通の疑いは大方晴れたと思っておる。繋がりを持ったために出た話であろう。しかしそうなるとこの文を泰朝に渡した者の正体も調べねばならぬな。
「誰がこれを書いたのか急ぎ調べよ。この文のことは公にしない。が、代わりに政孝にはみなの前で此度の同盟打診の話をしてもらう。もちろん麻呂も知らなかった体で話を聞く」
「では私もそういたしましょう。しかし1つ気になることがございます」
文を広げ直して、ある部分を指さした。そこには信長の妹である市姫を妻として迎えて貰いたいと書いてある。
麻呂の正室は北条氏康殿の娘である春だ。しかしその北条との関係は、此度の戦で決して友好とは言えぬものと成り果てた。
おそらく二国間の同盟すら怪しい。春を北条に返すのか、はたまた妻としておいたままに織田から妻を娶るのか。
「まだ春には話しておらぬ。そこは麻呂達に決めさせて欲しいのだ」
「もちろんにございます。殿が早川殿と仲睦まじいのはみな知っておりますので」
「すまぬな。では近いうちにみなをまた集めるとしよう」
「かしこまりました」
文を片した泰朝は部屋より出て行った。それと入れ替わるように小姓が部屋へと入ってくる。
「氏真様、朝倉義景様より御使者様が参られております」
「朝倉だと?」
「なんでも幕府の正式な使者であると」
「・・・わかった、謁見の間へと通せ。すぐに向かおう」
「かしこまりました」
朝倉から幕府の使者ということは、朝倉の庇護下にある足利義秋様からであろう。
この時期に使者ということは間違いなく、武田との戦のことであろうな。
しかしちょうどよい。これで正式に武田より信濃を切り取ることが出来る。
僅かに嫌な予感を感じながらではあったが、麻呂は使者の待つ謁見の間へと向かった。
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