184話 裏切りの一族

 大井川城 一色政孝


 1566年冬


「殿、お聞きしたいことがございます」

「なんだ?」


 久への部屋へ向かう道中、後ろに控えていた二郎丸が恐る恐るそう話しかけてきた。

 なんの話であるのか見当はついているが、はっきりとその口に出させる。


「父上は此度の敗北に関して、お叱りを受けるのでしょうか?」

「そうだな・・・。二郎丸が俺ならば、配下の者がしでかしたことを叱るか?」


 俺はあえて質問を質問にして返してみた。まだ二郎丸が小姓について日が浅い。まだ人となりもよく分からないから、こういった機会にお互いのことを知っていこうという算段だ。


「私が上の立場ならば叱ります。でなければ周りに示しがつきません」

「なるほどな」

「・・・殿も同じでございますか?」


 そうだ、と言われれば二郎丸の父である家房は自身の率いる水軍衆敗走に関して叱責を受けることになる。

 だから緊張した面持ちでそう問いかけてくるのだ。


「俺ならば叱りはしない。落とした信頼は俺の叱責があっても回復しないからな」

「しかしそれでは・・・」

「すべきことをせずに負けたのと、すべきことをやって負けたのでは意味が違う。お前の父親は多くの兵の命を預かる立場でありながら、手を抜く男なのか?」

「それはありません」

「ならば俺は叱りはしない。己の不甲斐なさを責め、死んでいった者たちのためにも前を向くのは家房しか出来ないからな。俺がとやかく言ってもなんの解決にもならん。まぁもし家房がすべきことをせずに負けたのであれば、俺の家臣としてはいらぬ。叱責はせぬが追い出しはするだろうな」


 黙ってしまった二郎丸を横目に見ながら俺は久の部屋へと着いた。

 それに気がついた二郎丸は慌てて俺の前へと歩み出て襖を開ける。


「すまないな。待たせてしまっただろうか?」

「いえ、いつものことですので」


 待たせたかどうかの質問に対してその答えはあまり会話として成り立っていないように思えた。

 俺はいつも昌友らと話すと話が長いから待つのは慣れている、という意味の返事として捉えるほかなくなるだろう。


「鶴丸も大きくなったな」


 俺は久に引っ付いていた鶴丸を抱きかかえた。鶴丸も今年で3才となる。

 つまり大井川領にやってきた頃の虎松と同じになったわけだ。少々成長が遅いのか、まだまだ言葉を発するのは苦手なようだが、代わりに身体はある程度成長し抱きかかえるにしても重くなったと実感する。


「父様、おかえりなさいませ」


 俺は鶴丸が単語では無く、会話として言葉を発したのに驚いた。信濃に出兵するころはまだ会話という会話が出来ていなかった。

 鶴丸が単語を複数並べてこちらが意味を読み取るみたいな感じだったのだが、いきなりしゃべり出すと驚く。


「旦那様、返事をしてあげてください。たくさん練習したんですから」


 久に言われて俺は我を取り戻した。

 抱きかかえていた鶴丸に目線を合わせて、しっかりと返事をする。


「あぁ、ただいま戻ったぞ。鶴丸」


 すると嬉しそうに笑うのだ。俺も嬉しくなってしまう。

 先ほどまで感じていた不安などどこかに吹き飛んでしまったわ。まことに赤子は可愛らしい。それが自分の子であれば尚更な。


「久も半年間よく鶴丸を守ってくれたな」

「いえ、みなの協力があったからです」


 そう言いながら背後に控えている日輪を見た。日輪は黙った頭を下げ、隣に座っていた初も同じく頭を下げる。


「そうか。2人ともよくやってくれた」

「私などなにも」


 日輪へ遠慮がちにそう言うが、子育て経験者が側にいてくれると久も安心出来るだろう。


「今後ともよろしく頼む」

「私などの力でよろしければ存分にお使いください」


 日輪はそういって部屋の隅へと下がっていった。


 俺は抱きかかえていた鶴丸を膝の上にのせて、久としばらく話した。俺は戦場で上げた手柄のこと、そして雪の中の強行した撤退のことだ。

 戦の話が楽しいのか、鶴丸は膝の上で大層喜んで話を聞いている。

 逆に久からは、暮石屋に預けている高瀬の話を聞いた。京には相変わらず行けてはいないようだが、庄兵衛の倅である喜八郎と共に東北方面へと向かったという文を預かっていたようだ。また喜八郎の4人の子供達のことも書いてあった。

 特に次女の八代やしろという娘と気が合うらしく、ともに色々学び合っているのだという。

 俺としても上手くやっているようで安心した。いずれは戻ってくるつもりのようだが、もしかすればこのまま暮石屋に引き取られるやもしれんな・・・。


「そういえば先ほど言われていたことですが」


 久は真面目な顔つきで俺へそう問いかける。先ほどの話。

 俺が城に戻ってきた際に久に言った言葉だ。


「・・・そうだな、久には話しておくべきやもしれん。日輪、鶴丸を頼む」

「かしこまりました」


 俺は日輪に鶴丸を預けると、そのまま部屋から出て行った。わずかにぐずった鶴丸であったが、日輪がうまくあやして表情は一転。とても笑顔のまま出て行った。


「初は残れ、重要なことだ」

「かしこまりました」


 出て行こうとした初を再度座らせて俺は久と向き合った。


「実は俺にとある疑惑が出ている」

「疑惑・・・、にございますか?」

「あぁ。内容は織田家と内通しているといったものだ」


 久も初も驚きで固まってしまう。まぁわかる。

 桶狭間以降、今川家で離反を企んだ家は悲惨な最期を向かえているからな。

 井伊直盛も捕らえられてはいないものの、先祖伝来の土地を全て放棄し信濃へ逃走したと思われる。

 鵜殿のような例外もあることにはあるが、飯尾を筆頭に多くの家は滅ぼされた。


「いったい誰がそのようなことを!一色家は旦那様の代よりも前から今川様に尽くしておられるではありませんか!?」

「あぁ。だが織田と多少なりとも縁があるのも確かだ。だから俺は困ったのだ」

「縁・・・、ですか。それで誰から旦那様は聞いたのですか?」

「泰朝殿だな。駿河にある朝比奈家の屋敷に密告書が投げ込まれていた」


 俺の言葉に素早く反応したのは初であった。飯尾のときと同様の手口、あの時俺は栄衆に情報を共有していた。


「下手人は未だ捕らえられていない。だが泰朝殿としても俺だけを贔屓するわけにはいかない」

「つまり今川様に報告されるのですね」

「そうだ。だから先ほど昌友らを呼んだ。対策を急ぎ練るためにな」


 まぁ結果として方針は固まった。俺は一色の存亡をかけて、今川と織田の同盟を成す。というよりも成すしか生き残る術が無い。

 状況は当初俺が思っていた以上に悪くなっていた。


「大丈夫なのですよね?」

「任せろ、俺がどうにかする。ただどうにもならなかった時は・・・」

「ならなかった時は?」

「家康でも頼ってこの地を捨てるほか無いな」


 久は泣きそうな顔で俺を見ていた。

 俺はそんな久の背中に手を回して引き寄せる。

「きゃっ!?」という可愛らしい声を出して久は俺の胸の中にすっぽりと収まった。


「そう不安がるな。まだ失敗したわけでは無いのだ」

「・・・ですが今川家の家中の事をよく知らない私でも、旦那様が今どのような立場になっているかということは分かります」

「ならば祈っていてくれ」


 久は俺の身体を両手で押し返すと、少し離れた位置より顔を見上げてきた。


「旦那様なら大丈夫です!太原雪斎様から教えを頂いた私が保証いたします」

「俺の師も雪斎様なのだから保証にはならないだろう?」


 久が笑ったことでこの緊張で固まった雰囲気はどうにかほぐれた。

 俺は一瞬だけ初を見て、目で命じる。

 何かあった際には真っ先に久と鶴丸を連れて大井川城を出るように、と。

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