181話 獅子の最期

 忍城 北条氏康


 1566年冬


「御本城様、新手にございます」


 まだ日も昇らぬ刻。静かに俺の部屋へと入ってきたのは龍雲斉であった。


「義氏か」

「いえ、兵の掲げる紋は三つ鱗。北条・・・、おそらくは氏政様が率いているのではないかと」

「そうか。やはりやって来たか」

「はい、御本城様の指示通り長綱殿がうまくやったようにございます」


 いらぬ事を言う龍雲斉を睨むと、わざとらしく肩をすくめ坊主頭を下げた。ここは敵方の城であったのだ。

 誰が聞いておるかなどわかりはせぬし、寝返る輩も出るやもしれん。

 壁に耳ありという言葉もある故な。


「御本城様?」


 龍雲斉の言葉を無視して立ち上がり、壁に立てかけてある槍を天井へひと突きしてやる。

 するとうめき声と共に真っ黒な装束を着た男が落ちてきた。

 やはり潜んでおったか。俺の動向を完璧に把握しているからおかしいとは思っておったが風魔までもが我らの戦に介入してくるとは。


「忍びですか」

「風魔のな。頭領はどうやら氏政に従ったようだ」

「まさか此度の古河公方様の御出陣は・・・」

「こちらの動きを完璧に把握しておるのは氏政らだけではない。的確にこちらの弱点を突いてきておったあやつらの事を考えると、裏で繋がっていてもおかしくはない」


 義氏らに纏まりがあれば、俺は氏政ではなくかつてしのぎを削ってきた者らに討ち果たされていたことであろう。

 救いであったのは烏合の衆であったこと。

 弱点は突かれたもののどうにか追い返すことには成功していた。

 だがそれもそろそろ限界であろうな。


「みなに伝えよ。これが俺の最期の戦となる。あの者らだけはしかと監視を付け、他の者らには玉砕覚悟で突き進ませるのだ」

「・・・御本城様」

「どうした、そのように辛気くさい顔をして」

「儂はかつてあなた様のお祖父様に育てられ、それ以降北条家の為に誠心誠意お仕えして参りました」

「知っておる。お前は長く北条に尽くしてくれた」

「しかしそれもここまでにございます。儂は随分長く生きました」


 生きたと言ってもまだ60そこらであろう。弱っているわけでは無い。

 まだ生きられよう。しかし状況がそうはさせぬ。俺も龍雲斉もこの地で死ぬ。それが北条を生き返らせる最善の策なのだ。


「黄泉でも御本城様のお供をさせていただいてもよろしいでしょうかな」

「・・・好きにせよ」

「では先に逝っております。もし気が変わればもう少し後に来ていただいても構いませぬからな」

「たわけが。そのようなこと、するわけが無かろう」


 夜明けと共に城の外で怒声が聞こえ始める。ついに追いついた氏政らは俺の入っている忍城へと総攻撃を開始した。未だ足下もはっきりせぬ中での攻勢に味方らは随分と混乱する。

 そんな最中、1人の兵が俺の元へと駆け寄ってきた。


「龍雲斉様、御討ち死ににございます!精鋭騎馬を率いて敵陣深くまで突撃し、最後は敵に囲まれ・・・」

「わかった。下がれ」

「はっ!」

「龍雲斉も逝ったか。みな黄泉で俺のことを待っているのであろうな」


 龍雲斉。北条五色備の赤備えを率いた北条きっての武将はこの日、盛大に散った。61才の死に様では無かった。俺は龍雲斉の死を目撃した者にそう聞いた。

 そして次々に報される討ち死にの報。

 北条をどうにか盛り立てるために、この身を滅ぼす最高に馬鹿げた策に乗ってきた重臣ばかもの達に俺は感謝した。

 そして俺にもついにその時がやってくる。

 城内は騒がしいが、それは悲鳴か怒号かどちらかでしかない。


「父上!ようやく見つけましたぞ!」

「・・・藤田の家はどうしたのだ。氏邦」


 やってきたのは氏政でも氏照でもなく、俺が強制的に抱え込んだ氏邦であった。その手には兵の首がさげられておる。

 血に塗れた氏邦の姿に恐怖心はなく、むしろ楽しさがあふれ出てくる。


「何を笑われておるのです」

「いやな・・・、おかしなことだ。俺はお前達がこうして俺の敵になったことに嬉しさを覚えておるのだ」

「何を言われているのですか・・・」


 どれだけ話を繋いでも援軍がやってくる気配は無い。やはり俺の死に場所はここで間違いないようだ。

 ならば最後の親子団欒でもするとしようか。


「氏邦、2人で話さぬか。最後の話だ、邪魔者は不要であろう」


 警戒した様子で刀や槍を構える兵らを氏邦は手を出して押さえる。


「どういうおつもりか知りませぬが、奇襲を以てしても父上が俺に敵うことはありませぬ」

「わかっている、俺ももう年だ」

「下がれ。外を見張り、中の様子がおかしいと思ったら踏み込んで参れ。そうでないのであれば何人たりとも入れることは許さぬ」


 不安げな兵らを外へと追い出した氏邦は、堂々と俺の前へと座った。だが刀を側から離すことはない。

 それで良い。


「父上、何故このようなことをされたのです」

「簡単なことだ。北条が大きくなるために必要であったからだ」

「上杉と正々堂々戦をすればよろしかったでしょう。このようなことをすれば父上か兄上が死ぬことは確実に起きてしまうとわかるはず」


 自身は何も出来なかったと悔しげであった。

 だが氏邦も立派に役目を果たした。藤田の家を北条より切った。それが最大の功績である。


「大福御前は如何した」

「義父様もろとも斬りました。そして重連も斬りました」

「それでいい。北条を蝕む者らは斬らねばならぬ」

「・・・父上が死に、兄上がこの御家騒動と各国との騒動を収めることで北条の勢力拡大を狙われたのはわかっております。父上が考えなしにこのような暴挙に出るはずが無い」


 氏邦の視線はまっすぐに俺を貫いておった。その目は確かに此度の真実に気がついている。

 しかしそのことを他の者らに知られるわけにはいかなかった。


「・・・あまいな、氏邦よ。あまいわっ!」


 側に置いていた杖に仕込んでおった刀で氏邦めがけて斬りかかる。

 しかしそれを知っていたかのように、その刀を素早い抜刀により受け流し、そして切り返して見せた。

 あまりに一瞬の出来事。

 しかし俺の右腕にその感覚は無くなっている。腕を見たが血が噴き出し、見事にやられておった。


「ぐっ!?」

「あまいのは父上です。ですが最後までこの乱世で生き抜くために最善を尽くしておったのも知っております。故に真実は墓場まで持っていくとしましょう。ですからどうか安らかにお眠りください」

「・・・氏邦」

「はい」

「北条を・・・、氏政を・・・、兄弟達を、そして関東の民達を、・・・頼んだ、ぞ」

「――――――」


 氏邦が最後なんと言ったのかわからないまま俺は意識が途切れる。しかし最後が息子に斬られて死ぬとは・・・。

 先に逝った者らに自慢してやらねばならぬな。



 ――――――――――――――――――――

 北条氏康、享年52才。相模の獅子として関東やその周辺国に名を轟かせた男は、忍城にて自身の子である北条氏邦の手にかかって死んだ。

 その死は後の北条家、そして周辺諸大名らに大きく影響を及ぼすこととなる。

 北条に待ち受けるのは繁栄か、それとも凋落か。

 それを知るのは意外と近い将来になることを誰もまだ知らなかった。




 ※北条綱高・・・龍雲斉

 かつての姓は高橋。父親が伊勢宗瑞の娘と養女を娶る。父親の死後、北条氏綱が養父となったため北条姓を名乗った。

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