180話 因縁の対決

 上野国碓氷郡碓氷川周辺 武田信玄


 1566年冬


「伝令!安中城が長尾勢により落とされました!城主安中忠成様は敵の手に落ちたようにございます」


 箕輪城の攻略に失敗して以降、せわしなく各地での敗戦の報せがワシの元へと届けられる。

 先日は塩崎城とその周辺の城がいくつも落とされたと報せられた。幸隆は自害し、嫡男であった信綱は重傷を負いながら、救援要請のために真田本城へと撤退。

 虎綱は未だ牧之島城にて耐えていると聞いているが、信濃のほとんど全域を抑えられた今、あの地の援軍に向かえる者はおらぬ。

 進撃を続ける長尾とは反対に今川は兵を退いた。義信が守っておった高遠城を落としてからの撤退であった。甲斐への進入はどうにか防いだが、あれも守れたというより、大将の勘が鋭かったと言うしかない。

 いうなれば此度の戦は完敗であった。


「御屋形様、申し訳ありませぬ。私がもう少し上野の攻略を上手くやっておけば・・・」

「信忠、そこまで気を落とすでない。それよりもこの窮地を生きぬく術を考えるのだ」

「はっ!」


 この時期にこのような川沿いに陣を張るのは流石に堪えるわ。しかし他の撤退路は大方長尾の兵らに抑えられておる。

 甲斐へ生きて帰るためにはこの地で奴らを蹴散らし、一気に撤退するほかない。


「信春、城へ入りはせぬ。この負け戦、最後の戦いが始める故気を抜かぬよう全軍に伝えるのだ」

「はっ!かしこまりました」


 信春は陣より出て行くが、その足取りは重たい。みな、もうボロボロになっているのだ。まさか長尾の別働隊がこうも早く動くとは思わなんだ。

 そして何よりも・・・。


「北条が裏切っているとは」


 勝頼の言葉にワシも頷いた。上杉憲政率いる別働隊に背後を突かれ、一度包囲を解いたワシらはそのまま北条に寝返った旧長尾家臣の城へと兵を向かわせて体勢を整えようとしたのだ。

 しかしそれは成らなんだ。

 奴らはワシら武田の兵を攻撃すると、城より出撃し追撃してきた。

 そこまでさらてようやく気がつく。北条氏康はワシと密約を交わしたフリをし、上野にまで手を伸ばそうとしているのだと。

 しかし弱り切ったワシらに対抗する手段などあるはずもなく・・・。


「すまぬな。ワシの目が曇っていたようだ。氏康めの謀を見抜けなんだ」

「それは私も同じにございます。必ずやこの地から生還し、裏切り者の北条を蹴散らしてやりましょう」


 ここ何度かの戦で随分と頼もしくなったものだと嬉しい気持ちもあった。しかしワシは勝頼のその言葉に横に首を振る。

 どういうことなのか、と訝しげにワシの目を見る勝頼の肩に手を置き現実を伝えてやった。


「信濃・上野を失った今、我ら武田に残るのは甲斐のみとなる。甲斐1国は周囲の国々に比べるとどうしようもなく貧しい。今のワシがこれまで大きくなれたのは、信濃の支配が脆弱であったためだ。しかしこれからは長尾や今川、そして認めたくはないが北条の手が入ることとなる。ワシらが甲斐より外へ出るのは果てしなく難しくなろう」

「・・・では父上はこのまま御家が滅ぼされるのを待たれるおつもりですか」

「そのようなつもりはない。こうなった以上は滅ぼされず、生き抜く道を探すのみ。だがやはりまずは生き残らねばならぬ」


 生き残る術はある。だが、そのために今を生きねばならぬ。

 この場所に迫る慌ただしい足音。

 どうやらワシにとって最大の踏ん張りどころが来たようだ。みなとともに甲斐へと生きて帰ろうぞ。




 安中城 上杉政虎


 1566年冬


「武田信玄は碓氷川周辺に陣を張ったようにございます。軒猿からの報せによれば、箕輪城より撤退後に厩橋城へと移動したようですが、手ひどくやられて甲斐への撤退を決めたようにございますな」


 景綱の報告を聞きながら、城より見える鼻高砦を見下ろす。あの砦はかつて我が宿敵が上野侵攻の足がかりとして築いた砦であり、今は我が家臣である本庄ほんじょう繁長しげながら揚北衆を入れてある。

 そうそう負けることも、逃げ出すこともないであろう。

 牧之島城での鬱憤をこの戦で晴らすが良い。


「さきの城攻めで逃がした者らは」

「真田の倅が真田本城に入っておるようにございますが、すでに満身創痍。城を攻めずとも兵を出すことなど出来ますまい。また南信濃の方面へと逃げた者らは放っております。今川様の置き土産らがどうにかいたしましょうから」

「それでよい。箕輪城の救援が出来た今、我が気にすることは上野支配が崩れかかっておることと、武蔵国の上杉方の城がことごとく落とされたことである」


 景綱は深く我に頭を下げた。

 高広に限らず、今川からの提案にのり関東方面の各城の守りを手薄にしたのが裏目に出た。

 盟約に反して、北条は我らに対して兵を向けると瞬く間に武蔵を制する。

 今は関東諸将の者らが団結し北上する北条勢の足を止めておるようであるが、そこが抜かれれば上野におる北条へ寝返った者らと合流し、上野の支配も盤石なものとされるであろう。


「最早武蔵国での支配権を奪い返すのは難しいかと。せめて上野だけでも守らなければ」

「義父様の面目がたたぬな」


 平常心でいられなくなったあの日、脅してでもという言葉をあろうことか義父に対して使った。

 その成果もあってか、別働隊を任せた義父様は見事に武田本隊を箕輪城より退けて見せたが、やはりあの時の我は平静ではなかった。

 ・・・このままではいかぬ。


「景綱、馬を引け。川中島より始まりし、我らの因縁。ここは彼の地ではないが、それでも決着をつけようぞ」

「はっ!しかし決して前回のような無茶だけはされませぬよう」

「そうならぬよう、景綱らが我から離れなければ良いだけの話」


 引かれた馬に乗り、我は刀を掲げた。


「行くぞ、我が宿敵信玄よ!おぬしの首、我が刀の錆としてやろう」


 我の言葉に続けて大きな雄叫びが上がる。

 いざ出陣のとき。目指すは敵大将武田信玄の首、ただ1つ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る