182話 新たな勢力図

 大井川城 一色政孝


 1566年冬


 どうにか年を越す前に城に戻ることが出来た。だが降りしきる雪の中を強行したせいで、最早手足にまともな感覚は残っていない。


「旦那様、おかえりなさいませ」

「あぁ、戻った。よく留守を守ってくれたな」


 久を筆頭に、留守を任せていた者らが大勢出迎えてくれた。俺の手柄もある程度伝わっているようで、みな嬉しそうにしている。

 その顔を見るだけで、強行した行軍の疲れは吹き飛ぶ。

 だがあまり暢気なことを言っていられる場合では無い。すぐさま久の背後の控えていた昌友を呼んだ。


「久、悪いが急ぎすべきことがある。終わり次第部屋に行くから少々待っていてくれ」

「はい・・・。何かあったのでしょうか?」

「それもいずれ話す。昌友」

「はっ」

「俺の部屋へ来い。それと時真も着替え次第俺の部屋へ」

「かしこまりました」


 あまりの態度の変わりようにみな不安がっている。あまり心配はさせたくは無いが、かなり重要な話に違いは無かった。

 久にもう一度視線を向けると、理解はしてくれたようでみなを解散させた。母も不安げであったが久が母や虎上殿を伴って部屋へと戻っていく。


「俺も着替えたら行く。落人も呼んでおいてくれ」

「かしこまりました」


 しかし本当にまずいことになった。泰朝殿の話をすっかり忘れていたせいで、例のあの文の真相も、対処も何も考えられていない。

 せめて下手人だけでもある程度特定しておきたかったが・・・。

 しかし俺が考えるべき事はそれだけではない。秀吉にあの廃寺で言われたこともそうだ。

 そして完全に任せきりにしていた親元の大井川の治水事業と、商人を襲う志摩の暴挙。

 対処すべき事は山ほどある。


「俺が最後だったか」

「ちょうど時真殿が来られたところにございます」

「そうか」


 時真の肩がやや上下しているのは俺を待たせまいと慌ててのことであろう。まぁよいか。


「色々と動きがあった、がまずは畿内の動向を知りたい。俺達が信濃に行っていた間に何か動きはあったか?」


 これは落人への問いだ。栄衆の半分は畿内の情勢偵察に動かしていた。


「越前へと落ち延びた足利義秋は、朝倉義景に上洛を命じました。しかしそれを拒むように朝倉は加賀の一向宗との対決姿勢を示し始めております。また若狭の逸見が丹波の赤井に寝返ったため、若狭も三好長逸の勢力下に変わりました。若狭にて畿内の動向を探っていた内藤宗勝は近江へと落ち延びております」

「随分と動いたようだな。しかし若狭が三好長逸方に落ちたとなると・・・」

「若狭・越前国境で幾度にも渡る小競り合いが起きております」


 だと思ったわ。朝倉の意思とは関係なく、次期将軍の座をめぐって争いが勃発している。朝倉にとってみれば、軍事力が衰えつつある現状分裂したとはいえかつての三好の版図の大部分を抑える三好長逸と戦いたくは無いはず。だから加賀に意識を向けているように見せているのだ。

 残念ながらそれも上手くはいっていないようだがな。


「また浅井は朝倉と手を切り、現状は中立の立場であります。そして大和に逃れた三好義継は松永久秀と共に周辺勢力と手を組み、三好長逸と明確な対立姿勢をみせております」

「三好・松永と手を組んだのは誰だ」

「大和四家のうち、未だに松永久秀に従属していなかった筒井つつい越智おち、そして箸尾はしおが大和国内で協力しております。それに合せて興福寺の僧兵らも協力しておるようです。また紀伊の畠山もその動きに同調しているようにございますが、こちらに明確な根拠はありません」


 つまり畿内の南半分は大方足利義秋の擁立で固まったということころか。こうなってくると三好長逸は浅井を抱きかかえることを考えるはず。

 浅井は織田との同盟を結んでいるから、うまく行くかは半々・・・、もっと低いかもしれないな。


「それと浅井長政が妻を娶ったようにございます」

「妻?」


 ここまで歴史が変わっておいて結局市を嫁に貰ったのだろうか?しかし浅井と朝倉の関係は決してよいものでは無いから、金ケ崎のような悲劇は起きたりしないだろう。


「観音寺城で惨殺された平井定武の娘にございます。かつては夫婦でありましたが、六角と浅井の関係悪化により離縁しておりました」

「そうか、平井の娘か」

「はい。どうやら妻である阿多姫に浅井長政の子ができておりましたようで」


 そういうことか。現状では唯一の跡取りとなる。そして一度は離縁したとはいえ、かつて六角の全盛期を支えた重臣の一族の出であるから、多少反対は出ようとも押し切ることが出来たのであろう。

 しかし阿多姫か・・・。聞いたことは無いな。


「我らから報告出来るのはこの辺でございます」

「いや十分だ。よくわかった。続けて昌友、留守の間にこの地で何か異変はあったか?」

「大井川の地ではとくにありません。強いて言えば親元殿主導の大井川の治水事業は順調であるということと、それに際して命じられておりました、川渡しの者らとの交渉も概ねうまくいっているというくらいでしょうか」

「これが上手くいけば、さらにこの地は潤う。親元にも礼を言わねばならぬな」

「是非そうしてやってください。殿にそう言われればきっと喜びましょう」


 昌友の顔色が僅かに曇った。

 おそらくこれに続く報告があまりよくないものなのだとすぐに分かる。だが大井川領に関しては問題ないと言ったということは、一色港か、それとも海上か・・・。


「どちらだ?」


 俺の漠然とした問いに対して昌友は一瞬悩んだ。しかしすぐに理解したという表情へと変わる。


「どちらもにございます」

「そうか・・・」


 思った以上に大井川領外の内政問題は深刻そうである。

 聞きたくは無いが、対策を練るのも領主の務め。覚悟を決めて昌友の話を聞くこととした。

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