178話 負け癖のついた重い腰

 天神山城 一色政孝


 1566年冬


「政孝殿、よくぞご無事で」

「氏詮殿もな。それにしても随分と久しぶりに会うのではないか?」


 義昌殿の案内の元、小出城へ入った俺達は少々嫌な予感を感じて早々に天神山城へと入った。

 俺の予感は的中していたようで、この城に入城する直前にどんよりと曇った空から雪が降ってきたのだ。

 たしかに時期的には冬といっても差し支えない頃ではあるが、それにしたって例年に比べると早い。いや、信濃と遠江の天気が多少違う可能性もあるが、それでもここで足止めを喰らうのは想定外のことだったのだ。


「確かに・・・。いつも今川館へ参上するのは父上にございますからね」

「そうだな。最後に会ったのはいつだったか」

「・・・覚えておりません」

「俺もだ」


 俺達を出迎えてくれたのは、同じ一門衆である瀬名氏詮殿であった。父は氏真様の信頼厚い氏俊殿だ。

 度々本隊の大将を任されている御方であり、この氏詮殿も氏俊殿に付き従っているため、この年で戦が上手いと評判であった。ちなみに俺の2歳下となる。

 今回は氏俊殿とは別に兵を率いて信濃侵攻に参加していた。


「しかし危なかったですね。もう少し進軍が遅れていれば、木曽の山中で降雪をやり過ごさなければなりませんでしたよ?」

「まったくだ。だが予兆はあったからな」


 俺達は降りしきる雪を見ながら談笑をしていた。何故この場で留まっているのか。高遠城へと向かわなくてもよいのか。

 その点は何も問題がない。この城に着いて知ったことだが、元信殿も此度の対武田の侵攻作戦の終了が近いことを悟り、無理な城攻めから再度兵糧攻めを敢行しているのだ。

 元々高遠城の兵らは米の収穫時期を待たずに籠城に入った。案の定、食料が底をつき夜中の人目のつかぬ時間に兵が城から逃げ出している状況に陥っているのだという。

 未だに奴らが降伏しないのは、織田を迎撃しに行った部隊が戻ってくると信じているからだ。


「政孝様、高遠城が落ちたようにございます。敵大将武田義信から提示された条件を岡部様が全面的に呑み、開城したとのこと」

「条件とは?」

「城兵や高遠城に籠もっている将らを見逃すこと。それと周辺の民を連れて撤退をすること」


 なるほど、民がいなければ城下町は成り立たない。義信からしてみれば、民は武田を慕っていると思っての判断であっただろうが、民からすれば迷惑な条件だ。

 撤退中に寝首をかかれなければ良いのだがな。

 しかし高遠城も落としたことで、おそらく俺達の役目は一度終わりを迎えるだろう。


「さて、どうしようか」

美篶みすず春日かすが城に待機されている氏興様に判断を仰ぎましょうか?」

「そうだな。どちらにしてもこれ以上は動けまい。迂闊に進めば暖の取れぬ場所で凍え死ぬぞ」


 現に寒い。外でも簡易の屋根を作り、乾いた地面を作って火を付けて兵らは待機しているが、そのような状況で戦意を維持するのはまず不可能である。

 さっさと撤退するが吉であろうな。


「元信殿にも使いを出す。おそらくあちらも高遠城に入られているはず」

「ではそちらにも人を送っておきます」


 時真が部屋から出て行った。

 俺は氏詮殿と再び2人となる。


「そういえば聞きましたか?」

「何を」

「同じく信濃に兵を進めた上杉は、城に籠もって足止めをしていた武田方を攻め倒し北信濃の主要地域を押さえたようですよ」

「さすがの実力だな。それで上杉はどう進んでいる?」

「どうやら街道に沿って城を攻略しつつ上野へと兵を進めているようで」

「上野か・・・」


 すでに元信殿に報告済みのあの間者の件を思い出した。北条と武田が裏で同盟を組んでいる。

 甲斐侵攻を氏真様と共に行った北条氏政は突如甲斐から兵を退いて小田原城に帰城。

 その直後のこの報せ。

 はじめから北条がそのように仕向けていたのか。はたまた途中で方針が変わったのか・・・。


「上野は俺達が介入することは出来ない。これに関しては上杉に対処して貰うほかないな」

「そうですね。ですが北部の城が落ちたことでこちらに向けられる援軍が減りました。武田は上杉の侵攻を抑えるのに必死ですから」

「対して俺達の目的は大方達成した。あとは井伊直盛の身柄だけ捕らえることが出来れば満点なのだがな」


 相変わらずあの男の消息は掴めぬままであった。

 いったいどこに隠れているのやら。




 沼田城 柿崎景家


 1566年冬


「憲政様、殿からのご命令にございます。迅速に兵を動かし箕輪城を救援に参りましょう」

「何を言っておる!北条が関東方面の上杉を動員するまで待って欲しいと文を寄越したのをしっておろう!」

「軒猿が報せを寄越しました。関東方面は北条が兵を動かし大部分の城が降伏いたしました。高広殿の話ももはやどこまで信じて良いものか分かりませぬ。これ以上待てばあなた様を待つ家臣らを見殺しにすることとなりましょう。そうなれば上野への復帰はおろか、誰もあなた様を認めなくなりますぞ」


 殿と面会したと使いの者は言っておった。大層お怒りの様子であったと。

 そして寡黙な殿が、「脅してでも」という言葉を使われたという。それも義父となられた憲政様に対して。

 最早これ以上待つわけにはいかぬ。

 何が何でも箕輪城へと向かわねば。それに軒猿からの報せでは兵をおこした北条に対して関東諸将らは連合を組んで対峙しているという。

 何が起きているのかまだよく見えては来ぬが、今ならばまだ間に合う。

 武蔵方面は残念ながら手遅れとなってしまったようではあるが、上野はまだ武田にも北条にも落ちておらぬ。


「ぶっ、無礼であろう!このワシを誰だと思っておるのだ!ワシは関東管領上杉憲政であるぞ!」

「・・・現在の関東管領は上杉政虎様にございます。そして我らが仕えるのもあなた様ではなく、政虎様。最終手段だと思っておりますが、某が兵を指揮して箕輪城の救援に向かっても良いのですぞ。しかしきっとそうなれば憲政様はこの城に残られるのでしょう。そのことが戦が終わった後に知られれば・・・」


 それ以上は言わぬ。すでに我慢の限界は超えていようからな。

 切られなどすればたまったものではないわ。


「では某は外で待っておりますので。戦支度が済み次第お越しくだされ」


 あまりここで時間をかけるのはよろしくはない。

 だがあくまで別働隊の大将は憲政様であり、武田の脅威を払いのけた後の上野支配は山内上杉家がすべきなのだ。

 負けに怯え、勝機をみすみす逃すその根性。無礼を承知で叩き直すとしよう。

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