177話 2度目の離反
信濃国筑摩郡 一色政孝
1566年秋
木曽家の降伏により、この周辺の地で迷うことがなくなった俺達は早速軍を東に進めた。
この辺り、山が険しく直線的に東に向かうことは難しい。故にこの辺りの地理に明るい義昌殿の案内は俺達の進軍をスムーズにさせる。
これまで先行を任されていた一色に木曽家の兵は組み込まれ、俺と義昌殿は馬を並べて山道を進んでいた。
「政孝様、1つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「・・・義昌殿、俺のことは呼び捨てでも政孝殿でも好きに呼んでいただければよろしいですが、"様"はやめてください」
一門衆であることを知って義昌殿はそう呼んだのであろうが、今川家では誰もそう呼ばぬし、単純に慣れていないせいで気持ちが悪い。
「では政孝殿」
「なんでしょうか」
背後には木曽の兵もいるが、俺が僅かに顔を動かす度に警戒しているのがわかる。義昌殿もそれに気がついているのだろうが、特に注意するといった様子はなかった。
「随分とお若いように見えますが、歳はいくつなので?」
「歳ですか・・・」
そういえばあまり気にしたことがなかったな・・・。今何歳だったか。
俺が生まれたのが家康と同じであるから1542年。今が1566年であるから・・・。
「今年で25ですね」
思った以上に時が進んでいて自分でも驚いた。すでに前世の自分と同い年である。明らかにこちらの人生の方が濃いのは仕方が無いことであろうな。
「25・・・、俺と2つ違いか」
「歳も近いのですから、今後とも仲良くしていただけるとありがたく思います」
「そうですな。これからは俺も今川様に仕えようというのだ。積極的に仲を深めるのもよいことか」
俺の営業スマイルは駿河衆以外の方にはウケが良い。
俺も満足して馬の歩を進めさせた。だが天気は相も変わらず良くはなかった。何度も雨が降り注ぎ、そのたびに進軍を止めねばならない。山道で大雨に遭遇するのは危険すぎるため仕方が無いことである。
身体も動かせず、徐々に体力も奪われていくのがよくわかった。
「山を抜ければ小出という城があります。彼の城はすでに廃城とされ本来の城としての機能は失っておりますが、木曽谷から甲斐へと向かうための中継地点の建物として木曽の者が管理しております。この地を抜ければ、一度小出城に入り休息を入れましょう」
「わかりました。では義昌殿の言うとおりに兵を進めましょう」
俺の許可が出たことで、義昌殿は背後に従えている1人の男を呼んだ。
その者は木曽衆の1人である
「家政、小出城に遣いを出せ。我らが今川家に降伏し、兵を共に進めていることを報せるのだ」
「かしこまりました。急ぎ遣いを出しましょう」
家政は兵を呼び出し、使いの支度を進めていた。その様を見ながら俺は冷える身体を手でこすってどうにか温める。
今敵と遭遇すれば間違いなく、大きな損害を出してしまうだろう。よくもそんな恐ろしいことを考えていたと後になって思うが、それほどこのときはまともな思考をしていなかったのだと思う。
「殿、氏興様より使いの者が来ております」
「わかった。通せ」
「はっ」
時真はその使いの者を俺の前へ連れてくる。その者はすぐに膝を折って俺に用件を話し始めた。
「先ほど武田の間者を捕らえました。どうやら先に降伏していた者の中に潜んでいたようにございます」
「早期に発見出来たようで何よりだ」
「はい。それでその者はとある書を運んでおりました。それがこれにございます」
おそらく実物であろうそれを俺は使いの者から受け取った。
雨で濡れているからか、少し文字が滲んでいる。だが、確かに読める部分はあった。
「義昌殿」
側にいた義昌殿を呼び寄せて、その書を渡す。
困惑した様子で受け取ってはいたが、すぐにその意味が分かったようで中身を読み始めた。
「・・・北条氏康殿と御屋形様が手を組んでおられるだと!?」
「もはや御屋形様ではありません。気をつけていただきたい」
俺と話している分には良いが、目の前には氏興殿の使いの者がいるのだ。口を滑らせれば、それは己の寿命を縮めることになりかねない。
「失礼いたしました。武田と北条が繋がっているとなると」
「あぁ、氏真様が大変危険である。武田に早期和睦を結ばせなければ、形勢が逆転されかねぬ」
しかし現在の当主は氏政ではなかったのか?何故氏康が武田と組むという話になる?いや、今は考えている暇はない。
「時真、高遠城の様子は何と言っていたか」
「城攻めの最中だと伺っております。しかし美濃国境に兵を動かした飯富虎昌の所在が分からぬ故、一部の兵を周辺の城へと配備し警戒に当たらせているため思った以上に城攻めに苦戦しているという話でございました」
「そうであったな・・・」
高遠城を落とせるか落とせないかは、最早ここまで来ると重要なことではない。
むしろ武田の嫡子を高遠城に縛り付けていると考えれば、城を落とせずともそこまで悪い話ではないように思えた。
「ちなみに周辺の警戒のために兵を入れているという城はどこであった?」
「はい。朝比奈様が高遠城より南西にある菅沼城に、瀬名様が高遠城の西にある天神山城に入られていたかと」
「義昌殿、天神山城へと向かいたいと思うのだが」
「わかりました。では城まで俺が案内いたしましょう」
とにかく俺の考えを元信殿に伝えなければならない。そしてそれ以降の判断を下して貰う。
先も言ったが俺達にはあまり時間がないようだ。早期決着を目指すとしよう。
厩橋城 北条高広
1566年秋
「みな揃ったな」
俺の前には車座になって顔を見合わせる数人の男がおる。
この者ら、上杉から離れ北条のご隠居につこうという物好きらである。俺もその1人であるのだがな。
数ヶ月前、北条氏康より持ちかけられた話に乗った俺はすぐさま上杉の支配に不満を持つ者らに話を通した。
結果として俺の思惑通り、話をした全員が上杉からの離反に乗ったのだ。
全体としてみれば武蔵の上野寄りの者たちと、上野の東に城を持つ者たち。離反の動機は様々であり、単に上杉や長尾の支配に嫌気がさしている者や、旧領の奪還を目指す者など色々であった。
俺は単に嫌気がさした。数年前の失敗があったうえで2度目の離反である。
此度は失敗出来ぬ。
「高広殿、此度の戦で北条家が勝ったあかつきには我らの城を返してくださるのでしょうな」
「もちろんだ。
「ならば良い。俺はおぬしを全力で支えよう。城も任された訳であるしな」
上泉泰綱殿は満足げに頷かれた。城を失った泰綱殿は、厩橋城からみて利根川を挟んだ向かい側にある石山城を任せている。
石山城は武田、もしくは上杉が俺の動きを察知して攻め込んできた時のための壁として、城の守りを重視した改築を施した。
簡単に落とすことは出来ぬはず。
「他の者らも頼むぞ。各々の奮戦が我らの今後を大きく左右するのだ」
「はっ!」
力丸家や高山家といった周辺の城主や、
決して失敗はせぬよう、万全の備えをした上での離反である。
此度は相手が虎であろうと龍であろうと負けはせぬ。必ずや成功させる。
そしていずれはこの地を・・・。
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