170話 土産話
信濃国伊那郡廃寺 一色政孝
1566年秋
「さて、色々聞きたいことはあるが・・・」
「いやぁ~お久しぶりにございますな。政孝殿」
「藤吉郎殿も息災そうで何よりだ」
俺を呼び出した塩澤の関係者は、全く無関係な人間だった。その男、かつて岡崎城で信長に随伴していた木下藤吉郎だったのだ。
後世でもサルという呼び名が有名だったにもかかわらず、あまりサルっぽくなくて逆に印象に残っていたからすぐに気がついた。
「はて?ワシはあの時、名を名乗りましたかな?」
思わず名前を呼んでしまったが、たしかにあのとき信長は名を呼んでいなかったし秀吉は名を名乗っていなかった。
「名乗っていたぞ。忘れたのか?」
「・・・そう自信を持って言われると名乗った気になってくるのが不思議なものですな」
「それよりもそろそろ話を聞かせて貰えるだろうか?」
屋根裏や床下には栄衆がいるとはいえ、誰に見られても困る現場であることに違いはない。
たいして積もる話があるわけでもなく、俺は早々に此度の目的を話すように急かした。
「たしかに、ワシもすぐに戻らなくてはなりませんのでな」
「それで?」
「おそらくすでに目的を果たしておられる頃であろうが、三河領内になる一色家の領地にワシと同じく信長様に仕える者が遣わされた。目的はとある話を政孝殿に伝えるため」
「・・・俺に?」
「信長様は今川氏真様とであれば手を結べるとお考えじゃ」
前のめりになった秀吉は楽しそうに話した。
その話を聞かされた俺は身体をのけぞらせて距離をとりたい。いや、たしかに信長との盟は俺も考えた。
今川家滅亡を避けるためには、やはり勢いのある織田家を味方に付けるのが一番良いと何度も考えた。
しかしそれは簡単なことではないと何度も考え直した。するにしても相当手を回して、同盟成立のために尽力してようやく出来るかどうかのようなものだと覚悟していたのだ。
しかしどうだ?信長は俺の描いた策と同じ事を考えていた。おそらく目的は同じ。
背後を大きく安定した勢力で守らせたい。その一点に尽きる。
「俺にどうしろと」
「松平との婚姻を許された時点で、政孝殿が今川様にとってそれなりの存在であることはわかっておる。ならばこの話、任せることが出来るのではないか、と」
「たしかに氏真様とは幼き頃より共に過ごしてきた。元康・・・、いや家康と3人でな。だが今川家中全体で見れば、俺の立場はそこまでよくない」
「・・・少し状況は違うが信長様とよく似ておるわ」
俺は真剣に話しているのだが、秀吉はあくまで楽しそうに笑った。
「信長様は政孝殿から同じ匂いを感じておられる」
「織田殿が?」
「うむ、だからワシはその言葉を信じてみようと思う。それで我らの同盟、考えたことはなかったか?」
「・・・たしかに考えた。家康が織田と盟を成した時、可能性は少なからずあるのではないかとも考えた。だが俺の父親もそうだが、織田家と今川家はお互いに傷を残し合った。頭では分かっていようとも、それで納得できぬこともある。そう考えて確実な方法を探そうと思っていたのだ」
秀吉は何度も頷きながら俺の話を聞いている。そして俺が話し終わると同時に膝をポンッと叩いた。
「ならば可能性はあるのであろう。此度信長様が信濃へと兵を出されたのは武田勢を美濃国境に引きつけるため。この事実をそれとなく今川様へ伝えていただけぬか?」
「・・・わかった。現地の者にそういった話を聞いたとして伝えてみよう」
「よろしくお頼みもうす。それでついでに土産を残しておこうと思う」
「土産?」
「これより西の山間部にて我らは武田勢と戦った。ワシらは万全の防御態勢をとっており、武田勢を完膚なきまでに叩き敗走させておる。今ならば美濃国境沿いの城は容易く落とせよう。また信長様は美濃国の前田砦に撤退されておる。美濃に侵入してこない限りは、我らが戦うことはない。安心して進まれよ」
思った以上に土産は大物だった。
織田勢と戦う必要がないうえに、武田勢は弱っている。この情報が嘘でなければとても有益なものに違いない。
「信じて良いのだな?」
「もしワシの言葉が嘘で、健在な武田勢とかちあってしまい討ち取られた場合はワシを呪ってくれても良い」
「・・・わかった。ではそうさせてもらう」
「ではワシはこれで。近くの村に兵を待機させておりますので、心配は無用じゃ」
そう言うと秀吉は立ち上がって、廃寺の抜け道のようなところから外へと出て行った。おそらく秀吉が帰ったことを外の者らは気がついていないだろう。
「先ほどの話聞いていたな?どこまで信用出来るか分からぬ。とりあえずこの地より西の山中で戦った痕跡を探ってくれ」
音はなかったが、さっきまであったような気配は消えた。
「さて土産が事実だとして、どうやって伝えるべきか・・・」
しかし信長が同じ事を考えていたとは。これは今川・織田の同盟が現実味を帯びてきたやもしれんな。
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