169話 対織田の対処法
信濃国根羽村周辺 一色政孝
1566年秋
信濃に入ってからはとにかく展開が早かった。
まず信州遠山家の屋敷である高平館を焼き討ち。そして屋敷を守っていた景広の甥だという
その後遠山川を上り、和田城を取り囲むと景広はすぐさま降伏の使者を寄越したのだ。
なんでも武田の援軍が見込めないからだという。
そして今川への臣従を申し出た景広は次子の景忠を人質として出すと言ってきた。現状の大将である氏興殿はそれを認め、俺達一色兵とともに美濃国境を目指している。
「もうじき根羽村へと入る。もしあの情報通りであればそろそろ織田勢が見えてきてもおかしくはないぞ」
「しかし人っ子一人見えませぬが・・・」
時真は俺と馬を並べてそう述べた。
たしかに村自体にも人がいる気配がない。家屋に隠れて奇襲を狙っているのだとすればあまりにも危険か・・・。
「昌秋、むやみに建物に押し入らぬよう全員に伝えよ。ただまっすぐ目的地へと進むのだ」
「かしこまりました!」
昌秋は馬を後方へ走らせ、それぞれの部隊長に俺の言葉を伝えているのが聞こえてくる。
しかし本当に不気味だ。
誰も村にいないなんてことがあり得るのか?
「時真、これより先に物見を出せ。状況が分かるまで近くで休息をとる」
「はっ!では早速送りましょう」
時真の指示で、陣を敷き全軍の動きが止まった。後方よりついてこられている氏興殿や親矩殿らも同じように動きを止められる。
直に氏興殿よりお呼びがかかるだろう。今後のことも決めねばならぬし、もし織田勢と接敵したときの対応もしっかりと詰めておかねばならぬ。
俺はあの日信長に言ってしまったからな。もし今川と織田が戦うこととなっても俺は氏真様について最後まで戦う、と。
そしてしばらく後、使いの者がやって来て軍議を開くため氏興殿の陣へ集まるよう伝えられた。
俺は少々離れた陣へ馬を使って向かい、陣の中へと入る。
すでにほとんどの方が集まられていたようで、おそらく俺が最後になるだろう。
「さて、では全員揃ったな。・・・みな、緊張しておるのか?」
そう言う氏興殿も声がじゃっかん震えていた。
そのことを早速親矩殿に突っ込まれる。
「氏興殿こそ怯えておるのではないのか?手も声も、体中震えておるぞ」
「たわけた事を申されるな。これはそう・・・、武者震いよ」
なんて言いあう姿が、俺達の緊張を解した。
そしてみなが顔をつきあわせていよいよ軍議が始まるのだ。
まず最初に決めるべき事は織田勢とかち合った時、どの程度の力で戦うかだ。当然追い返すのがベストではあるが、その場合だと相当覚悟を決めて戦わなければならない。
最優先に達成すべきことは信濃への侵入を止めること。手段はいくらでもある。
奇襲でも妨害工作でも、なんなら対峙するだけでも足を止めること事態は可能である。
だが果たして信長にそれが通用するのかは甚だ疑問であった。
「種子島で威嚇するというのはどうだろうか?」
牛久保城主である
「この天候では使えますまい。あまり種子島は当てにされぬ方がよろしいかと」
「それは残念だ。あの恐ろしいまでの威力を見せつければ尻尾を巻いて逃げていくかとも思ったが・・・」
俺だってそれが出来るのならば、やりたいところだ。
だが天候には勝てない。無理して使って、撃てずに全滅なんて目も当てられないからな。
「ではやはりまともにぶつかるのは愚策では?」
「同感だな。無理をする必要はなかろう?それに俺達が抜かれれば、北上している元信殿らにも危険が及ぶ」
長照殿の言葉にみなが頷き、親矩殿の言葉に同意の声が上がった。
ということは俺達は突発的に織田勢とかちあたるわけにはいかなくなった。先にこちらが織田を見つけ出し、侵攻ルートを予測して陣を張り待ち構えなければならない。
そのまま膠着状態に引きずり込む。
そんなとき、背後に人の気配がした。顔を向けるとそこには時真が申し訳なさげに俺を呼んでいる。
「如何したのだ?」
「失礼いたします」
そう言って俺の側へと近寄ってきた。俺が身体を時真に近づけると、耳もとに顔を寄せてくる。
「実は塩澤の関係者と名乗るものが殿に会いたいと」
「・・・わかった」
俺は極力表情を変えずに席を立つ。
「如何したのだ、突然」
「申し訳ございませぬ。昌秋・・・、私の家臣が少々手に負えぬ事態を起こしたようにございまして。すぐに戻りますので」
「・・・はよう行ってやれ。こちらはこちらで話を進めるが構わぬな」
「親矩殿、それは当然にございます。戻り次第、色々聞くやも知れませぬがよろしくお願いいたします」
氏興殿も頷かれたのを確認して俺は慌てて陣を出て馬に乗る。
「どういうことだ」
「我らも困惑してしまい、これは殿に通すべきだと」
「その選択、正解だ。よく俺に報せた」
しかしどういうことだ?いや、もちろん本当に塩澤の関係者という可能性はある。
だが奴らが俺に接触してきていったい何のメリットがあるというのだ。むしろ危険を冒している。
時真は本陣に戻らず、そのまま近くの林の方へと馬を進ませた。俺もそれに従って馬を走らせる。
「こちらにございます」
たどり着いたのは、林に入って少々走った場所にある廃寺であった。壁に藻やら蔓やらが巻き付き、今にも朽ち果てそうな寺。
いったいいつからこの場に放置されたのか。そんな感想を抱きつつ昌秋らが集まっている場所へと向かう。
俺に会いたいという者は、昌秋や複数の兵に囲まれて跪いていた。
「昌秋、何もしていないだろうな」
「はい。万が一がありますので」
そう言ってその場を俺と入れ替わった。その男は農民のような格好をしている。
だがまだ油断はならない。俺を狙う刺客という可能性はあるし、もし塩澤の関係者でないのであれば、この者の対処もどうすべきかは重要な問題となる。
「俺が一色政孝である。その方、顔を上げよ」
恐る恐るといった様子で、その男は顔を上げた。
その顔を見て思わず声を漏らしかける。こっちが気がついたのがおそらく分かったのだろう。
その男は俺にだけ分かるように口角をわずかにあげた。
やはりそうだ。俺はこの男を間違いなく知っている。一度だけ会っているのだから知っていて当然だ。
「昌秋、栄衆の者を寺に入れよ。他の者は近づけてはならぬ」
「かしこまりました」
「此度はお前も他の者と同様にせよ。俺はこの男と2人で入る。護衛はあの者らだけでよい」
昌秋も時真も何か言いたげであったが、俺が何も言わせぬようその男に合図を送った。気がついたようで俺の後ろを付いてきている。
「厄介なことでなければ良いがな」
「それはワシにはわかりませんな」
独り言のつもりで言ったのだが、背後より楽しげな返事があった。
返事を求めたわけではない。これはただ困った時の癖なのだ。それ以上は何も言わず、ただため息を聞こえるように吐いてやったわ。
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