125話 治水による領内経営

 大井川城 一色政孝


 1565年冬


「殿、・・・殿?」

「ん?あぁすまない。少し考え事をしていた」

「・・・休まれては如何ですか?一向宗が蜂起してから、何かと忙しそうにされていたのでありましょう?」

「いや疲れがあるわけではない。ただどうにも困ったことがあってな」


 俺の乾いた笑いに「そうですか」とあまり納得のいかぬ様子で頷いたのは、水軍衆に任じている親元であった。

 現在親元に相談があるといって、伊勢湾の警戒から呼び戻しているのだ。とは言ってもあの海域から目を離すことは出来ない。

 三河湾の警戒に当たらせていた家房の船をいくつか向かわせ、親元の娘である海里に一時的に指揮権を移させての呼び出しだ。


「それで急ぎの用件があると伺いましたが、一体どういったご用で?」

「それはだな」


 俺は昌友に命じて作らせていた2枚の地図を広げた。1枚はここ大井川領の真ん中を流れる大井川流域の地形図。もう1枚は大井川流域に広がる村や畑を簡易的に記した地図。


「これが何か分かるな?」

「この地の地図ですな。こちらは村落と田畑の分布、こちらは地形の詳細が書かれております」

「その通り。実は深刻な問題が起こったのだ」


 俺は広げた地図の右側、地図外の畳を閉じた扇子で叩きながら親元を見る。さて言いたいことがわかるかな?


「・・・三河が関係しているのでありますな」

「うむ、一向一揆が起きて多くの村人が戦乱を避けるように東へ東へ避難を始めた。比較的一揆の影響を受けていない遠江に流民が多くいるのだ。しかし当然戦場となっている三河へと追い返すわけにもいかない」

「大井川領をさらに発展させるということですか」


 よし、ちゃんとわかっているようだ。ここまで一から説明するのとその辺のことを省けるのでは随分と違うからな。正直助かるわ。


「大井川の支流を作りだし、そちら側にも村を作るつもりだ。此度の流民らはそこに住まわせる。当然だが流民であろうと一色領内に住まわせる限りは、これまでこの地で生きてきた者らと同じように生活出来ることだけは約束してやりたいのだ」

「ということは川を作りだし、そして堤防まで築かねばなりません。これは相当大きな仕事になりますな」

「それでな、その陣頭指揮を親元に任せようと思っている」


 やはり、といった様子で親元は頷いた。だいたいこの話を聞いている最中に察した様子はあった。やはり話が早い。


「俺はお前の内政の手腕を買っているのだ。今までは水軍に付きっきりであったが、此度だけはこちらで力を貸して欲しい」

「・・・殿、そのように申し訳なさげな顔をしないでくだされ。俺はこのような大きな任を与えて頂いて楽しみにしております。それに水軍のことも娘がいれば何も心配はありませんので」


 俺は親元の思考として水軍第一と考えているのだと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。何やら楽しそうに地図を眺めているし、すでに1人でブツブツと言い始めている。

 これは邪魔をするのは可哀想か。

 最後に1つだけ大事なことを伝えておくとしよう。


「親元」

「・・・はっ」

「この作業には尋常でない人手が必要である。しかし元よりいる民よりも流民を優先して雇うのだ。必要ならばそのように領内に触れを出す」

「元は別々の領地の者らを使うのですか?しかしそれは些か」


 親元は不安げであるが、おそらく心配しているほど工事が遅れることはないだろう。むしろ喜ばれて結束力を生み出すやもしれぬ。


「流民らには家がない。なんなら金も少ないだろう。その者らを雇い入れ、全員にしっかりと労働分の対価を払う。これで金に困って村や商人を襲うようなことにはならぬだろうからな」

「なるほど」

「それでも人が足らぬのであれば元からいた領民を雇い入れれば良い。支払う金のことは気にしなくても良いからな。昌友にはちゃんと話を通している」

「ではこの奥山親元、大井川領の発展に精一杯勤めさせて頂きます」

「頼むぞ、期待しているからな」


 まるでスキップでもするのではないかというほど、軽い足取りで親元は部屋を出ていった。きっとこれから実地調査にでも向かうのだろう。


「殿、親元殿は?」

「今行った。それで成果はどうであった?」

「はっ、やはり井伊谷からも少なからず人が流れているようにございます」

「であろうな。あの地は十分すぎるほど混乱している。少数の厄介者が入り込んできてもおかしくはなかった。もっと早くに警戒しておくべきだったか」


 昌友は襖を開けて俺の前に座った。じゃっかんであるが、血の匂いがする。

 直々に始末したのであろう。普段はそのような場にいることを好まぬ者であるのだが、状況がそうも言ってられぬか。


「逆手にとりましょう。逆に利用してやるのです」

「いい手があるのか?」

「私にお任せください。悪いようにはしませぬので」


 こうも自信満々にいわれれば、拒否することなど出来はしない。


「わかった。そのことは昌友に一任する。ただし無理はするな」

「かしこまりました」


 いよいよ武田が動き始めた。去年のように一向宗だけをみていることはもう出来はしない。

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