123話 今川に残った井伊の行く末
今川館 一色政孝
1565年正月
「失礼いたします。一色政孝、参上いたしました」
「同じく、小野政次にございます」
部屋の前で名乗りを上げると、静かに襖が開いた。
部屋の中は大井川城の俺の部屋より少し広い。中には氏真様と泰朝殿が座っておられた。
「誰かに見られぬうちに入れ」
「では失礼して」
俺が最初に入る。続いて虎上殿が続き、背中を押されるようにして虎松も入ってきた。そして政次殿と時宗も入室し襖が閉められる。
「氏真様、この方は井伊直盛の娘で虎松を私の元へと連れてやって来た虎上殿です。当時は龍泰寺の尼僧で次郎法師と名乗っておられましたが、現在は還俗し母上の側に仕えて貰っています」
「政次より話は聞いておる。よくぞ無事に大井川領まで逃げ切ったな」
虎上殿は何も言わずに頭を下げた。俺もまた同様に気を抜いてはいない。まだ沙汰はくだされていないのだから。
「虎松、ぬしの爺はしっかりと師として指導してくれているのか?」
「は、はい!時宗様はほとんど井伊谷から出たことのなかった私に色々なことを教えてくださいます!いずれは一色様のお力になりたく思います」
5才にも満たぬ童子の言葉とは思えんな。泰朝殿もそう思われたのか苦笑いで俺を見られているが、俺がそう言わせたわけでは無い。
俺だってこのようなことをすると聞いてはいなかったのだ。
大方道中で時宗と相談したのであろう。
「そうかそうか!それで大井川城の居心地は如何かな?」
「・・・魚が美味しゅうございます。それに色々なものが溢れています。華姫様は京の交易品をたくさん買われるので、珍しいものがいっぱいあります」
まさかの母の話にみなが一瞬固まった。幼き子は無邪気なものだ。
きっと母が今川の出身で、氏真様にとって叔母にあたるなど知りもしないのであろう。案の定、聞かれた氏真様も隣にいらっしゃる泰朝殿も反応に困っておいでだ。
「虎松殿、華姫様は氏真様にとって叔母に当たる御方です」
「なんと!?失礼いたしました」
時宗の指摘に慌てて虎松は謝罪を入れた。やはり本当に知らなかったようだな。
「よいよい。華姫様が元気そうだということがよく分かって麻呂も安心した。ではそろそろおぬしらについての沙汰を下す」
この空間にヒビが入ったかのような音が聞こえた気がした。ピシッと。
この場にいる最年少、虎松ですらその言葉の意味が分かっている。緊張した面持ちをしているのは氏真様以外の全員。
「井伊家の所業はやはり麻呂にとって許すことのできないものである。しかし命の危機に瀕してまで、今川に忠義を尽くした井伊直親にも報いねばならぬ。よって虎松、そして虎上両名を一色に任せる。ほとぼりが冷めるまで匿うのだ」
「よろしいのですか!?」
「何を驚いている。麻呂は政孝を信用しておる。本当であればここに元康も含めたいのだが今はまだ無理よ。・・・話が逸れたな」
「いえ・・・」
かつての日を思い出した。きっと氏真様も同じであろう。この場で幼き頃の思い出を共有出来るのは俺と氏真様、そして元康の3人だけなのだ。
雪斎様が生きておられたら4人だったな。
だから元康がこんな形で戻って来たとはいえ、俺にも嬉しい気持ちはあった。ただし状況は嫌われ者である一色よりも立場が悪くはなってしまったが。
「しかし井伊の名を名乗ることは現状許さぬ。今は名を偽り、井伊の遺児であるということを隠すのだ。時が来れば井伊家再興も許そうとは思っておる」
「それは・・・」
「虎松が立派な将になったか、もしくは一色が今川家筆頭家臣になった頃であろうかな」
泰朝殿が困ったように笑われた。その立場に今あるのが泰朝殿が率いていられる朝比奈家なのだ。本人を目の前にして、その立場を追うよういわれているのだ。
これはきっと無配慮なわけではない、と思う。
緊張した場を和らげようとされたのだと信じたい。
「虎松、立派な武士になるのだぞ?」
「はい!氏真様のお言葉を胸に立派な武士となりたいと思います」
そういうわけで特に俺の出番も無く、虎松と虎上殿は許された。・・・そういえば先日豊岳様にいわれていたことがあったな。これも一緒に報告しておくべきか。
「実はもう1つお願いしたきことがございます」
「如何した、政孝」
政次殿にもまだ言っていなかった。というか忘れていた。政次殿は訝しげに俺を見ている。時宗には少しだけ話した。四臣らとともに。
「実は先日大叔父上である豊岳様が大井川城へとやってこられたのです」
「・・・ふむ」
「信濃国伊那郡にいる塩澤という一族の中に虎松よりも少し年上の幼子がいるのですが、その者直親殿が父親だというのです。名を高瀬といい今年で11になるといったはずに御座います」
「何故信濃なのだ?」
「・・・井伊直満殿、虎松の祖父と政次殿のお父上にただならぬ因縁がございます。直満殿が亡くなられた後、身の危険を感じた直親殿は一時信濃へと身を隠しておられました。おそらくその時に生まれた子かと」
流石に気まずかったが説明しないわけにもいかない。この場には政次殿や虎松、虎上殿といった井伊の関係者もいる。
氏真様もしまった、という顔をされた。この辺り家臣の俺が思うのも無礼な話なのだが、配慮が足りていないと思うしか無い。
「豊岳様は今安全な場所へと避難させていると言われたのですが、一色が抱え込んでいることを考えると、やはり一緒に身の安全を図って欲しいとのことにございました」
虎松は自身に姉がいるなど初耳だろう。驚いた表情を隣でしているが、何も言わずにじっと俺を見上げている。虎上殿は薄々察していたのだろうか。特に驚いた様子もなく、ただ俺達の話の行方を待っているようだ。
「どうするつもりか」
「虎松や虎上殿を保護する以上、高瀬姫も大井川城へ迎えても構わぬと思います。それに高瀬姫に関しては身元が判明しにくいので」
「・・・わかった。そちらのことも政孝に任せる。ただし麻呂から言っておくことは1つだ。上手くやるのだぞ」
「かしこまりました」
俺に合わせて他の4人も頭を下げた。
「泰朝、今後は一色のことも気を配ってやって欲しい。成り行きとはいえ、政孝には色々負担をかけてしまっているのだ」
「かしこまりました」
「そういうわけだ。困ったことがあれば泰朝を頼るが良い」
「ありがたきことにございます」
無事に氏真様との密談を終えることは出来た。虎松や虎上殿の身の安全も確保出来たし、高瀬姫の事もどうにかなりそうだ。城に戻れば急いで豊岳様に使いを送ろう。
しかし一色家中では大きな問題を抱えることになったのだ。全ては豊岳様の何気ない一言によって始まった。
それこそが俺こと、一色政孝の側室騒動の原因となったのだ。
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