122話 臣従の条件
今川館 一色政孝
1565年正月
新年の挨拶が終わった今川館であったが、氏真様よりみなこの部屋に残るよう指示された。
いつものように一門衆と重臣が氏真様に近い下座に座り、それ以降に他の家臣の方々が座られる。しかし重臣側の一番上座に近い席が空いていた。いないのは泰朝殿か。
俺の正面には親矩殿が座られており、なんとなく顔を見ているとあちらも俺に気がついたようで目礼された。俺もそれに習って目礼を返し、そして上座に座る氏真様に視線を移す。
「みなに大事な話がある。おそらく今年再びあるであろう一向宗との戦。そのために必要な駒が全て揃った。入れ」
氏真様の合図で、廊下の方から数人の足音が聞こえた。横目で確認してみると、先頭を歩くは泰朝殿だ。そしてその背後にはしっかりと正装した元康、そして築山殿と忠次の姿があった。
たしかに駒が揃ったな。
俺は信置殿の話を時宗経由で聞いていたが、他の方々のほとんどは元康の動向など知らなかったであろう。
当然だがこの場のざわめきは凄まじいものであった。誰も手を出さないのは築山殿が同席されているからであろうか。
「松平元康にございます。今川氏真様、本年明けましておめでとうございます。そしてこれからよろしくお願いいたします」
「「お願いいたします」」
後ろに座っていた2人もまた同様に頭を下げた。それでもこの殺伐とした空気が収まることはない。誰も彼もが説明を求めるように、案内してきた泰朝殿に視線を移している。
「みな静かにせよ」
氏真様の声は、このざわついた部屋の中でも良く響いた。みなの視線はまた氏真様へと集まった。
「さきほどの言葉からも分かるように松平は今後今川に与し、麻呂の家臣となる。もちろんみなの言いたいこともわかる。よって元康にはいくつか条件を付けた」
泰朝殿が懐より出した紙を広げた。どうやら臣従に際して交わされた約束のような物らしい。何が書いてあるのかは分からないが、ただ確実に分かることはある。
元康は相当色々な条件を呑んだ。それだけは理解出来た。
「では1つ、松平家は岡崎城以外の城を全て今川に返還すること。1つ、松平家臣の中でも有力な者の一部は今川の直臣として氏真様に仕えること。1つ、此度の一向宗の一揆に加担した旧松平家臣の処遇は氏真様に全て一任すること。1つ、以後数年間は今川直臣の者を見張りとして岡崎城に入れること。1つ、嫡子竹千代殿を今川館に人質として入れること」
なかなかな条件が次々と読まれていく。竹千代様もまた元康と同じように人質としての子供時代を送るのだな。とは言っても元康が裏切るような真似をしなければ、むしろ今までよりも良い暮らしは出来るかもしれない。
駿河は戦乱を避けた公家の避難場所みたいにもなっているから、京の文化もたぶんに取り込んでいる。
ただし問題があるとするならば・・・。俺は隣に座られている氏俊殿を見た。辛そうな顔をされている。
「1つ・・・、瀬名姫は今川との縁を切ること。これにより松平家は一門衆と認めないこととする」
全ての条件を読み切ったであろう泰朝殿は、元通りに紙を折りたたみ氏真様に献上した。それを受け取られた氏真様は改めて元康らを見ている。
「元康、麻呂が裏切り者を許すのは異例中の異例よ。氏俊の懇願と一部の一門衆からの言葉があったからである。それと松平の過去の境遇も関係している。しかし今後、またあの日のような裏切りを働いた場合は容赦せぬ。よく覚えておくように」
「寛大なご処置、感謝の言葉の申し上げようもございません」
家臣の方々の反応はおおよそ半々といったところか。朝比奈家には、元康を幼少期から可愛がっておられた御仁がいる。その方の影響なのか元康の今川への臣従には好意的であった。
逆に俺を嫌っている駿河衆の一部の方々は反対といった様子。主に我らの師を侮辱したあの3人とかな。
「また一からではあるが励め」
しかし1つ気になった条件があったな。三河における一向一揆に加担した元松平家臣の処遇の一切は今川家に任せるといったもの。
史実とこの世界での加担した者らは大方一致している。
ということは史実で江戸幕府の設立に貢献した徳川十六神将の大半のものの命運が尽きるということになるであろうな。それに本多正信もいるはず。
惜しい人材を無くしそうだ。
「また麻呂の直臣となる酒井忠次には寺部城に、石川数正には足助城に入るよう命を下している。どちらも元康の家臣ではなく今川の家臣であり、元康と家格は同じである。みなもそのこと忘れるでないぞ」
不服そうな顔もいくつかある中でみなが頭を下げた。元康の臣従も認められた。一見見れば織田との最前線になったようにも見えるが、その辺はまだよくわからないな。
信長が一向宗もいる中で無理して三河を攻めてくるとも考えづらい。此度の元康の臣従をどう思うのか・・・。いや元康は徳姫のことがあるから信長には報告しているか?ならば信長はどう出る?
「それと三河に城を持つ者はすでに政孝より聞いたであろうが、東条城の吉良義昭もまた一向宗に加担している。すでに多くの戦線において吉良家の家臣が確認されている。これ以上離反を許すわけにはいかぬ。これで最後とするぞ。今年、一向宗が再度蜂起すれば徹底的に叩き潰すのだ」
「では私から」
泰朝殿が地図を広げられ、今まで部屋の両端に座っていた者らがジリジリと地図へと近寄る。俺もまた近づいた。
「元康殿には岡崎城から北上、酒井忠尚が籠もる上野城を奪取していただきます。その後は西進し、一向宗が拠点としている寺や村を攻めて頂きます」
「かしこまった」
「そして政孝殿には飛び地となっている港より北上、上ノ郷城からの援軍と共に東条城を攻めて頂きます。この城に関しては焼き払って頂いても構いません」
上ノ郷城の城主は鵜殿長持殿だ。お父上とは多少なりとも因縁があるが、長持殿はどうやら今川に忠誠心を持っているようなので上手くやれるだろう。
「瀬名殿には本隊を率いて足助城へと向かって頂きます。すべての拠点をことごとく破壊してください。もちろんその中には一向宗に与していない村や寺もあるでしょう。必ず保護をお願いいたします」
「はっ!」
元信殿は今回も留守番らしい。随分と不満げだな。それに対して、前回五本松城を攻めた南遠江の城主らは本隊に付き従う形で三河を進む。
親矩殿もそこに加わるようだ。
「麻呂達の敵は一向宗では無い。迅速に一揆を終わらせ、次の戦に備えるのだ!」
「「「ははっ!!」」」
各々が城に戻る中で、俺は氏真様の部屋へと向かっている。
後ろには虎松と虎上殿、そして時宗と政次殿を連れていた。これから今いる2人の沙汰が言い渡される。どうやら道中襲われるようなこともなかったが、やはり不安が無くなることは無かった。
「いよいよですな」
「はい。必ずやお2人を守り通しましょう」
政次殿の言葉に俺は頷き、そして自身に強く言いつける。必ず2人を守るのだと。
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