117話 もたらされた成果

 清洲城 織田信長


 1564年冬


「それで話とはなんだ?」

「ようやくそのお話が出来そうですね」


 市は湯飲みを置くと、改めて俺の前で姿勢を正した。この真剣な眼差しは間違いなく重要なことであろう。

 そもそも市が何やら悩んでいる様子というのは前々から知っておった。かつての俺ならば、気ままに部屋に赴き話を聞いてやったであろう。しかし今はそう言ってられない立場になってしまったのだ。

 時間を作るのに苦労したわ。

 おおかたの家臣らが城に帰り、俺に用のあるであろう者らはほとんどいない。それが今日であったのだが、まだ喧しいのが残っておった。

 まさか今日も俺の部屋に押しかけてくるとは・・・。


「私も18にございます。そろそろ縁談の話があるのではないですか?」

「・・・そのことか。一体何事かと思ったわ」

「兄様にとってはその程度のことでも、私にとってはとても重要なことなのです。それをそのような」


 何やら誤解させたやもしれぬ。俺にとっても市の嫁ぎ先は色々考えておる。

 だから心配せずともよいという話であったのだがな。


「勘違いするでないわ。ちゃんと考えているということだ」

「ちゃんと口にして貰わないとわかりませぬ。それで一体どこを考えられているのでしょうか?浅井ですか?それとも安藤ですか?」

「安藤はない。いずれは家臣になる者らだ」

「では浅井長政様ですね?近江の半分を制されたのですから、兄様にとっても重要な御方になりましょう」


 たしかに俺も長政に嫁がせることを考えた。しかし直経のあの反応も気になるところである。

 大事な妹なのだ。迂闊なところに嫁がせたくはない。市のためにも織田のためにもな。


「・・・違うのですか?」

「今考えているのはな」

「では一体どこなのですか?」


 さてどうしたものか。まだ何も決まっていない状況で市に不安を与えるようなことを言って良いものか。

 市を嫁がせようとしている家は間違いなく織田のためにはなる。そしてそれは奴らにしても同じであろう。しかしそうは分かっていても、拒絶してしまうこともある。

 かつての敵であった男の妹を今川に受け入れることが出来るのかどうか・・・。

 元康が今川に降ると分かった今、俺の背中を任せられる者はもはやあやつらだけだというのだがな。


「・・・まだ言えぬ。その時が来るのを楽しみにしているが良い」

「またそうやってはぐらかすのですね!兄様はいつもそうです。私も兄様のお力になりたいというのに」

「市、何やら勘違いをしておるな。市は今でも俺の力になってくれている」

「私が一体何のお力になれているのですか?」


 不満げよな。市はまるでわかっておらぬ。

 同腹の弟である信行を俺の手で殺してから、家中の雰囲気は最悪であった。俺としては仕方の無きことであったが、あれでは尾張の統一など夢のまた夢。

 しかし家中の雰囲気が暗くなっていたとき、明るく振る舞ったのが市であったのだ。市は俺よりも信行を慕っていたはずなのだがな。


「それが分かった頃に市の嫁ぎ先は決まるであろう。話はこれまでだ。そろそろ部屋に戻れ」

「何一つ私の話は解決しておりません」

「そのうち解決するであろう。気にするでないわ」

「兄様!」


 俺は市を部屋に残して外へと出た。

 少し疲れたわ。市もだんだん母に似てきておる。俺は母に疎まれておった。母は信行を織田の当主にしようとしていたのだから仕方も無いが。

 市もいずれそのような女になるのだろうか。そう考えると今はまだかわいいものか。


「殿、林秀貞ただいま戻りました」

「ようやく戻ったか。随分と時間がかかったな」


 秀貞はどうやら俺の部屋へと向かう途中であったようだ。手には何やら複数の紙の束を持っておる。

 上手くいったか。


「今俺の部屋にはいけぬ。使っていない部屋へ向かうぞ」

「かしこまりました」


 近場にある部屋へと入り、俺と秀貞は向かい合って座る。


「それでどうなった?時間がかかったということは大湊の会合衆はごねたか?」

「いえ、大湊での会談はすんなりと決着いたしました。それまでに少々時間がかかったのです」

「何があった?」


 秀貞はそう言うが、そこまで困った顔をしているわけでは無い。予定外のなにかがあったが、それ自体は秀貞にとってみれば問題では無いということであろう。


「殿のおっしゃった通り、海上にて一色水軍と遭遇いたしました。その後、三河にある一色領に案内され一色政孝殿とお会いしたのです」

「それで?」

「北畠が北伊勢を救援すべく兵を活発に動かしている。志摩の水軍もそれに同調しているため、大湊まで護衛していただきたい。とお願いしたのです。すると政孝殿は少々待てといわれ、数日後に私でも名を知る大商人を数人集めました。彼らを待つために少々時間がかかったのです」

「そういうことであったか」


 しかしまさか商人を動かすとはな。一色政孝、おもしろきことを考える。武家の出であれば商人を使って商人らを説き伏せるなど普通は思いつかぬわ。


「それでその者らの名は?」

「暮石屋庄兵衛、飛鳥屋宗佑を筆頭に大湊の商人らと商売をしている者らが数人。彼らが『一色家と敵対、またはそれに準ずる行為を今後も続けるのであれば金輪際大湊に船を入れない』と言った途端、会合衆は慌てて手を引くと言ったのです。ここに会合衆1人1人の誓書がございます」


 広げられた誓書には確かに会合衆全員の名が書かれていた。十分すぎる成果。


「こちらに被害は」

「一切の攻撃を受けておりません」

「よくやった。しばらくはゆっくりせよ」

「いえ、私はこれより北方城へ戻ります。しかしこれで長島城への支援は相当寂しいものとなりましょうな」


 秀貞の言う通りよ。あとは各地より集められる物資と、一色水軍の警戒をすり抜けてくる奴らからもたらされる物資のみ。


「わかった。また何かあれば呼ぶ」

「お待ちしております」


 良くやってくれたわ。秀貞も、そして政孝もな。

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