家族
118話 父親
大井川城 一色政孝
1564年冬
「よくぞご無事で」
「よくぞもなにも、たいしたことは何もしていないわ」
「数ヶ月に渡る包囲を受けた後なのです。殿がご無事で戻られてみな安心しております」
昌友に出迎えられた俺は、ここ数ヶ月の戦場の垢を落とし平服に着替えて部屋へと戻っていた。
隣には昌友がおり、背後には小十郎と時宗がいる。
時宗がここにいるということは、おそらく虎松のことであろう。
ただ時宗には悪いが、先に行かねばならぬところがある。
「それで久は?」
「お方様は今お部屋にて休まれております。これからお会いになられますか?であるのであれば、我らの話は後にいたしますが」
「そうしてくれ。先に部屋へ、小十郎みなに茶を用意してやれ」
「かしこまりました」
小十郎は時宗と昌友を連れて俺の部屋へと向かっていった。俺は1人廊下を曲がり久の部屋へと向かう。
部屋が近づくにつれて、何やら楽しそうな声が聞こえてくる。
「久、俺だ。入っても良いか?」
「はい、どうぞ」
部屋に入ると頭を下げる久と初、そして母がいた。そしてもう1人、女が頭を下げている。
顔を伏せているために誰かがよく分からない。
「旦那様、お帰りなさいませ。本来ならばお迎えに出なければならないのですが・・・」
「気にするでない。むしろ今は無理をするな」
「私はもう大丈夫なのですが・・・」
久は顔を上げると困ったように、左右を見渡した。
久の左右に座るは母と、顔の分からぬ女だけ。俺が困惑しているのが分かったのであろう。
慌てた様子で久はその女に顔を上げさせる。その顔を見てようやく誰か分かった。
この女、昌友の年下の妻である
「日輪にございます。政孝様、お久しゅうございます」
「あぁ随分と久しいな。それでどうしてここに?」
「日輪をこの子の乳母として雇うことにしたのです。すでに子を2人生んでおりますし、私としても安心出来ます」
「しかし最近子が生まれたばかりでなかったか?よいのか?乳母となれば鶴丸にかかりきりになってしまうぞ」
「あの子は実家にて預かって貰っております。兄に未だ子がいないので、父が随分と可愛がってくれているのです」
日輪の父は大井川商会組合に所属している商人の1人。
珍しいものだと随分と公家に人気があるようだ。
左近次の子で日輪の兄である
「本当に良いのだな?」
「私としても一色の本家様のお力になれると聞いて嬉しい気持ちでいっぱいにございます」
「ならばよいのだ。今後とも久と、鶴丸のことよろしく頼むぞ」
俺としてはなんとなく口にしたのだが、みなが唖然といった様子で見ていた。
何か変なことを言っただろうか?
「ようやくあの子の名前が決まりました。随分と長く待ったものですね」
母が「フゥ」っとため息をつきながら俺を見る。そして日輪の方を見た。俺としたことが何故今まで気がつかなかったのか。
日輪の腕の中には、布で体を覆われた赤子が眠っていたのだ。
「お方様。どうぞ」
「ありがとう」
日輪が久にその赤子を渡した。久は慣れた手つきでその赤子を受け取り、そして俺へと寄ってきたのだ。
「つるまる~あなたのお父上ですよ」
開けた襖より差し込む日差しが眩しかったのか、鶴丸はよく開かぬ目を懸命に開きながら俺の顔を確認しようとしているようだ。小さな手を俺に差し出しているのも可愛らしい。
俺が精一杯の笑顔で、
「鶴丸、お前の父だぞ~」
そう言ってやると、表情は一変。突如ぐずり始め、盛大に泣き出してしまう。久はまた慣れた手つきで鶴丸をあやすのだが、俺の心は既に折れてしまった。
「情けない顔をしないでください。これから分かって貰えば良いのです」
腕を揺らしながらあやすと、鶴丸は徐々に落ち着きを取り戻し始める。前世では子供は苦手だった。今回心を折られはしたが、苦手だとは思えない。むしろ愛らしくて仕方が無い。
「抱いてみますか?」
「・・・大丈夫だろうか?」
母が小さくため息を吐くと、余計に緊張が走る。先ほどのように泣かれないだろうか?泣かれたとして久のように上手くあやせるだろうか?
強ばる腕をどうにか前に差し出し、久より鶴丸を受け取り抱きかかえた。
どうにか泣く寸前のところで踏みとどまっている。
「・・・久、変わってもらえないだろうか」
「・・・旦那様」
そんな目で見ないでくれ。俺を父親だと理解してくれればいつまでだって抱っこしてやる。
久に鶴丸を頼んで俺は部屋を後にした。どうやら今日は祝いの宴をやるそうだ。また商人らが色々祝いの品を持ってやってくるらしい。
今日も大井川城はどんちゃん騒ぎだな。
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