95話 懐かしき者との再会
大井川領 一色政孝
1564年春
「ここからの景色は心が洗われるようで気持ちがいいな」
「また時宗様に叱られますよ」
「そう堅いことを言うな、昌友よ。今日は護衛も連れているのだから問題は無いだろう?」
「今回は俺もいるんだ。兄上は心配しすぎなんだよ」
昌友の心配を俺と昌秋が大丈夫だと笑い飛ばした。
今俺達がいるのは、先日水軍衆の模擬戦を見るために登っていた小高い丘の頂上だ。
この場所は、大井川領を一望出来るから昔から俺のお気に入りである。
昌友や昌秋を供として、元服前はよくここに来ていたものだ。
「それに時宗は虎松の世話で忙しい。俺が城を離れているなんて知らぬ」
「そういう問題ではありませぬ。現在今川は揺れております。殿に万が一などあれば一色はあっという間に崩れます」
「・・・はぁ、わかった。昌友の言うとおりにしよう。あと少しここからの景色を眺めたら城に戻るぞ」
「今戻られるのではないのですね」
「・・・」
聞こえないフリをして、俺は眼前に広がる大井川と駿河湾を眺める。かつても人の出入りは多かった。間違いなく父の功績だ。
しかし今はそれ以上に多い。海に船も多く浮かんでおり、商船もひっきりなしに港へ入っている。
大井川港を中心に人の動きも活発で、かなり離れた位置にいる俺達にでも人の往来がわかるほどだ。
「お方様のお加減は如何なのですか?」
「あぁ、ここ数日本調子でないらしい。今日も医者を呼んだと聞いた。母上は心配するなと仰られたのだがな」
「大方様がそう言われたのでしたら大丈夫でしょう」
昌友は何故かそう言い切った。実の息子である俺ですら、全面的にその言葉を受け入れたわけではないのにだ。
しかし周りを見れば、護衛として連れてきた者らも頷いている。
「大方様はこれまで嘘を言われたことはございません。此度も大丈夫だと仰られたのであれば、本当に大丈夫なのではないでしょうか」
「・・・まぁ、そうだな。というよりも今は信じるしかないか」
みなが頷き、多少は気が楽になった。俺が突如ここに来たいと言ったのは、久のこともあって気を落ち着かせたいと思ったからだと思う。
結局は景色ではなく周りの者らによって気が落ち着いたのだから、わざわざここまで来ることはなかったのかも知れない。
「そろそろ城に戻るか」
「ようやくでございますか」
なんだかんだと言いつつ、昌友も満喫したことを俺も知っている。今回は何も言わぬが次回は必ずや突っ込んでやろう。
そう思いながら、馬を預けておいた者の側へと歩み寄った。しかし突如背後が騒がしくなる。
「何やつだ!」
「名を名乗れ!」
ただの旅人であったらどうするのだ。そう思いつつ、俺は騒ぎの方へと目をやった。
おそらく腰に刀をぶら下げている様を見て、殺気だったのだろう。その騒ぎを押さえたのは昌秋であった。
「・・・藤孝殿ではないか?」
「やはり政孝様でしたか。あの日を懐かしむためにこの地へと寄れば、何やら人が多くいらっしゃいましたのでもしやと思いましたが」
「この辺りの地はなかなか旅人が通らんからな。たまに迷い込んでくる者もいるが」
「それはおそらくですが私のことでしょうかね」
数年前を思い出しつつ俺達は声を出して笑った。
そんな俺と藤孝殿のやり取りを呆然とみていた者らが慌てて刀を鞘に収め、そして周りに跪いたのだ。
幕臣であることを知っている者は多くはないが、ただならぬ方であるということは俺と話す様を見て察したのだろう。
手を出していれば危うかったな。
「公方様の名代としてですかな?」
「いえ、私はすでに幕臣としての身を捨てました。今はただの流浪人です」
まず最初に驚いたのは、俺が公方様の名代だと言ったときの護衛達だ。ほとんどの者がすばやく頭を下げた。
まぁ幕府の関係者に手をあげるなど普通に大事になる。
そして次に驚いたのは俺だった。まさか幕臣の身を捨てるなど思ってもいなかったからだ。
少なくとも足利義昭が征夷大将軍になるまでは幕府に仕えると思っていたのに、こうも早く見切りを付けるとは想定外だった。
「・・・何があったのか聞いても?」
「はい、問題ありません。しかしここでは少し・・・」
「そうか・・・、ならば大井川城へ案内しましょう。そこでゆっくりと」
「ではお言葉に甘えてお邪魔させていただきます。積もる話もありましょうから」
「それは楽しみだな」
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