96話 主にふさわしき器

 大井川城 一色政孝


 1564年春


 城へと戻ってきた俺達は、その足で藤孝殿を自室へと案内した。謁見の間を使わないことを一部の者が不安がったが、俺が黙らせた。


「失礼いたします」

「あぁ、ゆっくりしてくれ。小十郎、しばらくは誰も部屋へ通すでないぞ」

「かしこまりました」


 小十郎を部屋の外に残し、俺と藤孝殿は部屋へと入り腰を下ろした。女中が茶を運んでき、その者が部屋から出て行ってからはいよいよ積もる話になる。


「それで一体何があったのだ」

「簡単に申しますと、幕府に仕える意味がわからなくなったのです」

「・・・なるほど」


 なんとも簡単に言ったものだ。イマイチ意味が分からなかった。しかし1つ確実に分かることもある。藤孝殿はやはり幕府、いや正確には公方様に仕えることに嫌気がさしたのだろう。

 幕臣であることの意味を見失ったのも、おそらくはそれが原因だ。


「織田様と松平様が同盟されました」

「そうだ。元康の子である竹千代様と信長の娘である徳姫の婚姻で成った」

「やはりお詳しいですね」

「当然だ。今川家中で知らぬ者などいない」

「しかし公方様はその時になるまで知らなかった。私は何度も公方様に諫言させていただいたにもかかわらずです」

「裏切り者扱いでもされたか」

「・・・まぁ、そうですね」


 公方様は京を三好から奪還し、そのまま畿内から排除することを望んでいらっしゃる。しかしそのためには三好に対抗しうる勢力を京に引き込む必要があるのだが、足利に忠実な朝倉・六角の勢いは着実に弱まっていた。

 そのために新たな勢力を引き込もうと躍起になっておられる。

 その第一候補が織田信長だったのだ。しかしやはり信長は公方様に従う気など毛頭無かった。

 藤孝殿が前回今川館を訪ねてこられた際に言われていた織田との挟撃作戦の提案からもよく分かる。

 しかし織田は松平との同盟を公のものとした。さぞかし公方様は悔しがったのであろう。そしてお怒りになったはずだ。


「公方様は私を裏切り者だと仰られました。これまで公方様のために各地に奔走した私にはその言葉がどうしても許せなかった。納得出来ぬ形で生涯そのような御方に仕え続けるなど馬鹿だと思いました」

「だから離れたのだな」

「はい」


 全く未練の無い様子で藤孝殿は言い切った。さぞや充実した流浪の旅をしているのだろう。そして公方様の主としての器はその程度だったということだ。


「それで京を出た後はどこへ?」

「織田様の元へと身を寄せさせていただきました」

「信長の元か、それで?」

「ちょうど東美濃へと兵を出される時だったようで、その出兵に従い美濃へと出ました」

「信長の戦ぶりは如何だった?」

「とにかく速うございましたな。無駄が一切無く、迅速に東美濃を制してしまいました。武田様も兵を展開しておられたようですが」

「大敗して信濃へと引き返したのだろう?あれはこちらとしても予想外だったな」


 藤孝殿は頷き、そして茶を一口飲む。味をしっかりと感じたのか、小さく息を1つ吐いた。


「公方様が三好より京を取り戻したいというのであれば、やはり織田様を頼るべきなのです。しかし公方様は織田様をもう二度と信じられぬでしょう」

「やはりあの御方には何も見えておらぬな。変に他国の戦に介入されるからそのようなことになるのだ。最初から黙って信長の支援だけしておれば、今より良好な関係を築けていただろうに」

「今川様を守ろうとしたことが全ての原因でした」


 言い方がおかしく聞こえるが、実際その通りなのだ。

 まだ美濃の斎藤家が健在だったとき、公方様は今川と松平の戦で今川が有利に立ち回れるように、尾張美濃間で和睦を成したのだ。

 結果的に今川は窮地に陥り、後々公方様と信長の関係にも亀裂が入ることになる。

 実際、信長が元康に三河の平定を一任しなければ危なかった。


「それで今後はどうされる?」

「そうですね・・・、しばらくは今川様の元へ置いていただこうと思います。何かあればまた政孝様を頼るやもしれませんが」

「遠慮無く頼って欲しい。親しくなったのもきっと縁があったのだ」

「ではそうさせていただきましょう」


 その後は本当に関係のない話で盛り上がりつつ茶を飲む。しばらくした頃、外に残していた小十郎が申し訳なさそうに襖をやや開けて俺に何やら合図を出していた。


「如何した?」

「お方様が急ぎ殿に会わせて欲しいと」

「久がか?少し待てと伝えてくれ」


 最初は断ろうとも思ったが、最近久の調子が悪かったことを思い出した。それに今日は医者を呼んだとも・・・。


「政孝様、久様を優先してください」

「しかし客人を待たせるわけにも」

「顔に行きたいと書いてあります」


 俺は自身の頬を左手で触れ、それが急に恥ずかしくなった。まさかそのように分かりやすい顔をしていたとは。


「小十郎、久にはすぐ行く故部屋で待つよう伝えてくれ」

「かしこまりました」


 襖が閉まったのを確認し、残っていた茶を一気に飲み干した。

 正面に見える藤孝殿は楽しそうに俺を見ているようである。何がそのように可笑しいのか分からないが、気恥ずかしさが余裕で勝った。


「少し席を外す。小十郎、しばらく藤孝殿のお相手をしてくれ」

「わ、私がにございますか!?」

「京の話や、戦の話でも聞かせて貰え。今後のためになるであろう」

「それはいいですね。実はまだまだ話したいことがあったのです」


 困惑する小十郎を部屋へと押し込み、俺は久の待っているであろう部屋へと向かったのだった。

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