第87話 隠れし才能
大井川城 一色政孝
1563年冬
越後から駿河へと戻った俺達はすぐに今回の成果を氏真様に報告した。それと同時に、やはり同盟に関しては北条と懇意にしている今川とは結べないと断られたことも説明している。
多少の不満を駿河衆の方々に言われはしたものの、共闘関係になったことを評価していただくことは出来た。
しかしまた季節は冬になる。戦が続き民にも負担がかかっている。しばらくは大人しくしておこうとしていた矢先に井伊が武田へ降ったのだ。タイミングとしては高遠城へ武田義信が、そして美濃侵攻に失敗した諏訪勝頼が和田城へと入ってしばらくしたときだった。
なんでも勝頼は岩村城を拠点に美濃攻略を進めるつもりが、岩村城主である遠山景任により大敗。多くの兵を討ち取られて敗走したそうだ。
それでも井伊直盛は強行して寝返った。今なら今川が攻め寄せられないと思ったのだろう。事実氏真様は早くても来年、下手をすれば武田を相手取るのはさらに後になると考えられている。
上杉とも合わせなければならず、さらには未だ渋っている北条も説得する必要がある。
幸運であったのは元康と和睦をしていることだ。とうぶんは三河方面は安心出来るだろう。
「殿、少しよろしいですかな?」
「あぁ、周りの見張りは完璧だ。言うがよい」
「殿が今川館へと到着されたと知らされた段階で、暮石屋にお2人をこちらにお連れするよう伝えました。直に城へ入られるかと思います」
「わかった、よく判断してくれた。おかげで一色が混乱せずにすんだわ」
「しかしまさか井伊があのようなことになっているとは」
時宗はやるせなさそうに呟く。俺だってそう思うわ。一族が揃って裏切ったというのであれば、遠慮無く戦いに向かうことが出来ただろう。ただそれでも隙は出来ると思っていた。
しかしそうではなかった。当主と嫡子でもめた。
結果としてそれが井伊を団結させてしまったのだ。だから調略を仕掛けて混乱を招くようなことは出来ない。飯尾のようにはならないだろう。
正真正銘戦って井伊谷城を奪うしかないのだ。
「それで殿は井伊の幼子を如何されるおつもりですかな?」
「育てる。氏真様には上手く伝えるつもりだ」
「納得されますか?」
時宗は心配そうに尋ねてくるが、自信は無い。ただ言い様はいくらでもあるとは思っている。
そのへんはしっかりと練って、最も可能性の高い説得方法を採用するとしよう。
「次郎法師殿はどうされると思う」
「さて・・・、儂も実際会ったわけではございませんので、どのような御方なのかは存じませぬ。故に今後をどう判断されるかも検討つきませぬな」
「そうか。まぁ城に迎えればどのような人柄なのかも分かるだろう」
「そうですな」
時宗は茶を一杯飲むと部屋から出て行った。
それにしても随分と老けたように見えるな。白髪が更に増えた。腰も曲がっているし、時折体を動かすのを苦労しているようにも見えた。
今後はもう少し楽させてやろう。露骨にやると怒るだろうでな。
しかしそう感じすぎるのは間違いなく半年近く城を空けたからだろう。上杉の家臣の方々と友好を深めるためとはいえ、引き留められるままに長居してしまった。
おかげで少しは政虎様の人柄を知ることが出来たが、滞在時間に見合っていない成果であったとも言える。
「殿、少しよろしいですか?」
「昌友か、いいぞ」
時宗の退出から間髪入れずにやって来たのは昌友だった。
何やら巻いた紙を持参し俺の部屋へと入ってくる。すでに周りに配置していた見張りの気配はなくなっていた。
「少々見ていただきたいものがございまして」
「それか?」
「はい。先日、と言っても相当前にはなるのですが一色港へ出向いている彦五郎から村の拡充がしたいと申し出がありまして。殿がご不在だったため許可が下りた場合の図案を先に作成させました。こちらにございます」
丸められた紙を伸ばすと、緻密な村の拡充計画が書かれていた。なんとも細かいところまで描かれているものだと感心した。
「彦五郎が書いたのか?」
「いえ。書いたのは親元だと言っておりました。なんでも奥山海賊衆が根城にしていた神津島を人が住める形にしたのも親元が中心となっていたようでして。どうやらそういったことが得意なようです」
まさかここに来て今一番欲しい人材を確保出来るとは思わなかった。水軍衆に任じておくのが急に惜しくなる。
しかし約束は約束だ。親元はかなり惜しくはあるが、当分は水軍衆の指南役にしておくとしよう。いずれは俺の側に仕えさせる。そしてその隠れていた能力を十分に発揮して貰おう。
「それで村拡充の件、如何でしょうか?」
「村人は増えたのか?」
「付近の村より人が流れてきておるようにございます。この1年で流入者は100人ほどだったと」
「100人か。なかなか増えたな」
元々の人数をちゃんと把握していなかったことがそもそもの問題だが、これからでも確認をしておくことは必要かも知れない。
とくに水軍的観点から見ると、一色港の立地は元康を牽制しやすいのだ。
元康も狙ってくる可能性は高く、よからぬものが村に入り込んでくる可能性もある。
その辺の管理だけは徹底しておく必要があるだろう。
「わかった。彦五郎にはうまくやるよう言ってくれ。一色港が立派な港になったあかつきには褒美は弾むぞ、とな」
「かしこまりました。そのように伝えておきましょう」
そう言うと昌友もまた部屋から出て行く。
しかし武田が美濃で敗北か。それも何も出来ずに大敗。大将が初陣だった諏訪勝頼だったとはいえ、側には秋山信友や穴山梅雪・・・まだ信君か、この2人がついていたというのに、予想外の結果になったな。
逆に織田信長は満足すぎる結果になったはずだ。しかし問題は西美濃をどうするかだろう。現状友好関係を結んでいるとはいえ、永禄の変で現公方の義輝が死ねば義昭こと
そうなったとき、織田は上洛に向かう自身の背後をどう思う?
「・・・久、のぞき見とはあまり感心しないぞ」
「申し訳ありません。殿がお帰りだと聞いたのでご様子を伺おうかと思ったのですが、あまりに神妙な顔つきでいられましたので」
「遠慮をしたのか、すまないな。たいしたことではない」
久とは少し話したのだが、あまり内容は頭に入ってこなかった。
おそらくだが勝負の年は再来年になると思っている。武田との手切り、永禄の変、上杉との共闘。
しかしすでに史実からは大分外れてきている。何があっても万全に備えなければならない。
ここから先、俺の知識がどこまで通用するかなんて分からないのだ。その時は戦国時代を生きる者としての判断を下さなければならないだろうな。
そう思うと、心配してくれる久の言葉すらも右から左へと流れていってしまうのだった。
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