第85話 悩み迷った初陣
水晶山 諏訪勝頼
1563年夏
我ら武田軍が水晶山に到着したとき、そこには小さな砦が出来ていた。私はそれを約定通り小里の者らが建てたものだと思っていた。
それが数週間前の話。
現在、水晶山より信濃方面に下った我らは敵からの襲撃に備えている最中である。かれこれ20日以上、この地で足踏み状態なのだ。
小里光忠は中立を貫き日和見を決め込んでいる岩村遠山家を下し、信濃から美濃への進入路とその拠点を確保するという約定があったはずなのだ!
しかしいつまで待っても小里の、そして土岐の兵が現れることはなかった。
「信友、力攻めではいかぬのか・・・」
「地の利は遠山にあります。力攻めをしたとて、岩村城を囲むように建てられた砦より敵襲を受けましょう。岩村を押さえたとして、それ以上の進軍はおそらく・・・」
「少数だと油断したわけではありませぬが、まさかここまでいいようにやられるとは・・・」
兵5000を動員しているこの戦。おそらく今川や長尾との戦が予想される現状、無駄に命を散らせるわけにはいかぬか。
しかしどうする?今更攻め口を変えるのか?
「水晶山を諦めさらに北に迂回いたしましょう。透波の調べによると、やや離れた位置に砦があるようにございます。まずはその地を落とすのも手かと」
信君は新たな策を提案した。先に潜らせておった透波らにおおまかな地図を作らせている。その地図を見ながら私は頷いた。
現在、目の前にある水晶山の頂上には遠山の築いた砦がある。またその尾根沿いにも砦を作っており、連携をとりつつ我らの動きを押さえているのだ。
力攻めが出来ぬ以上、この地にこだわり続けるということは下策ということだろう。
「すぐに支度をさせよ。とにかく美濃に武田の旗を掲げねばならぬ」
「御意にございます」
信友が陣より出て行き、信君と2人になった。なんとも気まずいものだ。そう思っているのは私だけなのだろうか。
「信君、聞きたいことがある」
「なんなりと」
「私は戦が下手だろうか」
信君は黙った。その沈黙は肯定ととっても良いのだろうか。名門武田の家に生まれながら、戦下手とはなかなか堪えるものがあるな。
父も兄も、そして祖父も戦が上手であった。兄に関していえば、自ら手柄を立てている。此度も父より信を得て遠江の監視役に抜擢された。
私はいいところお飾りの大将ではないか・・・。
「正直に言いますと、此度の戦、御屋形様は勝頼様に大将としての働きを期待していたものでないと思います。初陣で大将など普通であれば荷が重すぎますので」
「では何故私を大将にした」
「戦場を知り、大将とはなんぞやということを知ってもらいたかったのではないでしょうか」
「・・・わからぬな。私に戦の才はない」
「まだ初陣でございますれば。今後は御屋形様や義信様に付き従うこともありましょう。苦手と思うのであれば、得意な方から盗めば良いのです」
やはりよくわからぬ。戦とは何か。大将とは何か。
散々書物やみなの話で学んできたことである。しかしいざこの場に立つと全てがわからなくなる。私のやろうとしていることが正しいのか、そして間違えた。
「水晶山砦の敗北は間違いなく、武田の士気を落としたな」
「小里の砦と思っておりました。勝頼様も私も、そして信友殿も」
「不安といいながらも、勝利に逸ったのよ」
信君は何も言わなかった。
しばらく後、信友より兵を動かせると報告が上がった。落ち込んでいる暇は私達にはないのだ。
東美濃の統一はもう遅いであろう。しかし武田が上洛に向かうための足がかりだけは得ねばならぬ。
せめて岩村城を・・・。
「伝令申し上げます!小里城が落ちました!また東美濃全域に織田勢が展開しております」
忍び装束を纏ったその者は透波の者であった。その報告を聞いたみなが愕然としておる。
「・・・誰に落とされた」
「織田家柴田勝家を大将とした軍が瞬く間に城を包囲し、小里光忠は降伏。土岐頼芸、頼次は行方をくらましたようにございます」
「織田がもうそこまで・・・」
「さらに明知遠山家は織田に臣従し明知城にも織田の兵がすでに入っている様子。入ったのは織田信広とのこと」
「勝頼様、我らが東美濃へ干渉する大義名分がなくなりました」
「・・・撤退か」
「無念にございます」
しかしこれで終わりではなかった。
物見の兵が慌てた様子で本陣へと駆け込んでくる。
「岩村城より出陣がありました!敵は水晶山へと向かっている様子にございます!また尾根沿いに建てられた砦からも出陣があったと!」
「・・・撤退だ!急ぎ兵を纏めて信濃まで退くぞ!誰も死なしてはならぬ!」
「殿・・・。かしこまりました。すぐに信濃まで兵を退かせましょう」
信友と信君は側に控えている侍大将らに指示を出す。それに従い、みなが本陣より出て行った。
残ったのは私1人だ。
「父上、お役目果たせませなんだ・・・」
織田家が東美濃の大半を抑えたことを知った岩村城主遠山景任は、全軍をもって武田勢の追撃に入る。無我夢中で信濃を目指した武田勢はそのうち何割かを戦わずして失うほどの大敗を喫した。
命からがら逃げた諏訪勝頼は信州遠山家の居城である和田城に入ることで九死に一生を得たのであった。
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