第83話 赤い小鬼

 五智国分寺 一色政孝


 1563年夏


 上杉政虎様が居城とされている春日山城まであと少し。今俺達がいる五智国分寺とは、越後国における国分寺のことをいう。

 一昨年、関東管領職を上杉うえすぎ憲政のりまさ様より継承された政虎様は越後国分寺をこの地に移転、再建されたのだ。

 まだ完成したばかりの寺というだけあり、これまでの道中では1番快適な夜が過ごせそうである。


「それにしても随分と越後までかかりましたな」

「あまり急ぎすぎれば、我らの一団を不審に思う輩が出かねませんでな」


 岡部正綱殿と小野政次殿は床に座り話し込んでおられる。俺だけはぶられているわけではない。

 昌秋に呼ばれたために席を外しただけのことだ。


「それで2人からは随分と距離をとった。如何した?」

「落人殿が殿にお話があると」

「落人が?わかった。他の護衛に連れている栄衆に周りを警戒させた上で俺の前に出よ」

(はっ)


 どこから聞こえたのか分からぬ声であったが、すぐにその声の主は俺の前に姿を現した。

 昌秋はどうすべきか悩んでいるようである。


「昌秋、この場に残れば良い。ただし何を聞いても、この先他言することは許さぬ」

「かしこまりました」


 落人が直に俺と話したいと言うということは、よほどに重要なことだと分かる。でなければ昌秋に伝えればいいからな。


「雪女より使いが参りました。井伊谷城で動きがあったようにございます」

「井伊はどう動いた」

「井伊直親は直盛によって殺されました。また直親の妻や義父にも手をかけたようにございます」

「義父というのは奥山おくやま親秀ちかひでのことだな。そして妻とはひよといったか?」

「間違いありませぬ。相当な数を手をかけた直盛でございますが、未だ直親の子を見つけ出せていないようで」


 直親の子とは後の世の井伊直政のことだ。史実では井伊の赤備えを率いて徳川家康に従った男。さらにその勇猛果敢な姿から井伊の赤鬼と言われた。

 その子が未だ見つかっていないのか。どうにかして一色で押さえたいところではあるな・・・。


「それで井伊は武田に寝返ったのだな?」

「まだそこまでの行動を起こしているようではありませぬ。武田の本隊は現在東美濃への攻略に動いております。遠山城には武田義信が兵を率いて待機しているようにございますが、心許ないと思っておるのやもしれませぬな」

「上杉様の元へ元北信濃に領地を持っていた国人衆らが助けを求めていると聞いた。武田は多方面に敵を抱える状態だ」

「井伊が上杉の情勢を把握している可能性は低いと思いますが、間違いなく時を待っておるのでしょう」


 井伊が動けば今川が北条と共に武田に襲いかかる。そのシナリオを考えられたのは氏真様とその御側近の方達だ。

 北条をどこまで信じていいのか分からないが、お互いに旨味のある戦いになると思ってもらえれば、甲斐に攻撃してくれるやもしれん。


「わからぬな。兎にも角にも井伊が動かぬ事には今川は動けぬ。氏真様も機が熟すのを待っておられるだろう」


 困惑している昌秋を余所に俺は落人に続きを促した。


「武田信玄は北信濃の真田本城付近に兵を集めておるとの話もございます」

「四面楚歌か。わかった。良く伝えてくれた」


 俺は2人の元へと戻ろうとしたのだが、また落人はその場から動こうとしない。


「まだ何かあるのか?」

「時宗殿より知らせを受けました」

「時宗からか?久や母上に何かあったか?」

「いえ、暮石屋の屋敷にて次郎法師なる尼僧が虎松と呼ばれる幼子を連れて助けを求めてきたと」

「・・・虎松?次郎法師だと?」

「殿、そのお2人をご存じなのですか?」

「あぁ、さきほど落人が言っていたな。井伊直親の子が行方不明であると」

「はい」

「虎松こそがその子。そして次郎法師とは直盛の娘のことだ」

「それは・・・あまりに状況が良くないですぞ」


 昌秋は分からなくても仕方ないが、虎松は無限の可能性を秘めている。ここで見捨てるわけにはいかぬ。


「暮石屋にはしばらく京の屋敷で預かるよう伝えてくれ。大井川城には匿うことなど出来ぬ」

「かしこまりました」

「俺が大井川城へ戻ると同時に大井川城に2人を迎え入れる。氏真様には俺から許しを願う」

「ではその通りに時宗殿にはお伝えいたします」

「頼むぞ」


 落人は姿を消し、残ったのは俺と昌秋だけとなった。


「氏真様が井伊を許すとは思えませぬ」

「許して頂くしかないのだ。そのために俺がこの機会で大きな事をなさねばならぬ。上杉を味方に付けるのだ」

「殿は相変わらず突拍子も無いことを言われる。・・・必ずや春日山城、そして大井川城まで無事にお連れいたします」

「頼りにしている」


 井伊のことは後回しだ。まずは上杉から説くとしよう。

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