第82話 今川の抱える秘密、迫る同盟の手切れ
大井川城 氷上時宗
1563年夏
「私をお呼びと聞き参上いたしました」
「急にすまぬな。急ぎ殿に知らせて貰いたいことがある」
雪女は片膝をついた状態で頭を下げている。これが忍びの本来の姿ではあり、殿は気にしておらぬようではあるが儂は慣れておらぬ。
少々話がしづらいな。
「楽にしたらよい。ぬしらの主は殿であろう。我らは同じ家臣である、あまりかしこまる必要はない」
「では失礼いたします」
胡座に座り直すと、今度は儂の目をしっかりと見ておる。
「殿には知らせて貰いたいのだが、内密にして貰いたいことでもある」
「何があったのですか?」
「・・・暮石屋の元に井伊直親の子がおる。まだ幼子ではあるが元気な男の子よ。それを直盛の娘であり、今は尼になっている者が連れて参ったのだ」
「その尼というのは次郎法師殿にございますね」
全く考えるそぶりを見せんかった。つまり栄衆は井伊について相当調べているということだ。
であれば間違いなく殿も知っておられるはず。この先を儂が聞いても良いのだろうか。
「こうなった限りは氷上様のお耳にも入れさせて頂きましょう。あぁ、安心してください。殿よりこういう事態に備えて、動く許可を頂いておりますので」
「・・・話してくれるか」
「では、井伊は武田に与しております。いえ、現在は寝返るという密約を交わした段階です。しかし井伊家中には今川に残るべきだと主張する方達もいました。それが嫡子である井伊直親を筆頭にした親今川派。彼らは当主である直盛に迫りましたが、結果直親以下数名の家臣を幽閉し、関与した者らにも罰を与え家中を武田に与するということで従えたのです」
「なんということだ・・・。そのような事全く知らなんだわ」
「またこの話は今川氏真様にも小野政次を通して伝えてあります。氏真様はこれを機に三国同盟を切り、北条との同盟、そして上杉とも友好関係を築こうと考えられたのです」
「武田に寝返るならば好きにせよということか」
雪女は静かに頷き、儂の言葉を肯定した。しかしそうなると今回のこと、非常に厄介なことになったのではないか?
氏真様は親今川派が井伊谷城にいるにも関わらず、黙殺されたということだ。つまり井伊家は全て敵として扱うことになる。いや、氏真様にその気がなくとも今川家中の者らはそう思うであろう。
井伊直親より託されたあの赤子を我らはどう扱えば良い・・・。
「この件、他のお三方には内密にされた方がよろしいかと」
「殿が戻られるまで待てということか」
「どこに敵の間者が潜んでいるかは分かりませぬので。我ら栄衆も怪しい者がいないか見回ってはいますが大井川領内をくまなく監視することなど不可能です。出来るだけ知っている方を減らしておけば、口にする者もいないでしょう」
「わかった、急ぎ殿の元へ使いを出してくれ。殿の指示通りに儂らは動こう」
「ではそのように」
雪女は部屋より出て行った。と言っても殿の元へ走るのは雪女では無いであろうがな。
「しかし厄介なことになったな」
まさか井伊家内部でも分裂を起こしておったとわ。そして氏真様はそのことも知っておいでである。井伊一族は最終的に根絶やしにされるはずであったのだろう。
しかしその遺児が一色の手元にある。さらには尼になったとはいえ、今回の首謀者である直盛の娘までいるのだ。
殿はいったいどうされるおつもりなのだろうな。
「時宗、如何しました?」
「これはお方様」
初を伴ったお方様が微妙に開いた襖の隙間より儂を見ておられた。わずかに見える顔からも儂を心配してくださっているのが分かる。
殿にお方様と大方様を頼むと言われておきながら、心配をかけさせてしまうとは何事か。
最近年をとって、感情を上手く操れぬようになってきておる。気を引き締めねばならぬな。
「何でもないのです。ただ儂はほとんど隠居の身。儂がこれまでやって来ていたことはほとんど倅の時真がやっておりますのでな。時間を持て余しておるのです」
事情を知る初が気遣った様子で儂を見ておるが無視よ、無視。
「時間があるのですか?」
「・・・もしや儂を相手取る気ですかな?」
お方様の目が儂の背後に備え付けてある碁盤に向いておる。どうやら男女問わず源平碁は流行っておるようだ。
「時宗、1つだけ内緒の話をいたしますね」
「はぁ・・・」
「私、旦那様に勝っていますから」
口元を隠しクスクスと笑われるお方様。その様はまだ幼い姫のようである。
「・・・未だ無敗をほこる殿に勝たれていると?」
「はい。旦那様が越後へと発たれる話を聞いた日に。そうですね、初?」
「はい。確かにこの目で久姫様が勝利されたのを確認いたしました」
どうだと言わんばかりに胸を張っておられる。
どうりで最近、殿が源平碁を打とうと言われなかったはずだ。
「これは少々相手が悪いですかな」
どうやら迷っておる儂はお方様に気を遣わせてしまったようである。
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