新たな同盟者を求めて

第80話 井伊家崩壊の音

 大井川城 一色政孝


 1563年春


「政孝、道中気をつけるのですよ」

「旦那様、どうかお気をつけて」


 越後へ向かう支度をしていると、それぞれの侍女を伴った母と久が俺の元へとやって来た。

 この部屋にいるのは四臣と護衛のまとめ役を担っている昌秋、そして今やって来た2人とその侍女らだ。


「わかっています。それに今川家のため、必ずや任を達成せねばなりません」

「苦労をかけますね」


 母は少し申し訳なさそうに言った。しかし俺にだって確かに今川の血が流れているのだ。苦労をかけられているなんて思わないし、思ったことも無い。唯一思うのは駿河衆の特に氏真様に近い方々からのやっかみが鬱陶しいと思うくらいなものだろうか。


「初、落人はしばらくこの地を離れる故、雪女が代理の栄衆頭領として動くよう命じてある。なにかあった際には連絡役として動いてくれ」

「かしこまりました」

「昌友、一色一門衆としてこの城を任せる。他の臣らと協力し城を頼む」

「はっ」

「佐助と道房もしばらくは内政に徹してくれ。万が一氏真様が兵をおこされても、一色は当主不在を理由に従軍する必要はないと言われているからな」

「かしこまりました」

「精一杯務めます」

「時宗、母上と久のことよろしく頼む」

「お任せくだされ」


 俺の用意が済み部屋より出ると、みながそれに付き従うようについてきた。部屋の外に控えていた小十郎が荷を持っている。

 それを受け取り城の外へと出た。


「では行ってくる」


 みなが頭を下げる。それを見てから馬に乗り今川館を目指した。隣には昌秋が馬に乗り付き従っており、前後を護衛の者が、そしてひっそりと栄衆の者らもついてきている。


「それにしても随分と長い旅路になりそうですね」

「あぁ、北条領を通ることになるからな。春日山城があまりにも遠いわ」

「ですな」


 とか言いつつ、俺も昌秋も十分に周りを警戒しながら進む。


「それにしてもまさかです」

「何がだ?」

「美濃のことにございます。今川様も随分と混乱されたとか」

「あぁ、氏真様だけでない。誰もが困惑しておったな。俺も落人から聞いた時は意味が分からんかったくらいだ」


 西美濃はやはり早期に団結したこともあって、周りの大名家と順調に友好関係を結んでいるようだ。逆に東美濃の混乱は凄まじく、周囲の大名からの介入を受けるは必至だろう。

 そして、警戒していた小里城に動きがあったと報告があったのはつい先日だ。

 美濃国の元守護だった土岐家が再び美濃をおさめんと小里城へと入ったというのだ。それには公方様の協力もあったと聞く。土岐頼芸と頼次親子は小里光忠と共にとにかく東美濃の制圧に精を出すようだが、あまりに無謀に思えてならない。

 東美濃の制圧を狙うは、小里や土岐だけではないのだ。西美濃の安藤は元より、これまで何度も美濃攻略に兵を出している信長や、虎視眈々と機会を狙っていた信玄も動くだろうな。

 はたして味方の少ない元守護家の方々が生き残ることが出来るのか甚だ疑問である。


「しかしこれならば井伊谷城を攻めるのも難しくないのではありませんか?」

「過ぎたことだ。氏真様は井伊谷城の動きを注視する程度で留めるとお決めになられたのだ」

「一体何故なのでしょうな」

「どうなのだろうな」


 一応機密事項である。道中軽々しくその真相を語るわけにはいかなかった。

 例え信のおける家臣であってもだ。


「俺には難しいことは分かりません。殿に従うだけですので」

「たまには共に考えてくれ。俺より長く生きているのだろう」

「人には向き不向きがございます。俺には戦うことしか出来ませんので」


 苦笑を漏らしたのは、申し訳なさからなのだろうか。これ以上無茶を言うのは止めておこう。

 昌秋にも言えなかった井伊谷城のことだが、元康による三河平定戦が行われていた最中、井伊谷城へと入っていた小野政次殿より氏真様に重大なことが知らされた。

 井伊家当主である井伊直盛は、井伊家を捨てた政次殿とは会わぬと一切を拒絶されたそうだ。

 しかしそのまま帰ることなど出来ぬと、色々調べた結果分かったことがある。

 直盛の養子として、そして嫡子として扱われていたはずの直親殿が土牢に幽閉されているというのだ。

 理由は井伊家を危険にさらそうとしたからという、あまりにも曖昧な理由であったらしい。

 しかし直親殿を密かに支持している者の話では、直親殿は一部の家臣と共に今川へ残るよう進言したようだ。しかし直盛に最早その心はなく、しつこく迫る直親殿を幽閉し同様に行動を起こした家臣も幽閉や罰を与えたのだという。

 結果井伊の家臣は表面上直盛に従うしかなく、身動きが取れなくなった。

 さらに元康が東三河の支配権を実質放棄したことにより孤立し、武田に接近しようとした。

 伝手として使ったのは直親殿が信濃にいた際に世話になった寺だ。

 そしてまんまと武田と密約を交わしたということらしい。これは完全に黒である。

 早急に井伊の討伐を、と声をあげられた方々もいたが武田の介入が決定的となった今、城攻めは得策ではない。むしろ城をとらせて、北条と共に同盟を破ったことによる侵攻を狙うという結論に至ったということだ。

 あわよくば今回の上杉との同盟で、三方向からの挟撃が成れば尚よしといったところだろうか。


「とにかく俺達の働き次第で、今川を取り巻く環境は大きく変わる。しっかりと俺を守ってくれ」

「承知いたしました!」


 長い旅がこれから始まるのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る