第68話 不穏な動き
岡崎城 松平元康
1562年秋
「瀬名よ、今日も徳姫様のことよろしく頼むぞ」
「お任せください」
岡崎城に迎えた徳姫様を瀬名に任せ、私は忠次らの待つ部屋へ向かった。中に入るとすでに呼んでいた者らが待っている。
「待たせたか?」
「いえ、待ってはおりませぬ」
忠次が答え、他の者らが頷く。今この部屋にいるのは忠次の他に、先の戦で先鋒を務めた忠勝、三河平定に際して軍師としての役割を果たした正信、そして側で私を支え続けた数正が待っていた。
「徳姫様のご様子は如何ですかな?」
「時折寂しそうなお顔をされるが、瀬名との関係は悪くないようだ」
「それはようございました。あとは竹千代様次第でございましょうな」
正信はホッと息を吐きそして神妙な面持ちへと変わる。他の者らも同様である。
実はここ数日、領内ではとある話題でもちきりとなっている。それは、
「また苦情が出ておるようでございます」
「であろうな」
「殿!ここは三河平定の再戦をするべきですぞ」
「そう急ぐな、忠勝。今はまだ戦えぬ」
忠勝は寡兵だったとはいえ、まとまりも何もない今川の救援隊に包囲を解かざるを得ない状況へ持ち込まれたことを相当悔いていた。故に何度も三河平定の続きを迅速に実行すべきだと、家中で最も好戦的な者と化している。
しかし一度引き上げてきた手前、また兵を集い、そして三河中を駆け回るなどそもそもの話として難しい。忠勝は良くとも周りの者らが必ずどこかで音を上げる。
「しかし忠勝殿の意見も完全に的外れというわけではございません。現に東条城付近の港を今川に押さえられたことが原因で、我が領の漁師や商人が自由に海を行き来できなくなっております。漁師らはどうにか押さえ込めておりますが、商人の中にはすでに三河の地を捨てて、近隣の国に逃げ出した者もいる始末」
忠次の言葉は耳が痛い話である。そう、今川との戦が一段落した結果大きな問題が残った。
東条城付近にあった小さな漁港の管理を一色が任されたのだ。すると何が起こったか。
未だ和睦を成していない我らと今川間では領民の動きすらも制限された。
海を封鎖され、岡崎城下を拠点とする商人らが海に出て遠くの地へと船を出せなくなったのだ。さらに漁師も港付近でしか漁ができなくなり、獲れる魚も減り始めている。
そのことが東条城を落とされた我らへの恨みへと変わり、ここ数日は領内で不穏な雰囲気が漂っているのだ。
「どうにか一色の水軍を追い払えぬか」
「はっきり言わせていただくと、まず無理かと。三河平定の最中に何度か港近辺に停泊している船を襲撃しましたが、手も足も出なかったと報告を受けております」
数正は悔しそうに言った。しかし、であればこの領民の不満を解消する手立てはないだろう。
早々にどうにかせねば一揆が起きかねぬが・・・。
「・・・和睦か」
「和睦を結べば三河の統一は遅れますぞ」
「そんなことは分かっている!しかし今支配下にいれている土地ですら治められぬようでは、三河の統一など夢のまた夢よ。ましてや一揆など起きれば三河平定は振り出しに戻る」
「しかしですな・・・最悪東三河の国人らに愛想をつかれる可能性も・・・」
忠次や数正の懸念は尤もである。しかし現状、これ以上戦うことは出来ぬだろう。和睦が出来ぬのであれば何としてでも例の港を奪わなければならない。それはやはり・・・。
「殿、少しよろしいでしょうか?」
話が行き詰まったとき、外より声がかけられた。全員の視線を集めたのは半蔵である。
「半蔵か、如何した?」
「何やら畿内で不穏な動きがあると報告がありました。どうやら公方様が関わっているようにございます」
畿内?半蔵がわざわざ私に報告を入れたということは畿内で収まる話ではなく、下手をすれば火の粉が我らに降りかかりかねないということか?
「具体的には」
「六角、朝倉が兵を動かしているようで」
「三好とまた戦うつもりなのか」
しかしつい数ヶ月前に教興寺で畠山を打ち破った三好長慶は、六角と和睦し再び京を取り戻したと聞いていた。そうだとするとあまりに和睦の反故が早すぎるのではないか?
「いえ、朝倉は北近江へと、六角は東へと兵を動かしている様子」
「美濃を攻める気か?はたまた・・・」
「殿、まさかとは思いますが尾張を攻めるつもりではありますまいな」
「まさか・・・、信長様は公方様より尾張守護に任じられたばかりだろう」
「しかし徳姫様の輿入れにより、殿と歩む道を示された。公方様の思惑が外れ、恨まれたとすれば。それに六角も朝倉も公方様を支持している大名にございますれば」
正信の言葉を完全に否定できる根拠を私は持っていない。嫌な汗が頬をつたった。
「忠次、急ぎ氏真様の元へと向かってもらえぬか」
「和睦でよろしいのでございますね」
「あぁ、今は三河の平定にこだわっている場合ではない。まだ頼りないこの身ではあるが、ないよりはマシであろう。畿内の動向を念頭に我らは動く」
「戦えるのであれば殿に従いましょう」
忠勝は意気揚々といった様子で頭を下げた。他の者らも同様に頭を下げるが、全員が全員納得している様子ではない。
それに万が一、此度のことが杞憂に終わったとすれば我らはとうぶん身動きをとれなくなる。
私の野望が実現するのはまだまだ先になりそうであるな。
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