第66話 清洲同盟締結

 清洲城 織田信長


 1562年秋


「殿は一体何を急いておられるのですか?松平の三河平定を止めさせてまで」

「わからぬか、帰蝶。元康の動きが鈍すぎる。これ以上、元康の動きに合わせて俺達が足を止めるわけにはいかぬのだ。京の将軍家にはそろそろ理解して貰う」


 美濃との和睦を仲介してから、何かと恩着せがましく元康を攻めるよう催促の使者がやってくるようになった。使者らの態度からは成り上がり者だと俺達を下に見ているのがよく分かる。

 しかしそれはどうでも良い。ただ使者に毎度会う時間が勿体ないのだ。今はまだ将軍家と敵対するわけにはいかぬ。畿内には将軍家に従う強大な大名らが居るからな。

 故にあえてこの手をとって言わずとも理解させる。


「徳姫は無事岡崎城に着いたでしょうか?」

「しっかりと護衛を選んだのだ、問題ない。それに元康も必死になるであろう。此度の急遽行われた輿入れの意味、あやつも分かっているだろうからな」

「であれば良いのです。それより今夜は吉乃の元へ行かれては如何ですか?まだ幼い子を出したのですから、気分が沈んでいるやもしれません」

「そうだな、考えておく。しかし俺はまだ諦めたわけではないからな」

「そのお心を殿に持って頂いているだけで嬉しく思います」


 俺は帰蝶にそれだけ伝えて部屋から出た。しかし今晩は確かに吉乃の元へ行った方が良いかもしれんな。

 元康の子と徳との婚姻を決めたとき、随分と恨み言を言われたからな。流石に刺されはせんと思うが、今後はもう少し気にすべきやもしれん。

 そして俺の部屋に戻ると、前で又左が待っていた。何やら神妙な面持ちだ。


「部屋に入れ」

「はっ」


 出仕停止を赦して以降、又左はより一層献身的に俺の力になるようになった。今も少々面倒な任を与えている。


「それで、どうなっておる」

「やはり桶狭間で信長が今川を迎え撃って以降、長島には頻繁に畿内から坊主が入り込んでいるみたいだな」

「やはりか。あの時、万が一背後で蜂起されていたと思うと冷や汗が出るわ」

「しかし、踏みとどまった。だが今回はどうなるか・・・」

「あの地には多くの本願寺門徒がいる。敵対されると厄介よ。それより、又左まで俺を信長と呼ぶのか」

「権六殿に毎度小言を言われているからな。今は吉法師様ではない!ってな」


 又左はうんざりしたように首を振った。俺が未だにみなを幼名で呼んでいるにも関わらず、誰一人として俺を吉法師と呼ばぬ。正直な話、俺はあの頃の方が気楽で、こやつらも気さくで面白かったことは間違いない。

 今が面白くないわけではないが。


「お前が俺を信長と呼ぶ度に権六は渋い顔をしているだろ」

「それも知っている。だが、俺が信長と壁を作れば信長は1人になるんじゃないかと心配しているから、そこは権六殿が相手でも譲れんな」


 物事をあまり考えず、感じるままに行動する男だとは思っていたが、存外頭を使うこともあるらしい。

 話が逸れたか。


「話を戻すが、本願寺が単独で蜂起するとは思えん。長島の地で防衛は出来ても攻めることは出来んからな。ただの持久戦となるのであれば、俺達が包囲してやればいい。音を上げるのを待つだけだ」

「やはりあまり賢い選択ではないな」


 しばし沈黙が流れた。

 実のところ、一昨年の義元による尾張侵攻の時から長島での動きを不安視する声が家中でもあった。あの地は一種の自治勢力で、尾張と伊勢の国境を流れる川を巧みに使った天然の要害で守りを固め、その上で元々その地を治めていた国人らに砦やらなんやらを用意させて他勢力からの侵攻を防いできたという歴史がある。

 敵意を向けてこないのであれば放っておいてもよいと思っていたが、どうやら俺の思い通りに事は進まなかった。

 又左の言うように、ここ数ヶ月の間何度も他国から本願寺の坊主が長島に入っている。その意図するところが分からぬ故、美濃との和睦を飲み後顧の憂いを絶つことにしたのだ。


「又左、いざというときは長島にも兵を向ける。サルを寄越す故、攻める用意をしておけ」

「わかった。しかしそれは本願寺と敵対するっていうことでいいんだな?」

「こちらからはしかけることはせん。あくまで敵対行動をとったら攻めるというだけだ。それにやはり本願寺と敵対するのは得策ではない。門徒は日ノ本各地にいるのだ。全て潰す時間など俺達にはないぞ」

「そうか、それを聞いて安心した。じゃぁ俺はこれで」

「頼んだぞ」


 又左は部屋から出て行き、入れ替わるように五郎左が入ってくる。


「徳姫様、無事に岡崎城へと入られたようにございます」

「わかった。護衛の者らにはよくやったと伝えておけ」

「かしこまりました。それとみながそろそろ殿の考えを聞きたいようにございます」

「美濃との和睦はほとんど俺の独断で決めたことだからな」

「確かに我らは攻めあぐねてはおりましたが、それでも和睦を結ぶなど誰も思わなかったでしょうからな」


 和睦は成ったが、どうせすぐに反故にされるだろう。斎藤は将軍家より命を受けて美濃尾張の安寧を取り戻そうと動き出すに決まっている。下手をすれば将軍家の意を汲んで六角まで動くやもしれぬ。

 将軍とはそういう奴だ。俺は足利と縁を結ぶ機会を断った。しかし任命した守護とすぐさま敵対するなど、普通の思考をしておればあり得ぬことだ。ただし俺が元康と結ぶということは将軍家の益にはならぬこと。いつまで経っても東海の騒乱が収まらぬでな。同族である今川に手を差し伸べるために、京より将軍家ができることは限られている。その数少ない選択肢の1つが斎藤をけしかけて尾張を将軍家の思うがままに操れる勢力のものにすること。

 そして元康をも打ち払い、今川を、同盟で繋がっている武田や北条を畿内に迎え入れるつもりやもしれん。そう上手くいくとも思えないのだがな。

 またしばらくは騒がしい日々が続くだろうが、ただ足を止めているよりは幾分良い。やはり元康との婚姻同盟は俺達の歩みを進めるきっかけになるだろうな。




 ※前田利家・・・又左

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