第49話 駿河衆の敵視、師の文
今川館 一色政孝
1561年冬
「よくぞ参った」
「登城が遅くなり申し訳ありませぬ」
謁見の間には氏真様の他に駿河衆の家臣の方々が控えている。俺が現状要注意人物としてあげている葛山氏元殿も氏真様のお側に控えていらっしゃった。
俺の一歩ほどさがった場所に久も座っていて、頭を下げている。
「気にせずとも良い。妻を迎えるというのは大変なことだ。それは麻呂もよくわかっておる。それにあの一件と違い、しっかりと文を前もって送ってくれた故安心して待っていたぞ」
「そう言っていただけて安心いたしました」
「久姫も面を上げるが良い」
「はい」
なんとなく気配で久も顔を上げたのだと分かった。しかし、本当にここは居心地が悪いな。最初から予想していたことだが・・・。
氏元殿は元より、
「改めて紹介させていただきます。こちら私の妻となりました。松平広忠殿の娘であり、松平元康の姉である久に御座います」
「よく知っておる。久姫は広忠殿の自慢の娘であったと父より聞いていた。こうして会えたこと嬉しく思うぞ」
氏真様はそこまで否定的ではないようだ。やはりこの者らの讒言を聞き流されているというのは本当らしい。
一瞬だが廊下の方を見ると、朝比奈信置殿が小さく頷かれた。何が言いたいのか伝わったらしい。
「殿、1つよろしいでしょうかな?」
「氏元か、如何した」
明らかにご不快な顔をされた。やはり鬱陶しく思われているのだろうか。現状はまだ大丈夫か?
「はい、1つどうしても確認したいことが御座います」
「言うがよい」
「先日、飯尾連龍がこの場にて言われたことを覚えていらっしゃいますでしょうか?」
「連龍か。具体的には」
「松平が一色との婚姻が成って以降、三河の制圧を活発に行いだしたという話に御座います」
「あったな。しかしそれは」
「戯れ言だったと?現にあの時期、今川の三河北部の勢力は松平により一掃されました」
「政孝がそれに関与していたという証拠はあるまい」
「していないという証拠もありませぬ」
ああ言えばこう言う。まさにこのことだと思った。話の終わりが見えぬ。
「それに政孝殿にその気がなくとも、久とやらが独断でこちらの情報を流すという可能性もある」
こやつらの目的がわからない。俺を陥れたいのか久を馬鹿にしたいのか。どちらにしても黙っていられるわけもないが。
しかし一色を侮辱したいのは氏元殿だけではないようで、
「風の噂では元康はこの者を担ぐものが出て家が割れることを畏れた故に敵対している勢力に嫁に出したということだそうに御座いますぞ。中途半端に知識を身につけ才媛などと言われた故、このような運命をたどるのです」
「その通りですな。一体誰に師事したのやら」
元泰や正長が立て続けに久を侮辱した。それに師である太原雪斎様も。
背後で久が何か言おうと身体に力が込められたのがわかった。しかしよくない。久が動けばこいつらの思うつぼだ。
俺は手で久の動きを制し、侮辱を繰り返す3人を見た。
「申し訳ありませぬがその五月蠅い口を閉じていただけますか?」
「な!何を、無礼であろう!!」
「無礼ですか?家格で言えばお三方よりも私の方が一門衆と上で御座いましょう。無礼なのはそちらではありませぬか。それと久を侮辱したことも許せませぬ。すでに一色では華姫様も私の妻であると認められました。華姫様は私よりも今川の血を濃く受け継ぐ方に御座います。久は一色の者として私を、そして今川を支えると誓われたのです。さらに誰に師事されていたのかと問われましたな。久、この無礼な方たちに教えて差し上げろ」
「はい、松平が今川様より庇護していただいていた時代に、太原雪斎様にたくさんのことを教えていただきました」
氏真様含め4人の反応は様々であった。家臣の3人はしまったという顔をした。普段温厚な氏真様は怒りを顔に滲ませて小刻みに震えておられた。
「殿、これは違うのです!」
「そうです。あの者が嘘をついているのでしょう」
弁明か、見苦しいな。
俺は懐より1通の文を氏真様に差し出した。それは雪斎様が久に書いた文であった。最期が近づいていると知って書かれたのだ。そんなもの、俺や氏真様ですらもらっていない。どれだけ久を可愛がっていたのかがよく分かった。
氏真様はその文を静かに読まれている。わずかに嗚咽が漏れているのは泣いておられるのだろうか。
そしてその様子を戦々恐々といった様子で眺めている3人。
「・・・懐かしいな。まこと雪斎の字である。麻呂らには何もいわなんだくせにな」
「私も久よりこの文を見せられたときは驚きました。それにあの物静かな師が文ではこれほどまでに饒舌に語っているとは」
さぁお前たち3人はどうするんだ?この空気の中でまだ久を侮辱するのか?
例え久が裏切らないという証明が出来ずとも、現段階でこれ以上追求など出来るはずもない。間違いなく氏真様の怒りを買うだろう。
案の定黙りこくってしまった。とりあえず今回今川館に来た目的は果たせたか。今後この3人からの一色に関する讒言を氏真様がまともに聞くことはあるまい。
「久姫よ、そなたは政孝を支えてくれるのだな」
「はい。そのことすでに旦那様にもお誓いしております。さらに私は実の弟に家を追い出された身に御座います。私の居場所はすでに一色にしかございません。旦那様が私を不要とされる日まで、私は何があっても一色に、そして今川様へこの身を捧げます」
「よくわかった。この者らが無礼なことを言ったな。麻呂が代わりに謝罪しよう。申し訳なかった」
「「殿!?」」
こうなっては立つ瀬がないのはこの3人だ。自分たちの失言を殿に頭を下げさせた。普通に切腹ものではないか。
「氏真様、頭をお上げください。私もまだまだ功績が足りぬということでしょう。これよりは一層精進いたします。故に今後も一色家をよろしくお願いいたします」
「あぁ、今後も今川を支えてくれ」
こうして氏真様は謁見の間を後にされた。例の3人も俺達に聞こえるかどうかの舌打ちをして部屋を出て行かれた。
「久、よく我慢したな」
「旦那様が私を止めてくれなければ、大変なことになっていました」
「だろうな。まったくヒヤヒヤしたわ」
俺が小さく笑っていると、廊下より声をかけられた。
「ヒヤヒヤしたのはこちらですぞ。殿の御前で取っ組み合いでも始まるのではないかと気が気でありませんでした」
「信置殿にはまずいものを見せてしまったやもしれません」
「大丈夫です。今日見たものは誰にも言いませんので」
信置殿は豪快に笑いながら来た道を戻り始めた。俺達も慌ててその後を追い、今川館を後にしたのだった。
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